「関係性のアート」としての「不自由展」
-1. 関係性のアート
今回の「不自由展」が設定した「表現の自由」という企画は、過去に禁止となった作品を手掛かりに「表現の自由」や世の中の息苦しさについて考えるという内容であり、アートを通じたジャーナリスティックな問題提起を目指すという意欲的取組の企画コンセプトであったと高く評価できる。
ただし、企画コンセプトがいかに素晴らしいものであっても、全ての鑑賞者がその表現を理解し、受容するわけではない。本来は、展示を通じて鑑賞者に対して企画の趣旨を効果的かつ適切に伝えることが必要であり、そのための「キュレーション」と「コミュニケーション」が必要であった。料理に例えて言えば、フグのようにおいしい食材でありながらも毒を含んでいる食材を調理する場合、きちんとした料理人による調理が必要となることになぞらえることができる。
しかし、実は「不自由展」に関しては、4月に開催されたキュレーター会議で、トリエンナーレのキュレーターチームは「不自由展」の作品選定には関与しないことが決定されていた。その結果、「不自由展」には、担当キュレーターがつかず、出展が決まった作品の輸送や展示、契約などの実務を担うアシスタント・キュレーター1名のみが付くことになり、芸術監督が直接「不自由展」実行委員会と準備のやりとりをすることになった。
キュレーターに関して、英国出身の美術批評家クレア・ビショップは、「幅広い鑑賞者の層にとって社会的に意義のある芸術を、協働して生産=創造することを確固として望み、展覧会そのものを包括的な議論とみなす人々」(ビショップ2012=2016:309)という新しい定義を導き出している。この定義にのっとると、「不自由展」にはまさにキュレーターは不在であったと言える。そして、展覧会内の展示である「不自由展」は、その作品選定の基準および展示の責任の所在が曖昧となってしまい、また、もっぱら政治的な文脈から作品が受容されてしまった。
一方で、あいちトリエンナーレの「不自由展」の出展作品に関しては、美術(美学)の観点からの評論がほとんどなされなかったことが、ある意味での特徴であった。この点に関しては、美術評論がされなかったことが課題なのではなく、アートの領域の事件ではあったが、従来型の美術評論では対処が困難な事案であったとみることができる。
現代アートにおいては、従来型の美術作品だけではなく、社会的、政治的な側面を重視し、観客や社会的との関係性を重視する、「関係性のアート(リレーショナル・アート)」と呼ばれる新しいタイプのアートが1990年代以降急増しており、時にアートを巡る衝突と論争を巻き起こしている。
「ソーシャリー・エンゲージド・アートをめぐる議論、その最大の難点の一つは、美学との関係性の棄却である」(ビショップ2012=2016:51)というビショップの言葉は「美学の終焉(しゅうえん)」とも受け取ることができる。一方で、従来の美学の視点からの批評は困難であるとしても、関係性のアートとして成功しているかどうかというアプローチの巧拙についての問いかけは成立するはずであろう。
そこで、以下においては、「不自由展」に対する一連の電凸においてクレームが最も多かった2つの作品を取り上げて、「関係性のアート」の視点から考察したい。一つは大浦信行氏の映像作品『遠近を抱えてPart II』であり、もう一つは、キム・ソギョン氏およびキム・ウンソン氏(韓国)による『平和の少女像』である。
-2. 「天皇の写真を燃やす」ことの意味
前述したとおり、「不自由展」の出展作品の中で最も炎上した作品の一つが、大浦信行氏の映像作品『遠近を抱えてPart II』である。ちなみに、本作品はなぜか作品リストには掲載されないまま、後述する版画作品とセットの「関連資料」という位置づけで展示された。
この映像作品の中で、大浦氏自身の旧作の版画作品であり、昭和天皇の写真をコラージュした『遠近を抱えて』を燃やすシーンが登場する。その作品とは、1986年に富山県立近代美術館(現:富山県美術館)主催の展覧会「86富山の美術」にて展示された後、右翼団体の抗議もあり、図録とともに非公開となり、さらに93年、美術館が作品を売却し、図録470冊全てが焼却されたという、曰く付きの作品である。
