「どれほど素晴らしい特権であったか、言葉では言い表せない。 生涯忘れないだろう」。日本的寛容の発見ツアーに参加したビジネスエグゼクティブの一人は4日間にわたる日本での体験を振り返り、改めて感嘆の意を表した。
2024年8月の最終週、台風10号日本上陸のニュースが飛び交う中、5人のビジネスエグゼクティブが京都に集った。目的は、「日本的寛容の発見」を体感するツアーへ参加するためだ。多忙なスケジュールを調整し、IT企業の創業経営者や現代アートのディレクター、生成AIスタートアップの起業家など多様なバックグラウンドを持つ面々が来日した。
日本人の美意識に深く根付く「寛容」の精神
Photo: Keisuke Tanigawa 廣川玉枝
そもそも今回の体験ツアーのコンセプトである「日本的寛容」とは何なのか。ツアー2日目に開催されたフォーラム「INTO THE BRIGHT KYOTO」に登壇した廣川玉枝(SOMA DESIGN クリエイティブディレクター)は、「日本的寛容の発見」と題したプレゼンテーションのなかで、「重ね」「余白」「見立て」といった日本人の美意識の構造を具体的にあげながら「物事を多角的に見て、予測できない変化を柔軟に受け入れる精神性であり、二元的ではないグラデーションと自分らしい美を見い出すこと」と語った。
Photo: Keisuke Tanigawa 妙心寺退蔵院 副住職 松山大耕
また、同じくフォーラムに登壇した妙心寺退蔵院副住職の松山大耕は、日本的寛容は「Japanese tolerance」と言われるが「Japanese harmonization」の方がより適切な表現かもしれないとし、庭園や絵画、アーチェリーなどを例にあげ、西欧と日本の異なるものの見方や考え方について分かりやすく説明した。松山は、西洋のアーチェリーと日本の弓道との違いについて、「弓道では的を射ることは重要ではなく、型や呼吸を通じて自らの精神性を高めることにその意味を見出す」と語った。
Photo: Keisuke Tanigawa ゲストスピーカー。左から廣川玉枝、ジェイコブ・ベンブナン、マーサ・ソーン、ヘスス・エンシナル、アンドリュー・スターク、スザンヌ・ビルブラッヘル、松山大耕
これら日本人登壇者たちの話は、参加したエグゼクティブたちに新鮮な驚きを与えたようだ。異なる視点や新しい文化的な学びに大いに心を打たれたとのコメントが寄せられた。
Photo: Keisuke Tanigawa 青木涼子と竹本聖子が「能 × 現代音楽」の演目を披露する一幕
フォーラムの最後には、サプライズゲストとして能声楽家の青木涼子が登場し、チェロ奏者とともに圧巻のパフォーマンスを披露した。日本の伝統芸能である「能」と現代音楽の融合を目の前で体験したことで、「日本的寛容の発見」について、参加者たちはさらに深く体感することができたようだ。
「人との出会い」に注目した旅のデザイン
Photo: Keisuke Tanigawa
今回のツアーは、京都、石川(輪島・金沢)、富山の3つの地域で行われたが、単に観光体験をするだけではなく、「人との出会い」の大切さも重視してデザインされたのが特徴である。
ウェルカムレセプションに登場し、「日本的寛容」をテーマにしたこの会のためだけの一品を披露した「 京都吉兆 」 の総料理長・徳岡邦夫は、挨拶で「汐(うしお)汁は、室町時代の頃に起源がある料理技術です。さまざまな時代や地域、食材など複雑な要素を否定する事なく取り入れて、バランス良く組み合わせることにより、継続可能な新しい価値を生み出し続ける。これこそが、日本の寛容性が生み出した、人類が必要とする考え方、つまり文化なのです」と日本料理の世界における日本的寛容について語った。
翌日、参加者たちは京都吉兆でクリエーティビティあふれるディナーで素晴らしいサプライズ体験を味わった。
能登で外国人が参加する初の被災地ツアー
Photo : Keisuke Tanigawa
石川では、2024年1月1日に発生した「能登半島地震」で大きな被害を受けた輪島を訪問。これは、外国人が参加する被災地ツアー としては初めての試みとなった。そして、復興の中にありながら、この企画を実現させてくれたのが、創業200年の歴史を誇る輪島塗の老舗「田谷漆器店 」の若き社長・田谷昂大である。彼との出会いは参加者たちに強い印象を残したようだ。
Photo : Keisuke Tanigawa|田谷漆器店の代表を務める田谷昂大
参加者からは、「田谷社長は信じられないほど勇敢だと思う。とても親切に話してもらい、彼に対して大きな尊敬の念を抱いた」や「地元の人々と交流し、彼らのレジリエンスや自然の威力を目の当たりにしたのは強烈な体験だった」、「大変な状況にもかかわらず、事業を再建しようと努力している姿が印象的だった」といったコメントが寄せられた。
Photo : Keisuke Tanigawa
タイトなスケジュールの中での輪島訪問は参加者にとっても厳しい行程ではあったが、実際に被災地に赴き、被害の爪痕を直接見ることができたことは、彼らにとって心揺さぶられる体験となったようだ。
そして、田谷らが個人的な震災体験を語ってくれたことは、参加者たちに大きな影響を与え、自然との共生やレジリエンス、復興とまちの再生について深く考える機会を与えた。
Photo: Keisuke Tanigawa
輪島では被災と復興にまつわる話が多かったが、参加者たちにとっては輪島塗の技術と美に触れられたことも大きな体験となった。翌日の富山でのツアーのなかで「漆」という言葉が参加者からよく聞かれたことからも日本文化と「漆」が彼らの中で少し繋がったのが伝わって来るようであった。
