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そもそも芸者とは何か。実はこの命題に正確に回答できる日本人は、そう多くないのかもしれない。芸者とは、江戸時代中期ごろから盛んになった職業の一つ。お座敷や宴席で、音曲や鳴り物とともに舞踊などで興を添え、客をもてなす女性を指す。時として芸妓とも呼ばれ酒席において各種の芸を披露し、座の取り持ちを行う。
これにどうしても淫靡(いんび)なイメージがつきまとってしまうのは、旦那衆の存在。こうした芸の会得にはそれ相応の資金が必要とされ、それを支援したのが裕福な旦那衆だ。かつては、伊藤博文や原敬、板垣退助などなど政治家の正妻となる事例も珍しくなかった点、また外国人にとっては花魁(おいらん)との見分けもつかず、そのイメージが日本に逆輸入されたためらしい。
21世紀の現代から理解すると、ライブバンドの入ったバーのミュージシャンやダンサー…その日本の伝統芸と考えれば分かりやすいか。
さて、大森にある老舗のバー、テンダリーが「芸者バー」と化すという噂を聞きつけ足を運んできた。なにしろ最近は観光客目当てに、京都だろうがどこだろうが、新手の企画ばかり。一般女性が「舞妓さんに変身」などは、もはや定番、バーテンダーが芸者に変身するのか……などと軽い気持ちで伺うと大違いだった。
カウンターに立つのは、まつ乃家の女将栄太朗。10歳からこの道に入り、芸歴20数年という現代では珍しい熟練の芸者だ。白塗りの化粧、裾長い和装でオーセンティックバーのカウンターに立つに至るに何があったのか聞いた。
「宮崎(優子)さん(テンダリーのオーナーバーテンダー)とは、大森という土地柄もあり以前から懇意にさせていただいております。こちらのバーでは時折、斬新な企画を行っていて、カウンターにて三味線を弾いたり、踊りを披露したりしております」
テンダリーは宮崎の地元でもある大森に根ざしたオーセンティックバーであり、客足にやや余裕のある週末にはバーテンダースクールを開くなどはもちろん、さまざまな企画を催している。日本文化啓蒙(けいもう)のためだろうか、落語の会なども人気だ。
そんななか、今年は新型コロナウイルスの影響により飲食業界のみならず、エンターテインメント界も大きな打撃を受けた。花柳界ももちろんだ。
「芸者衆はお座敷が難しいという状況に追い込まれまして、3月から本当にぼーっとして過ごすだけの毎日。お客さんから『なくなってしまったのか』『生きてるのか』と言われまして、何かイベントをと思い立ち、10月の中ごろ、宮崎さんに相談したところ、快くお引き受けいただき、このような運びとなりました」。
バー業界も、このコロナ禍でとても人ごととは思われない。都知事に「バーなどの接待のともなう飲食店」と名指しにされ、惜しまれつつ店を畳んだバーなど、一つや二つではない。その余波は銀座の世界的に著名な老舗まで及んだ。テンダリーとて例外ではなかった。
「(バーテンダー以外が)カウンターに入り、お酒をふるまうのは失礼かと思いましたが、宮崎さんからも『やってみましょう』とお返事をもらい、うまく行けば相乗効果でとおっしゃっていただき、また『芸者さんに会ってみたかった』という人もいらっしゃったとかで」
その効果はあり、11月に企画された会は全て予約で満席。栄太朗の言葉を借りると「恥を忍んで」チャレンジした甲斐があったようだ。
「(芸者衆は)おいしい食事に、『うれしい』『楽しい』を上乗せする役割。『美しい』『楽しい』とおっしゃってはもらえるものの、お酒だけを『おいしい』とおっしゃっていただいて、すごく新鮮な気持ちで初心に返りました」
栄太朗にとって、バーとお座敷には共通点もあるという。
「バーもお座敷もお酒を提供する場。そして、バーではバーテンダーの成長を応援するお客さんも多い。お座敷も芸者の成長を応援していく…そんな点は、本当に共通していると思います。また、バーもお座敷も一種のエンターテインメント。日本舞踊も、一人一人の捉え方でパフォーマンスが異なりますし、バーテンダーさんのスタンダードもそれぞれ違う。お客さんをもてなすという点は似ております。踊りを踊るのも、シェイカーを振るのも体幹がしっかりしていないダメなんですね。踊りもお酒作りも、マネはできますが、やはりプロとは異なります。似ている点は多いと思いますよ」。
それを聞いていた宮崎さんも「かなり真剣に練習していただいて。やはり極めた方は真剣味が違う。飲み込みが早い」と絶賛。そんな真摯(しんし)な姿勢がバーテンディングに反映され、このイベントが客から支持されたのだろう。
実家が置屋だったという縁もありつつ、花柳界もどんどんと人手が少なくなって行くなか、両親が「やらせてみよう」という考えからスタートした栄太朗のキャリア。時には「なんで、こんなことを」と疑問に思った時期もあったという。しかし現在では、「自分のやりたいことをやって生活していけるというのは、ありがたい」と考えるようになった。
「新型コロナも悪いことばかりではありません。テンダリーさんの格式を下げてしまうのではないかと恐れもしましたが、こんな時期だからこそチャレンジできたとご理解いただきたいと思います」と思慮深い。
「いろいろなご縁をいただき、川が流れるようにここに立っております」と、たおやかに答える栄太朗さんのほほ笑みが『モナリザ』のように印象的だった。こうした日本の伝統芸を末永く支持して行かなければならないと心新たにする思いだった。
残念ながら、次回の「芸者バー」のスケジュールは未定とのこと。しかし、こうしたご時世、また機会が訪れることだろう。
なお、まつ乃家では、羽田空港での外国人の出迎えイベントや、会社や店の新規開店の祝いなどに華を添えている。通常のお座敷にはもちろん芸者を派遣しており、一人2時間2万5,000円(鳴り物が必要なので、たいていは三人から)。ハレの門出に華を添えるなど、意外に手頃に依頼できそうだ。
テキスト:たまさぶろ
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