少し気の毒に思わずにはいられない立地にあるが、人知れぬ素敵なこのカフェは、世田谷代田駅からすぐ近くにある。このようなカフェは、おしゃれな代官山のような街の裏通りではもてはやされるだろうが、下北沢の栄光にあと一歩のところで届かないこの場所では、少し取り残された感がある。だが「ランチタイムはけっこう混んでます」と、とても気さくなウェイターが説明してくれた。だが「夜はガラガラですね」と。確かに、偶然、歩いていて立寄る客はほとんどいないだろう。
もちろん、客の立場からみるとメリットもある。下北沢の喧噪でクタクタになった午後に、思いがけず現れたほっと一息つく場所。突然のペースの変化は新鮮だった。場所が線路の真横であることにマイナスイメージを抱く人もいるかもしれないが、電車のことはさほど気にならない。テラスの壁を薔薇がつたう頃のある晴れた日、ガタンゴトンと電車の立てる音は、都会から離れた空想に心地よく響く。狭い路地には車も入る余地はない。だんだんと、アガサ・クリスティ作品に登場するミス・マープルでもいそうな舞台にいるかのような感覚になってくる。
食事メニューは簡潔で小さな2枚の木板の上に収まっている。続いて出された3枚のラミネートされたドリンクメニューには、アルコール(サントリープレミアムモルツの生ビール、カクテルや酎ハイ各種)、コーヒー、ソフトドリンクが並ぶ。店名の通り、食事のほとんどがパン料理か、パンを付けて食べれるようなメニューになっている。ハムとマスカルポーネのピザと、思い切ってムール貝の白ワイン蒸しを頼んでみた。
どちらの料理も、おすすめまでには至らず。ピザは平たい生地で、周囲がいい具合に焦げつきやすくなっていたが、ふんだんに使われたマスカルポーネが焦げた後味とうまく調和し、午後の軽食にはぴったりだった。一方で、ムール貝には少しがっかりした。この料理のファンであるがゆえに、期待が大きすぎたためだろう。主な不満は、その量にあった。スープに使われるワインが少なすぎること、そしてムール・マリニエールを名乗るにはムール貝(5個)が少なすぎること。バスケットに入って添えられたパンでさえ、少々平凡に感じられた。だがそれは、750円という安さから察するべきであった。
デザートは無しにして、そのままコーヒーを頼む。それは予想通りと言ってもいいほど、この店の真骨頂だった。シナモン・カプチーノは、晩春に幸せなクリスマスを感じさせてくれた。一緒にいった人が頼んだのはホット・チョコレートで、その濃さに圧倒されしばし沈黙するぐらいだった(メモを取ろうとバッグからペンを取り出していたとき、ウェイターが「秘密は生クリームです」と誇らしげに笑顔で教えてくれた)。私たちのどちらも、もう一度来たいとまでは思わなかったが、この代田駅付近に居合わせた時には、ホットドリンクに賭けてみてはどうだろう。