音楽業界の人間がひとりもいないチーム
―タイコクラブの運営チームのなかで、安澤さんはどういったポジションにいたのでしょうか。
ざっくりと言うと、全体を見る立場にいました。あとは外部への発信を行うPRですね。ブッキングに関しては、チーム内に専門の担当がいたわけではなく、皆で 意見を出し合って決定するというプロセスで行なっていました。来年から『FFKT』をやるメンバーは彼ら自身がDJをやっている人たちなので、ダンスミュージック系をブッキングすることも多く、私はそれ以外の部分、バンド寄りのものだったりエレクトロニックミュージックなどから、これから面白くなっていきそうだと思えるものを選んでいたという感じですね。例えばKing Krule、Tycho、XXYYXX、Arca、NONOTAK、Toro Y Moi、Jon Hopkins、Acid Arab、Venetian Snaresとか。ちょっとした味付けをする部分ですね。
『FFKT』を主催する森田、大谷たちとは、喧嘩別れとかそういったことはまったくないです。彼らのなかでは、彼らのやりたいことが100パーセント表現できていなかった部分があったのかもしれません。ただ、それが今回のタイコクラブ終了の直接の原因ではないです。『FFKT』の名前の由来(the Festival Formerly Known as TAICOCLUBの略)に関しては知らされてなかったので、後から知って「それはどうなの?」とは思いましたが(笑)。
―テクノだけ、ロックだけのフェスティバルではなく、もっと幅広いジャンルを扱ったものをやるというコンセプトは、主に安澤さんが主張したものということですか。
いえ、それは当初、メンバー全員に共通してあったものだったんじゃないかと思います。「タイコクラブ」という名前も、音楽の原体験としてある太鼓とクラブミュージックの合いの子であるという意味で当初のメンバー3人でつけたものでした。
―MOODMANさんが言っていた「その年に面白いと思ったものを衝動的に声をかけてる感じ」のあるディレクションも、最終回になっても変わりませんでした。
そうですね。今回は特にほかの3人が気を使ってくれたのか、僕の趣味のものがかなり多くなった。FKJやハイエイタス・カイヨーテ、Kiasmos、Qrion、Loneなど、好き勝手にやらせてくれたのだと感謝しています。昔のタイコクラブに来てくれていた人には、タイコクラブはテクノのフェスだと認識されていたりすることが結構あるんですが、当時のメンツを見わたしても、どこをどう見ればそうなるのかなと思いますね。
―近いジャンルのアーティストが2〜3組出演していれば、そこのクラスタの人たちは反応するということでしょうか。
そう。色々な切り取り方があって面白いなと思いますよ。日本人のアーティストしか観ない人もいたり。
―でもそういう人も、タイコクラブに足を運ぶうちに視野が広がっていったというケースもあるんじゃないでしょうか。
変わってきたなと思う瞬間はありましたね。今年、FKJにあそこまで人が集まったのも正直びっくりしました。
―タイコクラブは、ラインナップのテイストだけでなく、ブッキングの際にレーベルを間に挟まずにアーティストと直接交渉をしたり、チケットの発送を自前で行なっていたりと、運営面でもユニークな点が多いです。なぜ、そのようなやり方になったのですか。
ほかと違うものをやろう、というのはもちろんありましたし、お手本になるイベントも当時は少なかったので、独自のやり方を探ったというのはあります。ですが、音楽業界の人間がひとりもいないチームなわけで、ブッキングの際にレーベルやエージェントを通すという常識自体を知らなかっただけ、ということがまずありました。分からないままやってしまって、でも意外とスムーズに進んでしまった後に、レーベルの方から怒られるという感じでした。ただ、こういった独自のやり方をしていくことが後続のフェスティバルに良い影響を与えるだろうという思いもありましたし、先進的なことをしているという自負もありました。
チケットの発送に関しては、ちょうどその頃に(オンラインの)ショッピングカートみたいなものが出てきたタイミングだったんですね。ブッキングでは出演料を先払いしなくてはいけない場合も多く、資金があまりなかった当時の我々としては、チケットサービスに委託して売り上げを後払いで受け取るやり方は苦しかったわけです。なので、自分たちで直接売って、発送までしてしまえというのが始まりですね。あと、委託しない事で、チケット購入者の情報を得ることができたんですよ。直接販売したことで、12年間分の購入者の情報を蓄積させることができたのは、とても重要なことでした。
―その蓄積した情報が、運営やブッキングへ反映されていた?
されていましたね。あとは、アナウンスのメーリングリストや年賀状を送ったり、お客さんとのコミュニケーションがより取りやすいということがありました。