船曳建夫(ふなびき・たけお)
1948年、東京生まれ。文化人類学者。1972年、東京大学教養学部教養学科卒。1982年、ケンブリッジ大学大学院社会人類学博士課程にて人類学博士号取得。1983年、東京大学教養学部講師、1994年に同教授、1996年には東京大学大学院総合文化研究科教授、2012年に同大学院を定年退官し、名誉教授となる。2017年1月には、高校生の頃から歌舞伎を観続けてきた著者が、いつかは歌舞伎を見たいと思っている人に向けガイドしているエッセイ集『歌舞伎に行こう!』(海竜社)を発売した。ほか、著書に『旅する知』など。
タイムアウト東京 > アート&カルチャー > 東京を創訳する > 東京を創訳する 第26回
下流の人は日本にはいない。貧乏な人はいるし、この社会には貧困の問題がある。しかし、上流、下流の階層はなくなった。あえて言えば、日本人はいまやほとんどすべて下流なのだ。
平安の昔、貴族はいた。江戸時代なら殿様や武士はいた。そんな身分は過去には日本列島に確かにあった。それは「上流」と呼んでいいだろう。しかし、前回と前々回に書いたように、いまや上流と言えるような人びとは皇族とその周りだけである。明治維新、太平洋戦争、と100年もたたない間に二度も「上流」が吹っ飛ばされたことで変わった。「私は上流」と、今でも威張ったりするガッツのある人はいなくなった。江戸時代のように「私は下流だからお宅の玄関からは入れません、裏口から」とへりくだる人もいなくなった。むしろ、たとえば日本の研究者が初めてヨーロッパに行くと、イギリスの大学などで技術系のスタッフが「自分は偉い教授や本格的な研究者と『違う』から一緒には食事しない」と言ったりして、別のテーブルで固まっている。進んでいるはずのヨーロッパに、むしろ「階級社会」が残っているのにびっくりする。
だから、ここであえて「下流」と書くのは、むしろ「下流がいない日本」という社会を知ってもらおうと思ったからである。念のため繰り返しておくと、貧乏な人はいる。貧困は大きな社会問題である。しかし、日本は伝統を残している国ではあっても、そうした階級は残っていないのだ。
まず、言葉である。上流の日本語、下流の日本語、というのがない。イギリス議会の様子をテレビで見ると、民族や地域の訛(なま)りはもちろんあるが、明らかに「階級」によって英語のアクセントが違う。趣味や生活感、態度も階級によって違う。だんだん薄れてきたけれど、訪れた私たちが感じる程度には残っている。よく、サッチャーは、巧みに上流階級の言葉を身に付けた、と言われていた。日本でも、実は、電話口に立つと、かけてきた見知らぬ人の言葉から、その人の「学歴」というか「知識的な背景」の違いが分かる、とある文化人類学者は言っていた。確かにそれはある。そして、それは「階級」に近いのだが、そこまで感じ取れる人は稀なので、ここでは無視する。
外見はどうか。外国だと、フランスやイタリアでも、タイや中国でも、まったくの印象だが、人びとが集まっているところで、背が高くて立派そうな人たちがいる。聞くと、なにやら、昔からの偉い家の出身だったり、地元では大地主だったりして、それが体格や顔のすっきり感に表れていたりする。私も人類学者としていい加減なことは言えないのだが、恐らく海外体験のある人に聞けば、「うんうん、あまり言ってはいけないかも知れないが、そういう人たちは何となく肌も白かったりするんだよね」と、偏見に片脚突っ込みそうな感想を述べたりする。
日本でもそんな感じはなくもない。しかし、度合いははるかに弱いような気がする。少なくとも、江戸時代の日本では武士も農民も、姿勢こそ多少違うが、タンパク質の摂取量はみな少なく、明治維新後、栄養の多寡(たか)で差が付きそうになったが、二度(明治維新と敗戦)のシャッフルで、それもチャラになり、戦後はみなが餓えた後、飽食という過程を経て、見たところは同じようになってしまった、と、私は思う。日本でも、南より北の方が背が高く、太陽の当たり方が弱いからか色が白い感じはあるのだが、それは「階級」の特徴に定着したりはしなかった。むしろ、歴史的には逆に東北より西南地域の方が、食糧事情も経済環境も優越していたので、世界にひろくある偏見のような常識、「背が高くて色の白い方が『上流』である」という思い込みは日本ではでき上がらなかった。
