東京を創訳する 第20回 『歳末 - 直線と円環、二つの時間の相撃つところ』

文化人類学者、船曳建夫の古今東京探索

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11、12月は、天界の季節ではなく、人間の季節である。寒さからは初冬であるが、今年ももう終わりだ、という世事、人事の感覚が強い。正月が過ぎて、2、3月は時間があっという間に経つ気がするものだが、一年の終わりが近付くとまた時間に追われる。難しく言えば「直線的に進行する時間」と「円環的に繰り返す時間」の、2つの違った時間が年末にぶつかり合うからだ。

直線的に進行する時間はただただ先にと進むのに、12月の次は13月にならず、円環的に1月に戻ってしまう。その元に戻る前に、今年一年の区切りを付ける、お疲れさまでしたと忘年会をするという具合に、ひとまず振り返って、一年を締めくくる。そうしなければ正月とならずに13月になってしまう。

ややこしい話しだが、まずは先に進んで、この時期の東京の祭事、行事について考えてみよう。まずは酉の市だ。11月の「酉の日」に行われる。12支の酉だから、12日ごとにやってくる。たいていは2回来るものだが、2017年のように、一の酉が11月6日(月)、二の酉が11月18日(土)、三の酉が11月30日(木)と、3度来ることもある。昔から三の酉まである年は火事が多い、と言われている。科学的な根拠があるわけは無い。でも、今日のテーマで言えば、3度もやってくるなんて、それだけで「慌ただしい」感じがする。

酉の市は都内では浅草の鷲(おおとり)神社、新宿の花園神社などが有名である。行くと大勢の人が集まっていて、飾り立てた熊手が売られている。鮨屋などで、壁の上の方に飾ってあるのを見たことがあるだろう。客商売の人たち、縁起を担ぐ人たちが買いにくる。酉の市のうんちくはネット情報に任せて、何度か行った経験で言えば、夜になっても人通りが絶えず、屋台も出たりして、買わずに眺めているだけでも楽しくて、つい掌くらいのミニチュア熊手を買ってしまう。いちばん面白いのは、値段交渉が成立すると、熊手屋さんたちが、締めの手拍子で祝うことだ。あちらこちらの手締めの音と声が心を浮き立たせる。

昔話になるが、30年ほど前、バブルの時代のこと、テレビで酉の市からレポーターの実況があって、そこに居合わせたのかテレビ局の仕込みなのか、当時有名だった株の相場師が熊手を50万円で買って、熊手屋さんが何度も何度も繰り返して手拍子で締めていたのを思い出す。(あの人その後落ちぶれてしまったなぁ)

市と言えば、浅草寺の羽子板市、というのも華やかだ。なぜか僕の実家は伝統的なしきたりを守るような雰囲気では無かったのに、母は親戚に女の子が生まれると羽子板を買って贈りものをしていた。わが家の娘2人にも羽子板が届いた。僕自身は小さいとき、はねつきに使えない羽子板、というのが理解しがたく、興味は無かった。長じて学生たちと浅草の羽子板市に出かけていった。賑やかさは酉の市ほどではなく、むしろ行ったときが最終日の最後のほうだったようで、人通りも少なくなった中、売れ残った羽子板と着物姿の女たちが、電灯に照らされているのに哀れさがあって、戦前の情景のようだった。

こうした「市」とは昔から、神社仏閣の場所を借りて行われる臨時のマーケットで人を集めるものだ。中でも一年の最後、「歳の市」は円環的時間の尻尾で、豊かな人だけでなく、貧しい人も1年に1回だけ取り替える日用品を求めることもあって、大きな人出となる。私の育った東京世田谷には、江戸時代には古着などを売買していたのだろう、『ボロ市』というあまり有りがたくない名で呼ばれる市があった。小学校に入るか入らないかの頃、姉に連れて行かれ、初めて「雑踏」というものに驚き、フーテンの寅さんのような香具師の口上を聞いて、笑いこけたことがある。こうした年末の思い出は、人のぬくもりがする。

考えてみれば、年末に築地に買い出しに行ったり、神田のアメヤ横町に正月の食品などを買いに行ったりと、「市」が、東京のこの時期を彩ることに気付く。もちろん、クリスマスは大きな行事となっているが、その前後に、「クリスマスセール」というのが行われることにも気付く。12月のあとが13月になるのだったら、こんなにまで11月、12月が、人の世のことがらで埋まったりはしないだろう。何かが「終わる」感じが、人を急かせて、ものを買い込ませたりするのだろう。そもそも、冬至がやってきて、そこから日が長くなるという、天体の運行が背後にはあるので、人間の季節というのも、天界の季節があってのことなのだが、天体のリズムを人間が受け止めて、次第に暗く寒々としていきかねない体が再び活気を取り戻すような感がすることでは、この時期の天候と人事は渾然一体と考えるのがよさそうである。

久保田万太郎という文人の俳句に「湯豆腐や いのちのはての うすあかり」がある。絶唱と呼ぶに相応しい。「絶唱」なんて大げさな言葉を「湯豆腐」の句に捧げるのは無粋かもしれないが、この句には、そこに流れる時間は円環的でありながら、もう命は「果てに」たどり着き、春は戻ってこないかも知れない、というかすかな怖れと諦めがこもっている。それでも、茶の間か小座敷の薄暗がりに、白く浮き上がって見える湯豆腐を箸で持ち上げようとするその一瞬には、共に一年を過ごした相手が、目の前にいようが実は思い出の中にしかいまいが、諦めを包む永遠すら透けて見える。


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船曳建夫(ふなびきたけお)
1948年、東京生まれ。文化人類学者。1972年、東京大学教養学部教養学科卒。1982年、ケンブリッジ大学大学院社会人類学博士課程にて人類学博士号取得。1983年、東京大学教養学部講師、1994年に同教授、1996年には東京大学大学院総合文化研究科教授、2012年に同大学院を定年退官し、名誉教授となる。近著に『歌舞伎に行こう!』(海竜社)を2017年1月13日に発売。高校生の頃より歌舞伎を観続けてきた著者が、いつかは歌舞伎を見たいと思っている人に向けて、ガイドしているエッセイ集だ。ほか、著書に『旅する知』など。

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