電凸:ソーシャル・メディア型のソフト・テロ
1. はじめに
「情の時代 Taming Y/Our Passion」をテーマとする国際芸術祭、あいちトリエンナーレが2019年8月1日から10月14日までの期間で愛知県にて開催された。このトリエンナーレの展覧会内展示「表現の不自由展・その後」(以下、「不自由展」)は8月1日から3日間開催したのち、いったん休止し、その後10月8日からトリエンナーレの閉幕日である14日まで展示を再開した。このように、いったん中止された展覧会が再開された事例は、世界にもほかに例がないのではないか。
筆者は、「アームズ・レングスの原則」、すなわち、アーティストや文化団体などと政府との間に「一定の距離が置かれ独立性が与えられている」という状態を維持するための文化政策を専門とする研究者であり、「あいちトリエンナーレのあり方検証委員会」(以下、「検証委員会」)(※1)の委員でもあった。委員として経験したことも踏まえ、本稿においては、「不自由展」を巡る一連の事件から、私たちがこの事例から何を学ぶことができるのかを考察してみたい。
(※1)2019年9月25日開催「第3回あいちトリエンナーレのあり方検証委員会」において、検証作業に区切りがつき、検証結果を勘案した今後のあり方の検討がこれからの作業の中心となることから、9月26日付けで「あいちトリエンナーレのあり方検討委員会」に名称変更となった。
起こった事柄を時系列に沿って記すならば、①インプットとしての「不自由展」開催、②アウトプットとしての「電凸」および「展示中止」、③アウトカムとしての「展示中止によって生じた事案」、④インパクトとしての「私たちはそこから何を学ぶことができるのか」、という順番となる。
ただし、本件に関しては、いくつかの論点が複雑に絡まり合っているため、まずはこれを解きほぐして、その上で一つ一つの論点を整理して議論していく必要がある。そこで、多くの人がニュースで見聞きしているであろう、②の部分から最初に検討を始めたい。