Tokyo meets the world  San Marino
Photo: Kisa ToyoshimaAmbassador of San Marino to Japan Manlio Cadelo
Photo: Kisa Toyoshima

サンマリノにワイン畑併設の日本の神社、駐日大使が語る建立の思い

同国に日本の神社ができた経緯、日本古来の「SDGsな生活」など

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東京2020オリンピック・パラリンピックが終わった今、東京で暮らす人々の多くは、これからの東京や日本の新しい方向性を示すための新鮮なアイデアやインスピレーションを求めているはず。タイムアウト東京は「Tokyo meets the world」シリーズを通して東京在住の駐日大使へのインタビューを続け、都市生活における幅広く革新的な意見を紹介。中でも、より環境に優しく、安全で幸せな未来へと導くことができる持続可能な取り組みに特に焦点を当ててきた。

今回は、イタリアに囲まれた「ミニ国家」サンマリノ共和国のマンリオ・カデロ大使に話を聞いた。1975年から日本に居住し、この国の文化や歴史に深い造詣を持つ。また、在京外交団の取りまとめ役である外交団長も務めている。

そんな彼とORIGINAL Inc.のシニアコンサルタントでSDGs(国連の持続可能な開発目標)関連の業務を担当した経験のある元外交官の高橋政司が対談を実施。サンマリノの歴史や文化に加え、同国に神社を建立した経緯を紹介。また、日本人が縄文時代から実践してきた「サステナビリティ」や日本古来の文化、習慣を守る大切さなどについて語ってくれた。

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世界最古の共和国

ーサンマリノは世界で最も古い共和国だと聞きましたが、どんな国ですか。

日本に比べれば若い国ですが、西暦301年に設立されました。聖マリヌスというキリスト教徒が作った国で、その時代にローマ帝国でキリスト教徒はかなりひどい扱いを受けていたため、マリヌスは(後の)サンマリノで自分の考えや哲学に賛同する人を集め、理想の国を作ろうとしました。

サンマリノの良い面は、欲張りではないことでしょう。(標高749メートルの)ティターノ山の上に位置し、国土は61平方キロメートルと自分たちで守れる範囲だけの大きさで、広げようとはしません。一度はナポレオンから広大な領土を提案されましたが、それを断り、自分たちの領土だけでいいと伝えたそうです。

東日本大震災をきっかけに神社を建立

ーサンマリノには最近、日本の神社ができたと聞きました。

日本には、キリスト教カトリックとプロテスタントの教会が北海道から沖縄まで991堂あります。ヨーロッパにも日本人が数多く住んでいるのに、神社が一つもなかったんですよ。寺はありますが、神社はありませんでした。

東北で東日本大震災と津波が発生した際に世界中から支援が集まったのですが、サンマリノ人はもっと日本のために、何か一生残るようなことができないかと考え、日本の文化、哲学である神道にたどり着きました。力を尽くして神社本庁、宮内庁、外務省から許諾をもらい、伊勢の職人さんが社殿や鳥居を造ってくださって、やっとサンマリノに日本の神社ができました。コロナ禍以前は毎年6月末に祭りも開催していましたよ。

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「神社ワイン」を隣の畑で製造

ー外務省のデータによると、日本に住んでいるサンマリノ人の数はわずか7人です。本当でしょうか。

おっしゃる通りです。あまり交流はないのですが、私は毎年クリスマスの時、みんなにプレゼントを送っています。サンマリノの雰囲気は日本では味わえないのですが、サンマリノのワインなら新橋のむらまつ酒商類で手に入れることができるんです。

サンマリノの神社の隣には大きなブドウ畑があって、『SAN MARINO-JINJA WINE(神社ワイン)』を作っています。このワイン製造者たちは国家公務員です。これは世界でサンマリノだけの制度ですよ。私たちの国の政治家もワインが大好きですから(笑)。『SAN MARINO-JINJA WINE』のラベルは毎年変わって、その年の干支をテーマにしています。

お台場と真鶴がお気に入り

ー新橋で探してみます。東京でお気に入りの場所はありますか。

はい、たくさんあります。お台場が特に好きですね。海を見るだけで落ち着きます。広くて混んでいませんし、緑も豊かですね。東京23区はそれぞれのアイデンティティーがあって面白いですよ。渋谷と銀座、上野と浅草はかなり違います。人間まで違うのですから、東京は長く住んでいても飽きない場所です。

