僕が初めてDCPRGを観たのは2004年だったんですが、そのときの印象はいまでも強烈に焼き付いていて、緊迫感だとか、異物感 のようなものだったんですが。それで、音源を集中して聴くと、各楽器がものすごい興奮状態にいるなと。あの渦中で、指揮やら演奏やら、やることの多い菊地 さんは精神的にどういう状態なんですか?
基本的に全部あれ、トランスしてます。一音目から。ただ、日本人の考えるぶっとんで踊りまくる忘我の「トランスしている」状態とは違んです。僕らは それに対して、すごくフォーメーションに則ったゲームを冷静にこなさなくてはいけないわけですから。瞳孔はステージ上がった瞬間から開いてますが(笑)。 ただ、「トランスしているものはコントロールできないもの」というふうに一義的に決められがちですが、そうではなくて、トランス状態でスポーティーなコン トロールに入るわけですね。メンバーはね、そんなにトランスしてないんだと思いますよ。ずっとトランスしているのは僕だけ。メンバーはトランスしそうなの をグッとこらえながらやっているような感じですね。
僕らのライブっていうのは、ドカンとヤバい状態に持っていくような「一気飲み」のような、そういったものもひとつのドラッギーな体験としては良いと 思いますが、それとは違って、正気がだんだんと、気がついたらサイケデリックなことになっているということですね。だから、知性も冴えてくるし、運動性も 冴えてきて、それでいて現実感のないトランス状態、っていうのを僕らは提供しているんだと思いますよ。終わってスッキリしていないとだめっていうか。
終わった後にダメージがあるのはではなく。
要するに、酒飲んで吐いちゃうとか、トランスした代償が体にきついものは、若い人にしかできないですから。dCprGは健康志向というか、3時間 踊った後スッキリしてますよ。デトックスというか、体がむしろ整ったというか(笑)。一個のリズムにみんなで一緒に踊っていたら、当然、摩滅しますよ。彼 らは体を壊さないように休憩をいれますが、僕らは、ヘルシーに、色々なリズムで自分のタイムで踊るわけなんで、自我的にも社会参加の形というか(笑)。自 分で仕事を選んで、場所を選んで、人に迷惑をかけないで楽しむんだという。だから、与えられたドラッグを飲んでめちゃくちゃになっちゃうというやり方では ない。
これは、結局、アフリカ音楽のことですよ。アフリカではトランスして悪魔を取り払うわけですが、めちゃくちゃになってしまったらあんな細かいリズム は取れないじゃないですか。トライバルというのを勘違いしている、とにかくキメてキメて太鼓叩けば良いんだという人がいますが、あんなのリズム的になにも ないですからね(笑)。要の打点に何も意味がない、虚しいだけですよね。結局クサなんて要らなくて、自分の心がやばくなっているという段階でもう音楽をや る理由はあって、それが段々と浄化されていって、で、浄化に際して、そのリズムに言語の情報があるっていうことですね。その情報にメッセージがあって、す ごく入り組んでいると。色々なことややり方に気付くのが、ポリリズムの効用ですね。それがアフリカの考え方です。
リズムに対して各自で積極的に解釈するということについては、今の若い人たちにロックDJが人気だったり、大きいクラブではEDM が主流だったりして、あまりそういう体験自体をしないで、知らずに過ごすひとが多いと思うんですけど、そういった中でdCprGが提供、要求するものとい うのはどう受け止められるのでしょうか。
私もう52歳になるんですけど、まあ鈴木勲さんみたいな怪物を除けば(笑)、現役で、ちょっと複雑な物をクラブのヘッズに提供するいうことをやって いるのは僕だけなんですね。で、DCPRGは結成10年ですけど、ずっとファンが固まっていて、だんだんと客が減ってきているという状況になっていたら辞 めていると思うんですよ、とっくに。いつ見てもフロアには、その時新しいものを求めて来てくれている人たちがいるんですよ。だから、若い人たちが来てくれ ている限りは、自分たちはエッジであると。それと同時に、音楽界の中でのポジションというものもある。永遠に若いところにいるわけにもいかないですから、 僕が引き受けなければいけないポジションというのは、シーンの中で少し敷居の高い「大人」の部分。パクっとすぐ食べられるものがほかにたくさんあるなか で、少し難しいもの。
「大人」を意識すると同時に、エッジを心がけることで新しいものを求める若者はついてくるだろうと。
今は、見た目や精神年齢とかがバラバラになって、20世紀までの大人像、子ども像ではわからないわけですよ。おっさんはこういう格好でこういう音楽 を聴いている、ガキはこう、とかが20世紀末からはぐちゃぐちゃになって、お芝居みたいになっているから。文化的なエイジングというのが一旦ノーオーダー になっているんで、そこでニューオーダーというか、ファンタジーでもいいので、俺ら大人ですよ、おっさんくさいところもありますが、エッジなところもあり ますよということで、子どもと大人が住み分けられている状態にもう一度、建設し直さないといけない。そうしないと、この混沌を受け入れるか、あるいは20 世紀的なものが壊れてしまったことを嘆き続けるか、しかないわけですよ。嘆きはじめたら止まらないですよ。ガキ臭くなってしょうがない。ツイッターのアイ コンが美少女だから会ってみたら50歳のおっさんとかね(笑)。勘弁してくれよ、50は50とわかるようにアカウントのプロフィールを筆書きにしろよって (笑)。
SNSが発達して誰もが発言権がある状態で、誰もが個人情報は守りたいという状態になっちゃうと、あらゆるIDの分からない人の情報が飛び交う混沌 状態ですよね。でもこれは我々が選択してしまったことですから、ネチズンのようにその混沌を歓迎する人々もいますし。でも、苦しいでしょうと思うんです よ。名前も知らない人に傷つけられる可能性があるわけですから。そうならないための新しいアイデアですね。みんなやり方が古い。岸田一郎の 『MADURO』みたいなのも面白いですけどね(笑)。新しいことも古いことも分かった上で、なにかをやると。あの人って大人だよね、だからといって終 わってないよね、という人がいないと、若い人にとってのモデルがないですからね。21世紀型の中〜壮年から老年にかけての生き方っていうのを、せざるを得 ないというか。嘘やファンタジーでいいんですよ。それは意識しています。
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