Tokyo meets the world  Micronesia
Photo: Kisa ToyoshimaAmbassador of Micronesia to Japan John Fritz
Photo: Kisa Toyoshima

駐日ミクロネシア連邦大使に聞く、東京の魅力と海洋汚染が及ぼす影響

日本が担うべき海洋汚染への対策、東京五輪の評価や有楽町ガード下の魅力

Ili Saarinen
翻訳:: Genya Aoki
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東京2020オリンピック・パラリンピックが終わった今、東京で暮らす多く人々は、これからの東京や日本の新しい方向性を示すための新鮮なアイデアやインスピレーションを求めているはず。タイムアウト東京は『Tokyo meets the world』シリーズを通して東京在住の駐日大使へのインタビューを続け、都市生活に関して幅広く革新的な意見を紹介している。中でも、より環境に優しく、安全で幸せな未来へと導くことができる持続可能な取り組みに特に焦点を当ててきた。

今回は、在京外交官の中で最も長い滞在歴を誇る、太平洋の島国ミクロネシア連邦のジョン・フリッツ大使に話を聞いた。ORIGINAL Inc.のシニアコンサルタントでSDGs(国連の持続可能な開発目標)関連の業務を担当した経験のある元外交官の高橋政司との対談で、日本とミクロネシア連邦の歴史的な関係と地球温暖化や海洋汚染が太平洋の国々にもたらす脅威から、東京五輪の印象や有楽町ガード下の居酒屋への特別な思いまでを語ってくれた。

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日本の人々が平和で友好的なのは今も昔も変わらない

ー大使は1979年から東京で暮らしており、すっかりなじみの街ですね。日本に対する最初の印象はどのようなものでしたか。また、この40年で日本と東京はどのように変わったと思いますか?

そうですね、私は30年以上にわたって日本で仕事をしてきましたし、13年間の大使経験もあります。外交官になる前は、日本の大学に通っていました。初めて訪日した時は、日本のことを何も知りませんでしたね。ちょんまげの侍が刀を持って街を歩いていると思っていたのですが、東京に降り立つと、皆スーツを着てネクタイを締めていました。このイメージは当時、ミクロネシア連邦で流行していたサムライ映画を見た影響かもしれません。

日本は文化的にミクロネシア連邦と似ているところが多く、その点ではあまり驚きは感じませんでした。年長者を敬い、真面目に話を聞き、謙虚な姿勢を尊ぶといった点では同じです。一方で、食べ物には随分と驚いたことを覚えています。初めてみそ汁を見た時、「これを飲めというのか?」と思いましたよ。汁の中の豆腐が私にはせっけんに見えたんです(笑)。

私が来日した頃、日本経済は上向きでした。その後、バブルが崩壊して下降線をたどりましたが、すぐに回復。それは、国民の連帯感や団結力があったからだと思います。日本が危機に直面した時、国民が本当に一丸となっている姿を見て、感動を覚えました。今も昔も変わらないのは、人々が平和で友好的であるということでしょう。いつも歓迎されているように感じますし、東京に引っ越してきた時から自分の家のように感じています。

有楽町のガード下で乾杯

ー東京でお気に入りの場所はありますか?

私は、常に刺激に満ちた東京という街が好きです。一方には近代的なものがあり、もう一方には伝統的な街が今も残っていますよね。この2つの面が混ざり合っていることが、この街の心地よさにつながっているのではないでしょうか。私はよく隅田川沿いを浅草まで歩くのですが、途中には近代的なビルが建ち並び、浅草に着くと寺や下町の雰囲気が漂います。

私は飾らない場所が好きで、有楽町のガード下が特にお気に入りです。ここには、東京で暮らす人々の本物の生活があります。さらに、見知らぬ人と出会い、友達になることもできるのです。席に着き、酒を飲んで、焼き鳥を頬張り、会話を楽しむ。私はそういう場所が大好きで、人との出会い、食べ終わった後の服に付いた匂いなどが素晴らしいと感じています。

ー東京でミクロネシア料理を楽しむ方法はありますか?

残念ながら今のところ、ミクロネシア料理を提供するレストランはありませんが、私たちの食文化を広めることは大使館の優先事項の一つです。約1年後には目黒に私たちの新しいビルをオープンする予定で、そこでミクロネシア連邦の料理や文化を楽しんでもらえるように準備をしています。東京で働いている2人のミクロネシア人シェフを知っているのですが、できれば彼らを(新館に)招待したいですね。

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東京五輪は未来に引き継げるレガシーを作った

ー2021年の夏に東京で開催されたオリンピック・パラリンピックについて、どのようにお考えですか?

