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2018年9月1日(土)から12月9日(日)の100日間、豊島区池袋エリアを中心に開催される『東京芸術祭2018』の記者会見が、6月27日に東京芸術劇場にて行われた。『東京芸術祭』とは何かという疑問については、タイムアウト東京の過去の記事『2018年に東京芸術祭が本格始動、野外劇の出演者を公募オーディション』を参照してほしいが、「東京」と言いつつ「池袋」、「芸術」と言いつつ「舞台芸術」をメインにしたイベントだという認識があれば、おおむね間違ってはいないだろう。
今年からは東京芸術祭の直轄事業が
『東京芸術祭』スタート以前より続く『フェスティバル / トーキョー』や東京芸術劇場の『芸劇オータムセレクション』といった、従来のプロジェクトの寄せ集めという印象が強かった同芸術祭だが、本年はどうだろうか。この課題に対する答えの一つが、『東京芸術祭』の直轄事業だ。先の記事でも言及している、全キャストをフルオーディションで決定する野外音楽劇『三文オペラ』をはじめ、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の映画『珈琲時光』を原作とした作品、カメルーン出身の振付家メルラン・ニヤカム(Merlin Nyakam)が静岡の中高生と制作した作品など、興味深いプログラムが並んでいる。この直轄事業を選考したのは、2020年まで同芸術祭の総合ディレクターを務めることが決定している、演出家の宮城聰(みやぎ・さとし)だ。
「芸術競技」を反面教師として
就任期間が2020年まで、という点からも、東京オリンピック・パラリンピックの存在が念頭に置かれていることは疑いようがない。事実、記者会見で宮城は、実現に至らなかった1940年の東京五輪にも言及し、「『芸術競技』を反面教師として、(五輪に対して)積極的なポジションを取っていきたい」と発言している。「芸術競技」とは、かつての五輪で実際に採用されていた「競技」の一つ。Wikipediaによると、「種目は絵画、彫刻、文学、建築、音楽があり、スポーツを題材にした芸術作品を制作し採点により順位を競うもの」ということだ。スポーツ大会の中で芸術作品を採点し順位を競わせるというのは、なんともナンセンスな印象を受けるが、やはり恣意的な判定などが問題視され「芸術競技」は廃止される。かわって登場するのが、今回の東京大会においてもかまびすしく取りざたされている「文化プログラム」ということらしい。
トーキョーフェスティバルの中のフェスティバルトーキョー?
ところで、この『東京芸術祭』だが、英語表記では『Tokyo Festival』となる。最も重要とも思える「芸術」の部分が見事に脱落しているところも不思議だが、同芸術祭の主要事業の一つ『フェスティバル / トーキョー(英語名:Festival/Tokyo)』との兼ね合いも気になるだろう。つまり英語の音だけで聞けば、「トーキョーフェスティバル」の中に「フェスティバルトーキョー」があるという状態になってしまう。
「文化プログラム」はトーキョートーキョーフェスティバル
さらに言えば、同芸術祭の構成団体でもある東京都およびアーツカウンシル東京が、先述の「文化プログラム」のために展開する事業の名前は『Tokyo Tokyo FESTIVAL』。「トーキョートーキョーフェスティバルの中のトーキョーフェスティバルの中のフェスティバルトーキョー」といったことになる可能性もあるのだろうか。ややこしいのが名前だけならまだ良いが、「文化プログラム」に関しては、より込み入った話があるようだ。
「五輪」は使えない!?
都による『Tokyo Tokyo FESTIVAL』のほか、国(文化庁)が主導する『beyond2020』プログラム、東京五輪の大会組織委が認証する『東京2020⽂化オリンピアード』など、名称からして分かりにくい「文化プログラム」関連事業が入り乱れている。そもそも「文化プログラム」という名前に「五輪」の「ご」の字も含まれていないというのがスッキリしないところだが、「五輪」という名称は、多額の資金を提供するスポンサーでないと使えないという事情があるらしい。詳しく報じている『東京新聞』4月20日朝刊の記事『困った?「五輪」使えない 文化プログラム 苦肉のロゴ乱立』によれば、「(スポンサーへの配慮から)『五輪』の名称も使えない中、ロゴで少しでも統一感を出そうと、組織委が別にロゴを用意。さらに国も別のロゴを用意し、都も独自のロゴを作った。結果的に乱立し、分かりにくくなっている」ということのようだ。
「五輪」の名称が使えないなら無理してオリンピックを絡めなくてもと、単純に思うのだが、予算獲得などの面で仕方ない事情があるのだろうか。オリンピックによってアート界隈までが振り回されているのは、なんとも頭の痛い話である。せめて『東京芸術祭』では、質の良い舞台作品が観られることを祈るばかりだ。