Photos:Kisa Toyoshima
惜しまれながらもなくなっていく東京の名所を写真で記録する『東京アーカイブ』。第3回は、1972年竣工、メタボリズム建築の象徴とも言われる中銀(なかぎん)カプセルタワービルを紹介する。
生物学用語で「新陳代謝」を意味する「メタボリズム」とは、日本が高度経済成長へと向かっていった1960年に、黒川紀章(くろかわ・きしょう)や菊竹清訓(きくたけ・きよのり)といった、丹下健三(たんげ・けんぞう)に強い影響を受けた若い建築家らが中心となって唱えた建築運動のことだ。
彼らは「社会や環境の変化に合わせて、建築や都市も生物のように新陳代謝をしながら変化していくべきだ」という思想のもと、革新的な未来の都市や建築のアイデアを発表。黒川紀章が設計、140個のカプセル(=部屋)で構成された中銀カプセルタワービルもそのひとつである。
当初の構想では25年ごとにカプセルを取り替え、新陳代謝を繰り返していくはずだった。しかしながら、カプセルの交換が行われることは一度もなく時が流れ、ビルは老朽化。保存に向けて活動する人も多く現れたが、2022年4月12日、ついにビルの解体が始まった。
「緊張の多い社会の中で、重要なことは自分らしい個人の空間を獲保することではないだろうか、カプセル住宅とは、現代社会において、自分をとりもどすための休憩の場であり、自分らしい思想を築くための情報拠点であり、都心をこよなく愛する都市人にとっては、生活の基地になるだろう(原文ママ)」
これは、同集合住宅が売り出された際に発行されたというパンフレットに黒川が寄せたコメントだ。
50年の時を経た今の時代でも、私たちには「自分をとりもどすための休憩の場」が必要不可欠であるし、見分けのつかない高層ビルが立ち並んでいるからこそ、夢や挑戦、想いが込められた建築にどうしようもなく惹きつけられてしまう人も多いだろう。だからこそ、レトロフューチャーで、オフィスやアトリエ、別荘など、自由自在に姿を変えてしまう中銀カプセルタワービルは、多くの人を魅了し、建物自体が老朽化しても、決して古びていくことがなかったのだろう。
一人の時間を楽しんだり、コミュニティを育んだり、自分好みの空間を作り込んだりと、晩年は自宅でも職場でもない「究極のサードプレイス」としても多くの人に愛されたこの集合住宅。ここでは、中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト代表の前田達之と、オーナーの佐久間真理子、関根隆幸、関根由美子、藤村正(敬称略・五十音順)協力のもと、退去日とされた2022年1月31日に収めた、中銀カプセルタワービルの姿をアーカイブする。