私のイメージするオリンピックは、世界中から人が集まり、華やかな雰囲気の中で行われるものでしたが、残念ながらコロナ禍の影響で延期され、さらに無観客での開催となってしまいました。

しかし、東京2020に参加した3人のミクロネシア人アスリートに話を聞くと、今大会のオリンピアンであることや、国の代表であることをとても誇りに思っていたそうです。「オリンピックの際にさまざまな制約があったにもかかわらず、ずっと心に残っている」と話してくれました。

東京大会の成功の要素はアスリートたちが自己ベストを目指して努力できたこと、多様性の中で互いを受け入れることができたこと、そして未来に引き継ぐことのできるレガシーが形成されたことです。また、困難な状況下であっても大会を開催し、成功できると世界の国々に素晴らしい手本を示すことができました。

日本と太平洋地域の深いつながり

ーミクロネシア連邦にとって、日本はどのような存在ですか。ミクロネシア連邦の言語には「センセイ」や「ウンドウカイ」、日本の言葉が多く使われていますね。

私は日系人ですから、日本との結びつきは特別なものです。日本は、漁業から植民地支配まで、太平洋地域と深い歴史的つながりがあります。植民地時代、日本はミクロネシア人に基本的な教育を提供していましたし、おっしゃるように言語的なつながりも残っていますね。

現在の日本の太平洋地域への関わり方は、他国にとっても良い手本となるものでしょう。特に太平洋・島サミット(PALM)プロセスを通じたものは平和的であり、双方にとって有益です。また、血縁関係は非常に重要な要素だと思います。ミクロネシア連邦の4人の歴代駐日大使のうち、3人が日系人なんですよ。

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環境問題は最重要課題

ー日本ではSDGsが注目されるなど、持続可能な開発への関心が高まっています。ミクロネシア連邦はこうした問題にどのように取り組んでいるのでしょうか。また、サステナビリティへの世界的な取り組みにおける日本の役割についてはどうお考えですか?

ミクロネシア連邦をはじめとする太平洋諸島では、環境問題が最重要課題となっています。特に、海面上昇が人の安全や安定的な食料供給に及ぼす影響は無視できない懸念事項です。最近、太平洋諸島の首脳たちは「海面上昇に関連する気候変動に直面した海洋区域の保全に関する宣言」と題する文書を承認しました。気候変動への対応については、近隣諸国と協力して温室効果ガスの排出量削減を推進していますが、私たちがどれだけ努力しても、世界の主要なプレーヤーが動かなければ何も変わりません。

日本をはじめとする開発パートナー国が、さまざまな国際機関のメンバーであることを利用して、私たちの声が届くようにしてほしいですね。また、海の保全は、私たちが暮らす海洋資源の保護にもつながります。私たちの生活は海に依存しており、日本をはじめとする先進国の開発パートナーがこの点で協力してくれることを期待してやみません。日本とミクロネシア連邦は海でつながっており、互いに太平洋の国として、気候変動や防災といった同じ問題を共有しているのです。

ー海洋汚染、特にプラスチックゴミの問題に対して、より効率的に取り組むことができると思いますか?

はい、可能です。より多くの国が、プラスチック廃棄物が海に与える影響を認識することを願っています。ミクロネシア連邦では、約2年前にレジ袋などの使い捨てプラスチック製品の輸入を禁止する法律が施行されました。現在では、ほかの国も追随していると聞いています。

プラスチックを禁止する法律は、ビジネスセクターからは批判されましたが、必要な措置だったと思います。こうした動きは日本でも活発になってきましたね。スターバックスの国内店舗でプラスチックストローから紙製ストローに切り替えるなど、小さなことが多いのですが、こうしたことが結果的には大きな効果を生むのです。

しかし、公害問題は先進国だけの問題ではありません。ゴミを海に捨てれば環境に悪影響を及ぼすことを、ミクロネシア連邦の若い人たちに理解してもらわなければなりませんでした。私たちの文化では、木の葉で物を作り、使い終わったら自然に戻していたのです。プラスチックが使われるようになった後も、教育が不十分だったために、この習慣が続いていました。

今では、子どもたちは幼い頃からゴミを分別し、最小限にするように教育されています。これは東京都八王子市などの自治体をはじめとする日本の技術協力のおかげで、ゴミを分別するシステムが構築できたことが大きいです。日本には、太平洋地域がこのような問題に対処するための取り組みを、引き続き支援してほしいと思っています。

ジョン フリッツ(John・Fritz)

駐日ミクロネシア連邦大使

1960年生まれ、チューク州(旧トラック諸島)出身。1978〜1979年、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴ郡のモンテビスタ高校で修学。1979年に来日し、翌1980年から1987年に東海大学で修学。1987~1988年まで駐日ミクロネシア連邦連絡事務所職員として務め、1988〜1998年、駐日ミクロネシア連邦大使館一等書記官。 1998〜2008年、駐日ミクロネシア連邦大使館公使。 2008年から現職。

高橋政司(たかはし・まさし)

ORIGINAL Inc. 執行役員 シニアコンサルタント

1989年、外務省入省。外交官として、パプアニューギニア、ドイツ連邦共和国などの日本大使館、総領事館において、主に日本を海外に紹介する文化・広報、日系企業支援などを担当。2005年、アジア大洋州局で経済連携や安全保障関連の二国間業務に従事。 2009年、領事局で定住外国人との協働政策や訪日観光客を含むインバウンド政策を担当し、訪日ビザの要件緩和、医療ツーリズムなど外国人観光客誘致に関する制度設計に携わる。 2012年、自治体国際課協会(CLAIR)に出向し、多文化共生部長、JET事業部長を歴任。2014年以降、ユネスコ(国連教育科学文化機関)業務を担当。「世界文化遺産」「世界自然遺産」「世界無形文化遺産」などさまざまな遺産の登録に携わる。

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