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訪れた人が誰でも自由に活版印刷を利用できるオープンアトリエが、東京都内に誕生しようとしている。プロジェクトを進めるのは、洋服と活版印刷のブランド『服とタイポグラフ』。5月11日(金)期限のクラウドファンディングを通じて、開店資金100万円の出資者を募っている。近年、雑誌で特集が組まれるなど、若い世代にも再注目されている活版印刷だが、同プロジェクトが実現すれば都内のクリエイターたちにとっても恩恵は少なくないだろう。
『服とタイポグラフ』によるプロジェクトの大きな特徴は、金属活字を組んで印刷面を構成する「活字組版」を行っている点にある。活版印刷なのだから当たり前だろう、と思うかもしれないが、昨今新たに活版に取り組む人々のほとんどが、活字ではなく樹脂版を使用しているというのが実際のところだ。理由はいくつかあるが、そもそも活字を揃えるのが大変ということがある。
ひらがな、カタカナ、漢字と、日本語には膨大な数の文字があり、それも1文字につき1つの活字があればいいというものでもない。試しに文庫本1ページ内に登場する「い」や「う」、「の」を数えてみてほしい。行間など余白の部分に詰める専用の部品まであるのだから、その量たるや気の遠くなる話である。天井まで届く棚が、1種類1サイズの活字だけで埋まってしまうということも珍しくない。地価の高い東京では、活字を手に入れることに加えて、保管するスペースのコストも障壁となっている。
『服とタイポグラフ』が、多くの活字を入手できたのは偶然だった。2016年に廃業した竹田印刷所とSNSを通じて知り合い、使用されていた貴重な活字を譲り受けることができた。東京の森下に居を構えていた竹田印刷所は、10坪ほどのこじんまりとした店舗だったが、戦前から営業をしていた歴史ある印刷所だった。ドラマやドキュメンタリー番組などのロケにも使われていたようで、大女優の乙羽信子(おとわ・のぶこ)が訪れた際は大騒ぎだったという。創業者は新聞社で活字を組む仕事を経た後に、竹田印刷所として独立し、学校の通信簿や病院の薬袋の印刷なども請け負っていた。活版印刷が生活の身近なところにありふれていた、今となっては懐かしい時代の話だ。
時代が変わるのは仕方がないことで、竹田印刷所に限らず、古くから続いている活版印刷所が次々に廃業している。竹田印刷所の場合は幸運な方で、居場所を失った大量の活字は廃棄されるか、そうでなくても、バラバラに散逸してしまうのが関の山だろう。それと同時に失われつつあるものが、実はもう一つある。それは、熟練工による活版印刷の技術だ。活字を組むことには相当な技術を要し、余白の取り方や力のかけ具合のちょっとした変化が、印刷の仕上がりに微細な表情をもたらす。
活版技術の衰退は、ひいては印刷文化、文字文化全体の魅力を曇らせてしまうことに繋がるだろう。だからこそ、『服とタイポグラフ』は活字組版にこだわっている。そこには、活字や活版印刷機を、過去の遺物としてミュージアムに収蔵するのではなく、生きた技術として継承していきたいという願いが込められているのだ。
調布市内での開業が予定されているオープンアトリエでは、誰でも予約制で活版印刷機を使用でき、道具の使い方など基本的なレクチャーも受けられる。クラウドファンディングのリターン商品として、35時間分のアトリエ利用チケット(3万円)も用意されている。週2日、各回2時間ずつ利用したとしても2ヶ月程度、週1時間なら9ヶ月程度になるので、デザイン業に活版印刷を取り入れたい人など、じっくりと向き合いたい人にはぜひ勧めたい。
グーテンベルクの遺児によるアナクロニスティックな酔狂だと笑うかもしれないが、まずは2時間程度のワークショップ(5,000円)で支援することも可能なので、軽い気持ちで活版印刷の世界に触れてみてほしい。