タイムアウト東京 > トラベル > 東北アップデート > 東北アップデート:東北アップデート:生との闘い
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起伏に富み、緑豊かな農村地帯だった福島県飯舘村。2011年3月に起きた福島第一原発の爆発事故の発生以来、原発から30~50Km地点にまたがるこの地は、年間の積算放射線量が20ミリシーベルトを超える深刻な環境汚染を背負わされ、国から居住制限下の「計画的避難区域」に指定された。村にいた6000人以上の全村民は、未だに避難を余儀なくされている。避難先の仮設住宅では動物との同居が禁じられている故に、被災者は飼い犬や猫を自宅に残していかなくてはならず、その為、ペットを世話しに一時帰宅するという状況が、事故発生以来ずっと続いているのだ。付近10箇所に点在する仮設住宅から村までは、片道40分〜1時間以上の道程。事故から3年がたった今も生活の見通しが立たない上、村民には高齢者が多く、毎日の帰宅が叶う世帯は少ない。
日比輝雄が、人の営みが消えたこの村に取り残されている犬猫の世話をする為、65km離れた郡山市からほぼ毎日足を運び始めてから、400日を数えようとしている。今年70歳になる日比は、定年退職後、趣味の登山やアウトドアを満喫する穏やかな日々を送るはずだった。彼の第2の人生を一変させたのは、東日本大震災から1年が過ぎようとしていた2012年2月のこと。当時、神戸に在住していた日比は、始めたばかりのツイッター上で飯舘村に置き去りになっているペットの苦境を目にした。その悲惨な状況を丸1年、自分が何も知らずにいたことに愕然とし、インターネットで情報を収集し始めたのがきっかけだった。
その目で状況を把握するため、同年4月には現地に出向き、被災動物の保護シェルターでの手伝いを体験しながら、翌月からは新幹線とレンタカーで、月2回ほど村へ通い始めるように。インターネットを通じて知り合ったボランティア仲間と村の地図や情報を共有し、朝5時から夜9時まで、取り残された動物の給餌のためにたった1人で50~60軒を回る。夜、ホテルに戻って倒れるように眠り、明くる日また給餌に疾走する。飯舘村には彼のように活動を行うボランティアの受入態勢がなく、給餌で出る缶などのゴミは、引取りを交渉して現地のホームセンターで購入し調達した。神戸への帰路には毎回感情を抑えきる事ができず、仲間に報告を送りながら人目を気にせず泣くことのできる、グリーン車を利用した。7月、月2回の訪問では埒があかないと福島への移住を決意。住む場所を探し、8月末には郡山へ引っ越しを敢行、9月からはほぼ毎日、給餌活動に明け暮れる日々を送っている。