大浦氏の新作映像は20分の動画だが、SNSで流通した「昭和天皇」の肖像画を燃やす場面だけを見た人が問題視し、天皇侮辱を目的とする作品ではないかと批判した。しかし、映像において燃やされているのは上述の通り、33年前に富山県立近代美術館で展示後に図録
から排除された大浦氏の自作作品の版画を燃やす光景である。
また大浦氏によると、この「燃やす」という行為は「従軍看護婦の悲しみや戦争の悲惨さを描く中で戦前の日本国の象徴としての人々の心の中の天皇をビジュアル化したもの」(※23)とのことである。
(※23)あいちトリエンナーレのあり方検討委員会(2019)「「表現の不自由展・その後」に関する調査報告書」
この『遠近を抱えてPart II』を起点に考察していくと、いくつかのより興味深い論点が導出される。例えば、ある象徴となるものを焼却することは、「焚書」に代表されるように、元来は権力者が「検閲」において用いてきた典型的な手法である。『遠近を抱えてPart II』ではそれを無自覚に導入しているように見える。前述した「電凸」もそうであるが、従来においては、政治的な意思表明の手法が、特定の思想と結びついてステレオタイプ化していた。こうした従来型の思想と手法の結びつきがほつれ、もはや完全に無意味化したという意味でも、今回のあいちトリエンナーレは興味深い現象であった。
また、「不自由展」においては、新作映像『遠近を抱えてPart II』とともに旧作『遠近を抱えて』も展示されていた。しかし、旧作に抗議する電凸はほぼ皆無であったとのことである。もちろん、この事象に関して、昭和天皇の写真のコラージュだけの作品よりも、それを燃やす映像の方が表現としてインパクトが強かったので、よりインパクトの強い作品の方に抗議が集中したのだという理解もできる。その一方で、旧作『遠近を抱えて』が発表されてから30年以上の歳月が経過したことにより、禁忌に対する人々の許容感覚の水準が変化したとみることもできるのではないか。私たちの心の中にある「検閲」のボーダーラインは決して不変のものではなく、時代とともに変化するのである。
ところで、もしも展覧会の企画段階で、外国人アーティストが「天皇の写真を燃やす映像作品を制作・出展したい」と(日本人)キュレーターに打診したとしたら、どのような成り行きになったであろうか。おそらく、当該キュレーターは「外国人のあなたには理解できないかもしれないが、日本では天皇制はとても繊細な問題であるから、天皇の写真を燃やすという企画は、別の内容に変更した方がいい」とアドバイスしたのではないか。
そして、もしも当該アーティストが、日本の天皇制について既にリサーチをしており、そのことについて相当の知識があったとしても、「そこまでリサーチしたのであれば、やってごらんなさい」とはならずに、キュレーターの対応はやはり同じだったのではないか。
また逆に、外国人の批評家が「天皇は一部の日本人とっては極めて重要な象徴なので、その写真を燃やすという行為は問題がある」と論じたとしても、おそらくそのことを日本の右派は特にありがたい応援とは感じないであろう。さらに言えば、天皇の写真を燃やす映像作品が展示された後、別の外国人の評論家が「日本の天皇制の問題を糺す、重要な作品。ぜひほかの美術館でも展示すべき」と評価した場合、そのことに対して、多くの日本人は「余計なお世話」と感じるのではないだろうか。
これらの仮定から何が言いたいかというと、要するに、「天皇の写真を燃やすこと」は、日本という大きなムラ、イエの内部の問題だ、ということである。そして、このことは右派はもちろん、左派も含めた多くの日本人に無意識のうちに共有された認識であるように思われる。『遠近を抱えてPart II』を「関係性のアート」としてとらえる場合、こうした日本人のムラ、イエ意識を浮き彫りにしたという点で、結果的に意義のあった作品だと評価できよう。