世界に発信できる東京の文化に向けて

Zeebra、真鍋大度、MIKIKOら登壇のトークセッションをレポート

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In association with TOKYO MUSIC ODYSSEY
 
テキスト:高岡謙太郎

普段生活する都市は創作物に影響を与える。パンクの興隆のあったロンドン、ヒップホップが生まれたニューヨーク、テクノが根付いたベルリン。どのジャンルも都市の影響は色濃い。では、日本の中心地、東京ならではの未来の音楽とは。

「スペシャ」の愛称で親しまれる日本最大の音楽専門チャンネル「スペースシャワーTV」による音楽とカルチャーの祭典『TOKYO MUSIC ODYSSEY』が、2017年3月2日(木)〜3月8日(水)にわたって開催された。渋谷を中心にライブや上映会など多面的な切り口のイベントが行われ、最終日の2017年3月7日(火)には2016年に最も活躍したアーティストを表彰する『SPACE SHOWER MUSIC AWARDS』の授賞式が行われた。

今回レポートをするのは、2017年3月4日(土)、5日(日)で行われた「音楽と都市の未来」をテーマにした3本のトークセッション『TALK SESSION & CREATOR'S TALK』。渋谷スペイン坂のGALLERY X BY PARCOを会場に、次世代の街やカルチャーを創造するミュージシャン、クリエイターとして、真鍋大度(Rhizomatiks)、MIKIKO(演出振付家)、Zeebra、オカモトレイジ(OKAMOTO’S)、山田健人(映像作家)が登壇し、自身の活動や今後の展望などを語った。

世界を魅了する、メイドインジャパンのクリエイション

言うまでもなく、今やインターネットを経由すれば世界各国のクオリティの高いパフォーマンスを動画でいつでも閲覧できることが当たり前の状況となった。必然的に国内での活動が海外と比較される状況で、世界水準の表現をいかに提示していくのか。そして受け手が求める日本らしさとは何なのか。

そういった問題と常に対峙しながら、テクノロジーと身体表現を駆使した演出方法で国内外で高い評価を得ているのが、メディアアーティストの真鍋大度と、演出振付家のMIKIKOだ。この2名のセッションでまず話題に出たのが、彼らが制作に参加したリオ五輪閉会式でのフラッグハンドオーバーセレモニーだ。2020年の東京オリンピックに引き継がれるパフォーマンスに、過去の作品に取り入れた技術をふんだんに盛り込んだ演出を敢行した。

「伝統芸能ではない日本らしさや、今、東京でリアルなパフォーマンスは何なのか、ということを考えた上で、一番かっこいいものだと信じることのできる演出を考案しました。尖った表現をしていますが、若い人からお年寄りまで幅広い層に誇りに思ってもらえた感覚が得られました。みなさんの見る目が肥えてきている中で、迎合せずに表現を追求できたかと」(MIKIKO)

「セレモニーの出番は8分間なので、1秒2秒を取り合う。シミュレーションをして何が可能なのかを落とし込むのが大変だった。ありえなかったのが本番環境でリハーサルが1回もできないこと。ダンサーが踊るのは本番のみだったり、オリンピックならではの味わったことのない制約を体験できた。リオでは言葉の壁や資材の輸送の問題があったが、日本ではそういった問題がないので、制限の少ないクリエイションができるはず」(真鍋大度)と、2020年の東京オリンピックへの意気込み含めて聞かせてくれた。

では、今後の東京の可能性を広げるにはどういった事ができるのか。「実験や開発するスペースに飢えています。パリなどは作品を作るスタジオなどを国や市が運営していて、東京にもそういった場所があれば変わってくると思います。日本よりも海外の方が活躍の場が多いので、日本ならではということを感じる場を増やし、拠点として整備していくことは重要」(MIKIKO)。

「海外、特にニューヨークは、イベントに集う人の種類がごちゃ混ぜで横のつながりが生まれやすい。東京はファッション、ギーク、ミュージシャンなど各コミュニティが縦割り。もっといろいろな人が集まり交わる場があってほしい」(真鍋大度)

「日本人のメディアアーティストはお金が回っている海外に出ていってしまっている。東京が日本発のコンテンツの価値を高める場所になることで、国内外からアーティストが集まるようになる。ミュージカルで例えるならブロードウェイという場所の名前だけで印象が変わるような地域があってもいいはず」(真鍋大度)

最後に、都市に対して具体的な取り組みの提案を求められた真鍋は、こう答えた。「例えば、日本国内に特別な地域を作って、そこでは街角にセンサーやカメラがたくさん取り付けられていて、街行く人々からデータが取り放題、ということができたら面白いと思う」。真鍋のテクノロジーに対するプロ根性がにじみ出た発言に会場では笑いが起きたが、このようなインパクトのある施策を今の東京は欲しているはずだ。

クロスオーバーするTOKYOカルチャー

世界と東京の対比から、次は東京のストリートや音楽カルチャーの話題に。登壇者は、東京を代表するヒップホップアーティストでありアクティビストのZeebraと、東京出身でロックバンドOKAMOTO'Sのドラマー、オカモトレイジ。

