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現代のフランスを代表する作家、クリスチャン・ボルタンスキーの国内最大規模の展示『クリスチャン・ボルタンスキー — Lifetime』が、国立新美術館で開催中だ。
ボルタンスキーは写真や衣服などを題材にして、個人と集団、死者の記憶とその忘却をテーマとした作品で知られる。1990年代以降は展示空間を意識した作品も展開し、本展も展示会場全体で一つの作品を構成する点でその系譜に連なる。本展では『ミステリオス』など神話に想を得た近作も含む49点を展示、その「人生(Lifetime)」全てを展観できる。ここでは、展示の5つのポイントを紹介したい。
1. 誰の人生(Lifetime)かを考える。
本展には個別の作品のキャプションや会場の順路指示はない。ボルタンスキーが会場全体で一つの作品として見られるよう望んでいるからだ。作家は来場者がまず各自で沈思黙考し、思い出や哲学的な考察に身を任せるよう勧めている。決まった答えは用意されず、見る側がおのおの問題提起するよう求められるのだ。もっとも、作品の解説と会場内マップがある冊子も配布されているので、それを手に回ると良いだろう。
会場には、まず入り口の頭上高くに青く「DEPART(出発)」、そして出口には赤く「ARRIVEE(到着)」という電飾が掲げられ、人生の始まりと終わりが暗示される。
『咳をする男』(1969)
入り口脇の暗室には、初来日のきっかけとなったボルタンスキーの長兄演じる『咳をする男』が映されている。本展はまず作家の人生、そして日本の記憶と重ねられるのだ。
しかし先に進むと、子どもの肖像写真と電球を祭壇のように組み合わせた『モニュメント』シリーズや、大量の古着を壁面につるす『保存室(カナダ)』など、作品に託された肖像や衣服の持ち主、記憶のことなどに気を取られてしまう。この進むにつれて匿名性を増す人生は一体誰のものなのかを考えるのも一つの楽しみ方であろうし、作家が期待していることかもしれない。
2. 見上げて圧倒される。
『モニュメント』(1986)
ボルタンスキーは巡回先(大阪、東京、長崎)をそれぞれ異なる演出で見せると述べている。そして、本展の会場の魅力は天井の高さにある。それが生かされているのは、『モニュメント』と『ぼた山』、そして『保存室(カナダ)』である。いずれの作品も見上げたり、遠くから眺めてそのスケールに素直に圧倒されたい。
『モニュメント』シリーズのスペースでは、教会の祭壇衝立のような対称性が印象的な『モニュメント』の真上に、『皺(しわ)くちゃのモニュメント』の電球とコードが天井近くの高さまで延び、荘厳で静謐(せいひつ)な印象を与える。しかし、その祭壇の写真は彼の同級生たちなのである。
『ぼた山』(2015)、『スピリット』(2013)
『ぼた山』のタイトルはベルギーの炭鉱夫を巡る記憶に由来するが、それにちなむ手がかりは何もない。一見すると黒くグロテスクな塊で、近づいてやっと衣服の堆積だと分かる。『ぼた山』が天井近くにそびえる一方、霊を表すという『スピリット』は天上から降りてきたかのように鑑賞者の頭上を揺らめく。
『保存室(カナダ)』(1988)
後半の『保存室(カナダ)』も見逃せない。天井に届かんばかりに壁一面を覆う衣服は持ち主の抜け殻だという。本作には二重の意味がある。制作地がカナダであったことに加え、過去に強制収容所内で囚人の財産を保管していた場所を、幸福と富を象徴していた「カナダ」にかけて呼ばれていたということだ。本作はホロコーストの暗い記憶の表現とも捉えられるのだが、そうした直接の言及を避けるために古着を用いずに最新の柄のTシャツが一番上にくるように気を付けているという。
3. 作品に近寄って見てみる。
このように、本展では大きな作品に目が向きがちであるが、一方で個々のより小規模な作品に凝らされた創意にも目を向けてみよう。
『聖遺物箱(プーリム祭)』(1990)
『聖遺物箱(プーリム祭)』は、同題の作品と似た印象を与えるが、実際には肖像の前に網が貼ってあり、肖像自体と照明との距離がかなり確保されることによって像の儚さが強調される。
同様に像から距離を取る手法は『ヴェロニカ』にも採用され、フレーム奥の布と鑑賞者の間を別の半透明の膜が遮る。届きそうで届かない肖像の発する声やかき消されそうな記憶、そして聖性を物理的な距離自体で強調することで、大掛かりな作品にかき消されないための作家の配慮が垣間見える。
会場最後のスペースの『その後』は、引き裂かれつつある布に笑顔の子どもがプリントされている。これは自覚できない病に侵されたようとも評されるが、作品に近寄ると笑顔は見えず、ただのボロ布になる。思い出せるか出せないかのあわいをさまよう感覚を、作品と鑑賞者との距離自体に投影しているようにもとれる。素っ気ない物質自体を通して語りかけるかのように。
4.見る、聞く、嗅ぐ……?
