ウーゴ・ロンディノーネ《孤独のボキャブラリー》 2016/撮影:TimeOutTokyo
ウーゴ・ロンディノーネ《孤独のボキャブラリー》 2016/撮影:TimeOutTokyo

【連載最終回】検証:あいちトリエンナーレ——私たちはそこから何を学ぶことができるのか?

副産物としての想定外の効果——希望への第一歩

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7. 副産物としての想定外の効果

著者:太下義之 

1. トリエンナーレの関係人口の増大

今回の第4回あいちトリエンナーレの来場者数は、過去最高の67万人となった。これはやはり同年イタリアで開催されていたヴェネツィア・ビエンナーレの60万人というデータを上回る来場者数であった。世界中でビエンナーレやトリエンナーレが多数開催されているが、この中で一番最も歴史があり、かつ最も権威のあるビエンナーレであるヴェネツィア・ビエンナーレよりも多くの来場者があったということは、あいちトリエンナーレが今までにないほど注目されたということであり、「不自由展」中止のもたらした想定外の効果であったと考えられる。

-2. アート表現の新たな可能性

また、あくまでも偶発的な効果ではあるが、「不自由展」の公開一時中止によって、独創的な作品形態が創造されていった。これらの変更などについては、美術手帖の記事(※29)が詳細に報じている。そして、これらの展示中止や展示変更も、新しいかたちのアート・パフォーマンスであったと見ることもできる。

(※29 美術手帖(2019)「「連帯を示すために」。展示室閉鎖、内容変更に見る「あいちトリエンナーレ」海外作家たちの態度表明

例えば、アーティストの村山悟郎氏は、ファクスでの脅迫に対抗して、825日から毎日、ドローイング一枚をあいちトリエンナーレ2019実行委員会・事務局スタッフにファクスで贈るというコンセプトで、「FAX Drawing for office staff of Aichi Triennale」(2019)を制作した(※30)。

(※30)村山悟郎氏によると、当初はトリエンナーレの会期終了までの50日間毎日一枚のドローイングを送付する意図であったそうだが、途中から「あいちプロトコル」の文案作成などで忙殺されてしまい、実際の送付は29日間で止まってしまったとのことである。

また、モニカ・メイヤー氏が名古屋市美術館で展示していた「The Clothesline」(2019)は、事前のワークショップへの参加者が日常生活で感じる抑圧やハラスメントなどを匿名でピンク色の紙に書いてもらったものを展示するという参加型プロジェクトであった。しかし、「不自由展」の中止後、メイヤー氏はこれに抗議して作品名を「沈黙のClothline」(2019)に変え、展示を大きく変更した。来場者が書いたメッセージカードは全部取り外され、まだ記入されていないカードを破り捨てたものが床にまき散らされたのである。元々はなかなか声を上げることができない人々が、その思いを告白するのに安全な環境を提供するというコンセプトの作品であったが、変更後はそのような安全な環境の持続が脅かされていることを可視化したかたちとなった。

さらに、このモニカ・メイヤー氏の作品にインスパイアされて、新たなプロジェクトも展開された。「表現の不自由展・その後」を含む全ての展示再開を求めるアーティストが立ち上げた「ReFreedom_Aichi」が企画した「#YOurFreedom」である。これは観客に、自身が抑圧された経験を紙に書いてもらい、それを閉じられていた「不自由展」の展示室の扉に貼っていくというプロジェクトであった。観客に投げかけられた質問は、「あなたは自由を奪われたと感じたことはありますか?」「あるいは不自由を強いられていると感じたことはありますか?」「それはどのようなものでしたか?」。展示中止された「不自由展」の扉が多数の紙で埋め尽くされていった様は壮観であった。同時に、これはリアルタイムで可視化されていった、現代社会における「不自由さ」の集積でもある。

そして、トリエンナーレ参加作家・高山明氏が主導する「Jアート・コールセンター」も極めて興味深いプロジェクトであった。これは「不自由展」を中止に追い込んだ原因の一つが、美術館や公共施設へのテロの予告や県職員への殺人予告といった脅迫電話を含む電凸であったとの認識に立ち、アーティストらが電凸に対応するという「コールセンター」を立ち上げ、その実体験を通じて公共性の概念を問い直し、再設定することを試みるという演劇プロジェクトである(※31)。

(※31ReFreedom_Aichi

また822日には、トリエンナーレの参加作家である毒山凡太朗氏と加藤翼氏が名古屋市円頓寺本町商店街付近に「Sanatorium」というスペースを立ち上げた。これはアーティスト自身が運営するスペースで、「アーティスト・ラン・スペース」と呼ばれるものである。「Sanatorium」は、アーティストたちの展示を行ったほか、作家主導でフォーラム、ワークショップが開催され、また、市民同士が議論を行う場所としても活用された。

その他、市長を名乗る男性による、愛知芸術文化センター前でのパフォーマンス「座り込み」も大変印象的なアート作品であった。(※32

(※32)同作品は、あいちトリエンナーレの正式な出品作品ではない。

前述した通り、社会的なテーマを扱うアートは、従来から存在した。しかし、今回の「不自由展」の中止という事態を受けて、より切迫感のある、瞬発的なクリエーティビティが発揮された。これらのチャレンジは、国際芸術祭の新たな局面を切り拓いたと評価できるのではないか。

-3. 「あいちプロトコル」の起草

20191218日、あいちトリエンナーレ参加作家の代表者などにより「あいち宣言・プロトコル」が取りまとめられ、愛知県知事に提出された。この「あいち宣言・プロトコル」とは、表現の自由と市民が多様な芸術を鑑賞する権利を守るために、今後のトリエンナーレなどさまざまな機関で批准されるべき理念を記述した文書である。具体的には、「芸術家の権利と責務」「芸術監督及びキュレーターの権利と責務」「主催者の権利と責務」「芸術祭の会場としての美術館の役割」「地方自治体の責務」が列記されている。この「あいち宣言・プロトコル」は、次回のあいちトリエンナーレはもちろんのこと、多くの芸術祭や美術展に賛同公認され、広く社会に実装されていくことが期待されている。このような文書が、アーティスト主導で作成された点は特筆すべきことである。

  • アート
【連載第4回後編】検証:あいちトリエンナーレ——私たちはそこから何を学ぶことができるのか?
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「関係性のアート」としての「不自由展」

-5. 「公共性」と「政治性」

次に「公共性」と「政治性」の関係について考察してみたい。例えば、中央政府や地方政府から公的な助成金を受けた展覧会において、政治的な表現のアート作品を展示することについて、どのように考えればよいのであろうか。これは、税金によって運営されるという点では、公立美術館での展示も同様の問題である。

この問題に関して、公立であるがゆえに検閲することは絶対に許されず、政治的な表現も含めて「表現の自由」である、という考え方はもちろんある。その一方で、こうした展示が、あたかも一方の政治的な主張に政府が肩入れしているように見えるという懸念もあるのではないか。

検証:あいちトリエンナーレ
検証:あいちトリエンナーレ

2019年に開催を終えたあいちトリエンナーレの『不自由展』を巡る一連の騒動について考える。文化政策研究者であり、あいちトリエンナーレのあり方検討委員会のメンバーの太下義之による考察を、全6回に分けて連載。

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