東北アップデート:差し出された手

東北アップデート:差し出された手

被災地復興の手助けを行うハンズオン東京の活動を追った

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テキスト:Nick Narigon

2011年3月11日、サイトウ一家はすべてを失った。その日東北地方を襲った巨大地震に耐え抜いた、宮城県山本村にあった家屋は、地震に続いてやってきた津波によって農作物、ビニールハウス、トラクターとともに破壊され、生活手段は失われた。「家族は無事でした」と、家主のサイトウカズオは振り返る。「それがせめてもの救いでした」と。

5年が経過した後、土砂は取り除かれ、再建されたビニールハウスでは作物が再び元気に育っている。この復興は、日本のボランティアと外国の慈善団体を結び付ける活動を行なっている組織、ハンズオン東京の活動に拠るところが大きい。

3.11の後、同組織は生活物資を届けることに重点を置いていたが、被災地で必要とされているのは物資ではなく人なのだとすぐに気が付いた。それから毎週、ボランティアが宮城に足を運び、瓦礫を片付けたり、ポップアップカフェで無料の食べ物を提供するようになった。

「私達は人々を励まし、彼らのことを忘れていないということを伝えようと、被災地に足を運びました」こう語るのは、災害サービスを担当するハンズオン東京のプロジェクトマネジャー、ホズミナホだ。

今日、ハンズオン東京は被災地で80以上のボランティア企画を展開し、毎月ボランティアを派遣し続けている。14歳から65歳までの、世界中から集まった約2200人のボランティアが、援助の手を貸してくれた。

「生活を立て直そうとしている家族と関係を築いてきました」と、2011年からハンズオン東京で定期的にボランティアに従事しているジェイ・ポナセッキは言う。「ボランティアの人たちはどんなことにも前向きです。彼らからは、笑顔にはとてつもない力が宿っているというシンプルだけど大切なことを教えられます」。

ポナセッキは、雄勝の住人が漁村の入り口にある花畑の手入れをするのを手伝った時のことを思い出す。雄勝では、津波の後に人口が4300人から900人まで減少した。現在花畑では花が咲き、帰省する人たちに少しでも良い思い出を持って帰ってもらおうとしている。「前回村を訪ねた時は、ラベンダーを中心に植えました」と、ポナセッキは語る。「人々はそのラベンダーを摘み取り、自分たちで準備した会場でポプリとして販売します。これぞまさに、慈善事業です」。

今年の夏、ハンズオン東京は、東京養護施設の子どもたちと週末の旅行を企画し、福島県の南相馬市を訪れた。この町は、放射能の懸念から立ち入りが禁止されていたが、最近、住人たちの帰宅が許可された。子どもたちはそこで、5年半分の雑草を庭から取り除く68歳になる音楽教師を手伝った。

「日々の生活の中で、助けを受ける立場にある子ども達が、社会のために自分たちに何ができるのかを知ったことは、本当に良かったです」とホズミは言う。「この活動の後、彼らが自信を持つようになったのには本当に驚いています」。

「福島の人たちは、自分たちが忘れ去られてしまったように感じています。ただ顔を見せるだけでも、それは力強いメッセージになるのです」と、ポナセッキは語る。「最初の生育シーズンにサイトウさんに出会った時、彼は人見知りして、気まずそうに協力を求めてきました。今では冗談も言いますし、微笑みかけてもくれます。津波の前の状態まで、ある程度回復して来たことが分かるでしょう」。

サイトウは、妻、子ども、そして孫とともに依然として仮設住宅に住んでいるが、ゼロの状態からスタートして5年が経ち、今年の収穫では豊作が期待される。「ハンズオン東京の皆さんのボランティア活動は、大きな助けとなりました。私たちはとても感謝しています」と、サイトウは言う。「どなたも熱意に溢れ、笑顔を絶やしません。その笑顔のおかげで、私たちは楽しく、前を向いて進むことができます」。

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