だから、観光客が出会う日本人は、電車に乗り合わせた日本人も、売り場の店員も、みな「下流」なのである。99パーセントは見た目も変わらないでしょう?しゃべっている日本語も、その人の知識的な背景で語彙は違うが、「上流は第二母音を高く発音する」(思いついた例えです)といったような言語的偏差はない。それは僕自身が庶民だから気づかないのかも知れないが、たとえあったとしても当の日本人がそれに気づかないのだから、階級を形成はしない。
しかし、この「下流」という言葉自体、日本では違和感がある。最近は、自虐的に「下流」と言ったり、経済格差が「下流」を生んでいると言われたりするが、それはあくまで比喩であり、相対的な収入の上下であって、そうした階級の「文化」ができるようには思えない。それよりも、日本人の意識としては「庶民」という言葉があり、自分はそれだ、と99パーセントが思っている。よくある議論では、高度経済成長時代、日本人はみな自分を中流だと思っていたが、社会経済的に格差があるのに気がつかなかっただけで、近年はその格差が増している、と言われている。それは事実だろう。でも実感としては、みなが自分は下がってきているな、と思っているのではないか。階級が上がっているという実感の人はほとんどいないと思う。相変わらず、誰もが自分は庶民だと思っていて、そのように暮らしている。
これはここだけの話だが、父親や叔父に大臣や首相、兄弟にも代議士がいたりする一族のある人が「自分は庶民だ」と言うのを聞いて呆(あき)れたことがある。あまり書くと特定されそうで、ここにとどめるが、実は、呆れた私が間違っていたのだろう。皇族以外すべて下流という私の考えからしても、その方は、確かに「庶民」なのだと思う。
これだけだと、その「下流」、または「庶民」の内容が乏しいので、少し付け加える。事実として、今の日本人は、お互い衣食住の生活が同じ、ということがある。もちろん高いステーキをいつも食べている人はいる。お金があるから。でも、自分は「庶民」だから、肉や鮨は食べるのにふさわしくないと思っている人はいない。たまに金があればそうしたものを食べようと思うのが普通だ。食べ物に縛りがないが金はない。けれども鮨は食べたい。その結果として「回転寿司」が発明された、ということだ。あれは日本に階級がない証拠なのだ。
以前、海外で日本人がブランドものを買いあさると言われた時代があった。フランスでは、「ルイ・ヴイトン」などは、やや上流の人が買って身に付けるもので、日本の庶民に相当する人びとは買わないものだった。これを読むと、日本人読者のいくらかは、「へー!?」と驚くのだろう。お金があったら何でも買っていいのだろう、というのは、早めに階級社会から脱した、私たち日本庶民の考えで、欧米ではそうではない。だから、日本人観光客は、ドアマンが開けてくれる豪勢なルイ・ヴイトン本店に入って、一番安価なキーホルダーをひとつ買ったりして、眉をひそめられたりしたが、なぜ眉をひそめられるのが分からないから、気にしなかった。「下流」の人には「ルイ・ヴイトン」はふさわしくない、買わないものだ、なんて考えのない日本だからこそ、世界の中でも「ルイ・ヴイトン」が爆発的に売れたのだ。
ということで、日本は、ほとんど全員「下流」、というより「庶民」として生きている、というのが今回の結論だ。次回は上流を書いたときと同じく、庶民がどんな場所で暮らしているか、といったことを書こうと思う。しかし、予告しておくと、実は皇族でもない、庶民でもない、そういう人が日本にいないことはないのだ。ただし、彼らは東京にはあまりいない。だから、東京だけで暮らしたり、東京を観光しているとあまりお目にかからない。彼らをなんと呼んだらよいのか……そう「豪族」。「コウゾク」ではなく「ゴウゾク」だ。