まずは都市と音楽シーンの変化をZeebraがヒップホップサイドから紐解いた。「うちらの若い頃は、アーティストは東京に出てこないと話にならないという状況。ヒップホップ黎明期の1990年代のヒップホップブームから00年代はバブル期として盛り上がり、5年ごとに世代交代があった。現在まで良い意味で広がりが生まれたと思う」。実際、最近では渋谷駅前でフリースタイルを行う若者を見かけるようになり、ヒップホップの定着具合は肌で感じるところだ。

「ヒップホップは地元に根づいてなんぼ。ニューヨークでは出身地域を区ごとに称する文化がある。我々も東京も分けようと思い、城南や城東など学区ごとにレペゼンすることを思いつき、『城南ハスラー』という曲を作ったけれど、現在は地元を代表することが定着して、願ったり叶ったり。そうした音楽が自分たちのエリアの曲となっていくことが90年代との違いかな」(Zeebra)


シーンを牽引するべく、若手のアーティストをビジネス面でもサポートする裏方業が現在の活動の大半だというZeebra。一方で、風営法改正への働きかけにも参加し、アーティスト活動以外の取り組みを数々行っている。その意識の根源についてはこう語った。「音楽は革命的なもので、音楽が世界を変えていくものという意識がある。ヒップホップも、パブリック・エネミーなどがメッセージで世の中を動かしてきていた。『Peace』とリリックに盛り込むのは簡単。そこからどうアクションをするのかが重要。文句を言うだけでなく、ちゃんと説明して建設的にしていきたい」

続いて渋谷の街の音楽事情の現状について、オカモトレイジが自身の皮膚感覚を述べた。「街の中にライブハウスがあり、音楽活動をすることが自然になりました。ただ、最近ではどんどんライブハウスが減っていってしまっている。大きいものか小さいものの二極化が進み、中間がなくなってきているので、いろいろと大変です」。


そうした状況に対し、Zeebraは「韓国が発信するK-POPは、日本の音楽よりも欧米的。日本は国内だけでマーケットがまわるが、韓国は人口が日本の半分ということもあって、海外に向けて音楽を発信している。ベルリンがテクノの街と言われるように、東京はヒップホップの街だと言われたい。そのために、ニューヨークのように24時間電車が動くようになって、夜中の2時に終わるイベントがあるなど、多様性のある枠組みが欲しい」と夢を語った。

ロックやヒップホップといった欧米の音楽に影響されながらも、ガラパゴス的な進化や享受をしてきたからこそ生まれるユニークな音楽が、日本には存在している。だが、日本の音楽を国際的なコンテンツとするためにはまだまだ、あらゆる場面の土壌を整えていく必要があるだろう。

気鋭の映像クリエイターが映し出す、都市と音楽の未来

セッションプログラムの最後に登壇したのは、東京ならではのクールさを視覚表現に反映させる、24歳の気鋭の映像作家、山田健人(dutch_tokyo)。冒頭、最近では多忙なあまり連絡がつかない人物であると紹介されたが、実際その人気は右肩上がりの状況である。

彼の手がけたミュージックビデオ、Suchmosの『STAY TUNE』や宇多田ヒカルの『忘却 feat. KOHH』は大きな話題を呼び、今を代表するアーティストたちから信頼を得る若手映像作家としてその名を知らしめた。それだけでなく、バンドyahyelにはVJとして名を連ねている。そんな彼の作品性とそのクリエイティブの源泉が語られた。

生粋の東京っ子である山田。高校時代はアメフト一筋。引退後、世田谷の高校生たちが運営する大規模なイベント『青二祭』のオープニング映像を作ったことから映像制作の道に進むことになる。学生時代にはすでにSuchmosやyahyel、SANABAGUN.といったバンドのメンバーと出会い、繫がりが生まれていた。彼らからミュージックビデオを頼まれるなかでセンスを養い、現在に繋がる作家性を作り上げてきた。今までに手掛けたミュージックビデオには「すべてかっこいいシーンだけで構成されるようにしたい」というコンセプトがあり、綿密な作業のもとに妥協を許さずに作られたそうだ。

映像制作の際に彼が重要視するのは、相手との関係性だ。発注を受けて制作をする際は、俯瞰的な立ち位置を常に意識しているという。「yahyelでのVJは100%、僕の表現だと思っている。対して、ほかのいろいろなアーティストのミュージックビデオを作るときは、作家性を出すべきではないと考えていて。楽曲は音楽家のものだから、そこに絵を付けるという時点で何かの意味が生じてくる。なので、どう撮ってあげればいいのかを第一に考えています。自分のやりたいことというよりは、相手を尊重しています」。

今後の話になると、ミュージックビデオの制作は信頼できる仲間の作品のみに絞り、ショートムービーなどの映像制作を行うと語っていた。山田は終始淡々した口調であったが、「文化を背負って自分が前に出ていくしかない」など言葉の端々から情熱が感じ取れ、東京の街の音楽シーンで育った映像作家のリアリティに触れることができた。

未来を見据えた街づくり

現在の東京には、海外発の音楽ジャンルを受け入れ、日本発の楽曲を楽しむ場が確実にある。この3本のトークを聴き終えて、そうした音楽文化の定着を改めて実感できた。東京のクリエイティヴな横のつながりから生まれるものは、海外に文化を発信するための土台となる。そして、より強度のあるものを多く生み出す土壌を形成していくことがこれからの課題だ。優れた文化が自然に発生する環境を整えて、作家たちのポテンシャルを引き出していくことが、東京の街に求められていることなのだろう。

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