ボルタンスキーは、本展での体験をヨーロッパの教会のようにほの暗い場所に入って考える時間に例え、別のインタビューでは「暗闇をさまよって異なる身体感覚を体験することの大切さ」を説いてもいる。それは本展でも実践されており、視覚だけでなく、ほかの感覚でも作品を感じられる。
まず、聴覚だ。ボルタンスキー自身の心音に合わせて電球が明滅する『心臓音』はもちろん、作品同士がシンクロするようにも音が使われる。『モニュメント』シリーズの部屋の真裏は『アニミタス(白)』で、両会場は壁の両端に開いたスリットで互いを見通せる。『モニュメント』からは『アニミタス(白)』の風鈴の音が聞こえ、反対側からは『モニュメント』の匿名の肖像が垣間見える。
アニミタスシリーズは、作家が生まれた日(1944年9月6日)の星座をかたどるように並べた風鈴の音によって遠く厳しい環境に眠る無数の霊魂を祈念しているが、この風鈴の音は、モニュメントシリーズの無数の肖像がささやきかける声のようにも聞こえるだろう。
『発言する』(2005)
嗅覚も重要である。来世の門番でもある『発言する』が着る服からは、持ち主のものかもしれない匂いがかすかに漂う。『保存室(カナダ)』の部屋からも衣服の匂いを嗅ぎ取れる。匂いによっても衣服の持ち主の存在と不在、それらの記憶の忘却が暗示されているのだ。なお、エスパス ルイ・ヴィトンで現在開催中のアニミタスシリーズでも、会場に敷き詰められた干し草の匂いが映像体験を補ってくれる。
5.真面目に考え過ぎない。
ボルタンスキーの扱うテーマの多くは深刻で真面目であるが、それだけではないユーモアも探し出せる。
『合間に(2010)』の原題を文字通りに読むと「時のはざまEntre-temps」で、自身の顔が変化する映像が投射されたカーテンの「合間」を鑑賞者がすり抜ける仕組みである。本展の主人公であるはずの自分の記憶さえも忘却は免れないし、観客はそうあるべきだというかのようなアイロニカルな視点が隠されている。
東京展のために制作された『幽霊の廊下』も幻想的だが、その動きはどこか可愛らしい。ボルタンスキーはかつてのインタビューで「作品があまりにうまくなり過ぎないように気をつけている」とも語っている。匿名の肖像のブリキ缶の前で微笑むこの著名な作家は、重厚なテーマを扱いながらも、我々がそこに囚われすぎないようにと自らを笑い飛ばそうとしているのかもしれない。
開催期間は2019年9月2日(月)まで。『クリスチャン・ボルタンスキー — Lifetime』展の詳細はこちら。
テキスト:佐藤龍一郎
写真:豊嶋希沙
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