いろいろな祭りがあって、名物も、独自の習慣や文化も山ほどあります。東京は本当に24時間生きている都市でしょう。また、真鶴もお気に入りです。車なら(都内から)1時間でたどり着けるのですが、海がきれいで、泳いだりシュノーケリングをしたりします。魚もおいしいですよ。

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日本は縄文時代からエコロジーを実践

ー話は変わりますが、大使は日本に関する著書を多く執筆しており、日本のエキスパートだと思います。これから日本は国際社会に対してどのようなスタンスを取ればいいでしょうか。

これから日本はもっと自国のポリシーを考えるべきだと思います。よりマイペースにした方がいいですね。あまり他国を見ず、自国の魅力やアイデンティティーを大事にするべきです。日本人が素直で謙虚なのは良いことですし、日本人の哲学でもありますね。日本の歴史は長く、縄文時代までさかのぼることができます。そうした歴史も大切にする必要があるでしょう。

ー縄文時代といえば、当時の日本人の生活はとてもサステナブルなものです。必要なものだけ採って食べるという、無駄のない自然との共存をしていました。現代を生きる日本人のDNAの中にもこうした考えが残っていて、それを大事にするべきだと(過去に大使は)おっしゃっていますね。

はい。縄文人の人骨を見ましたが、歯並びが素晴らしく虫歯もありませんでした。甘いものがあまりなかったからですね(笑)。縄文人は、魚と野菜、果物だけを食べており、健康でした。約1万8000年前に今のエコロジーの考え方を理解していたのです。とても平和でいい時代だったと思います。

縄文時代の焼き物もいろいろ見に行きましたが、感動しました。女性の体を描いた焼き物が多いのですが、あの時代は子どもを産む女性が宝物で、女性が神様のような位置にいたのですね。神道のルーツもやはり縄文にあり、この女性観がのちに天照大御神などにつながったのではないかと思っています。

今こそ「メディカルオリンピック」を

ーオリンピックが終わった今、日本はこれから何に取り組むべきだと思いますか。

オリンピックはおおむね成功に終わったと言えますが、これからはより重要なことである「健康」に目を向ける時期だと思います。健康は人間にとって最も重要なことです。仕事より、遊びよりもはるかに大切でしょう。健康がなければ仕事はできませんし、仕事をしなければ遊ぶための金銭を得ることはできません。

つまり、今こそ「メディカルオリンピック」をやればいいのではないかと思います。まだ治療法が存在しない病気が世界中には多くあります。治療法の開発にも、それほどの金額はかからないはずです。何年かに1回、世界中の医師や教授を集めて「この病気をどうしたらいいか」を問い、意見を出し合えばとてもいい結果が生まれるのではないでしょうか。

マンリオ・カデロ(Manlio Cadelo)

駐日サンマリノ共和国大使

1953年にイタリアのシエナで生まれ、パリのソルボンヌ大学に留学。フランス文学、諸外国語、語源学を習得。1975年に来日、東京に移住し、ジャーナリストとして活躍。1986年サンマリノ共和国名誉総領事に就任。2002年、同特命全権大使に任命され、2011年5月、駐日大使全体の代表となる駐日外交団長に就任。現在、講演活動など幅広く活躍し、イタリア共和国騎士勲章など多くの勲章を受章。日本語著作も数多く手がけており、著書に『だから日本は世界から尊敬される』『世界が感動する日本の当たり前』(共に小学館新書)『神道が世界を救う』(勉誠出版、加瀬英明との共著、2018年)、『よいマナーでよい人生を!』(勉誠出版、2021年)などがある。

高橋政司(たかはし・まさし)

ORIGINAL Inc. 執行役員 シニアコンサルタント

1989年、外務省入省。外交官として、パプアニューギニア、ドイツ連邦共和国などの日本大使館、総領事館において、主に日本を海外に紹介する文化・広報、日系企業支援などを担当。2005年、アジア大洋州局で経済連携や安全保障関連の二国間業務に従事。 2009年、領事局で定住外国人との協働政策や訪日観光客を含むインバウンド政策を担当し、訪日ビザの要件緩和、医療ツーリズムなど外国人観光客誘致に関する制度設計に携わる。 2012年、自治体国際課協会(CLAIR)に出向し、多文化共生部長、JET事業部長を歴任。2014年以降、ユネスコ(国連教育科学文化機関)業務を担当。「世界文化遺産」「世界自然遺産」「世界無形文化遺産」などさまざまな遺産の登録に携わる。

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