Photo: Keisuke Tanigawa 銭屋にて
金沢では「銭屋 」2代目主人・高木慎一朗との出会いもあった。銭屋での体験は、素晴らしい食事はもちろんのことだが、参加者たちがこれまで味わったことのない日本の地方都市における親密で心地よいホスピタリティを感じるものだったようだ。
「全てが信じられないほど素晴らしい」と絶賛
Photo: Keisuke Tanigawa
最終日に訪れたのは富山である。ツアー参加者は富山という地名も知らず、全く初めてこの地を訪れることとなった。実は富山には「人の出会いが実現した」といえる素晴らしい場所がある。一つは、富山駅から車で40分ほど行った田園の中に建つ「白岩酒造 」だ。
Photo: Keisuke Tanigawa
5代目醸造最高責任者として28年にわたりドンペリニヨンを率いたリシャール・ジョフロワが抱いていた日本で日本酒づくりをしたいという思いは、1893年創業から続く富山「桝田酒造店 」の蔵元の5代目当主である桝田隆一郎との出会いによって現実のものとなった。それが白岩酒造であり、ワインの製造手法、アッサンブラージュを取り入れることにより生まれた日本酒「IWA」だ。
Photo: Keisuke Tanigawa 白岩酒造
「白岩酒造」は、建築家の隈研吾がその酒蔵を手がけており、緑豊かな田園風景の中に佇む建物は景観に融和しながらも一際洗練され、凛とした肌触りを表出させている。酒蔵には醸造設備だけでなく、レセプションルームなどが備えられており、壁紙の一つに至るまでその全てが、米と酒にまつわる壮大な日本文化の源流を辿るストーリーを語ってくれる。専任のインタープリターによる館内のガイドに参加者が夢中になり、大幅に予定時間を超過してしまったのも頷ける深みのある体験であった。
Photo: Keisuke Tanigawa 桝田隆一郎
そして、2つ目は、富山市の北部に位置し、かつては北前船の寄港地として栄えた岩瀬にある。四半世紀をかけて、この地に美しい景観を取り戻すべく少しづつ整えてきたのが、白岩酒造誕生にも大きく関わっている桝田だ。
Photo: Keisuke Tanigawa
桝田のまちづくりは、デベロッパーや自治体らが主導するものとは大きく異なっている。今回の参加者には持続可能な地域やまちづくりの専門家も参加していたが、彼らが一様に岩瀬での体験を絶賛したのは、その答えの一つを桝田の取り組みの中に垣間見ることができたからだろう。
Photo: Keisuke Tanigawa
Photo: Keisuke Tanigawa
その奥に何があるのか分からない扉を一つずつ開けていくような、そんな楽しさをたたえた岩瀬の街歩き。そして、「桝田社長との出会いは目から鱗が落ちる体験だった。全てが信じられないほど素晴らしく、岩瀬の秘密を解き明かす鍵を渡されたと感じた。本当に別次元の体験だった」というコメントに表されるように、桝田の軽快でユーモアあふれるガイドとリーダーシップは、まさにこの旅を締めくくるに相応しいクライマックスへと参加者たちを導いたようだ。
エキスパートによるガイドの意義
Photo: Keisuke Tanigawa
さて、このツアーの始まりに話を戻そう。フォーラムの前日、参加者たちはウェルカムレセプションに参加するため、「京都市京セラ美術館 」を訪れた。レセプションに先立って行われた、「 村上隆 もののけ 京都 」 展の夜間特別ツアーは、閉館後の静かな環境の中で同館所属のエキスパートたちによるガイド付きで村上隆の世界に浸れる特別で贅沢な体験となった。
Photo: Keisuke Tanigawa
購入した図録にガイドの人のサインを求める参加者が現れるなど、あらためて伝える役割の大きさを感じる一幕でもあった。
参加者の視点に変革が起きる旅
Photo: Keisuke Tanigawa
今回実施された「日本的寛容の発見」の体験ツアーは、日本文化の真髄に触れてもらうことで、より深く日本と関わりたい、もっと日本文化を知りたい、再び日本を訪れたいという思いを参加者に抱いてもらえるかという試みである。つまり、日本での滞在体験が、ただ体験として消費されるのではなく、参加者の記憶に残り、さらには彼らの帰国後の行動に何らかの影響を及ぼすことを期待するものだ。
実際の成果は、長期的に見ていくことになるが、最後に参加者のコメントとこのプロジェクトを共同で企画運営したサフラン・ブランド・コンサルタンツのレビューを紹介してレポートを締めくくりたい。
「(次の目的地である)ソウルに着いてから、富山での体験について話すのを止められなかった。いつも一緒に世界中を旅しているグループにも話をし、写真や動画を全て見せた。彼らのために、滞在中に歓迎してくれた人たちに是非連絡を取りたいと話していた。本当に素晴らしく、再び訪れたい気持ちを抑えられない」(スザンヌ・ビルブラッヘル)
「このプロジェクトは、旅行者が普段訪れることのない日本への扉を開いたが、それはただ美しい場所を訪れるだけではなかった。そこに根付く人々に出会い、物語に触れ、理解し、探求し、繋がる機会を得たことがエグゼクティブにとって一番の収穫となっている。彼らのような好奇心旺盛な旅行者は、新しい視点を提供するトランスフォーマティブ(変革的)な旅を求めており、日本の精神に深く浸ることこそが自らの時間とリソースを投資する価値がある体験と捉える」(サフラン・ブランド・コンサルタンツ)z