今泉宜子 インタビュー
Photo: Kisa Toyoshima
Photo: Kisa Toyoshima

明治神宮の森から学ぶサステナブルな森づくりと人づくり

常識を覆す100年計画と未来を見据えた働き方が育んだもの

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年始には数百万人もの人々が初詣に訪れる「明治神宮」は、1912年に明治天皇が、1914年に昭憲皇太后が崩御した際、御神霊をまつるために創建された神社だ。神殿や参道を囲むようにつくられた鎮守の森は、夏はひんやりと涼しく、まさに都会のオアシスのような存在だが、当時の人々の未来を見据えた行動があったからこそ、こうして今、この森を歩くことができるということを知っているだろうか。

100年をかけて森を育てる画期的な計画や、「青年団の父」と呼ばれる田澤義鋪の青年たちとの関わり方は、現代を生きる私たちにとっても学ぶことが多い。これから先、私たちはどんな選択をしていくべきなのだろう。先人の知恵や行動からそのヒントを得るべく、明治神宮の主任研究員である今泉宜子に「森創り」にまつわるストーリーを聞いた。

なお、タイムアウト東京が制作を担った渋谷エリアの定期観光バスツアーSHIBUYA STREET RIDE」の公式パンフレット内では、今泉へのインタビューに加え、明治神宮や渋谷エリアで生まれた歴史を「この土地だからこそ生まれた理由」とかけ合わせて紹介している。2023年4月以降に発売予定なので、渋谷でより豊かな探索体験をしたい人は、ぜひこちらもチェックしてみてほしい。

当時の常識を覆した「広葉樹」の鎮守の森

──明治神宮の森が「人工の森」であることを知っている人は多いかもしれませんが、実はこの「森創り」が当時の常識を覆すような面白い計画だったんですよね。まずは中心となった3人の林学者のお話から聞かせていただけますか。

明治神宮の森は本多静六、本郷高徳、上原敬二という3人の林学者を中心に計画が進められていきました。本多さんは日本で最初に林学のドクトルをとったパイオニア的な人で、当時(明治時代)林学が盛んだったドイツに渡って、林学の知識や学問を日本に持ち帰ってきた人物です。

年齢が一回りずつ離れているこの3人は、当時、帝国大学農科大学の本多研究室で教授、講師、生徒という関係で、上原さんは当時まだ大学院生。こういう世代の違う3人が明治神宮の「森創り」計画をリードしていました。

──彼らは具体的にどのような計画で「森創り」を進めたのでしょうか。

まず、彼らの計画で画期的だったのは、今すぐに森を完成させようとしなかったことです。10年、50年、100年と時間をかけて樹木がこの地で自活し、100年をかけて自然の林相になることを目指しました。

当時、鎮守の森をつくるとなれば、針葉樹を用いるのが通例。しかし東京では針葉樹が育たない。そこで本多らが計画したのが、「この土地に根ざした森をつくる」ということでした。

この場所の気候、風土、土壌に最も適した木は何か。この土地にもともと根付いていたのはどんな植物だったのか。どのような樹木を選べば枯れることなく自活して自然の森になるのか......。生態学的な知見に基づいて考えていった末にたどり着いたのが、常緑広葉樹だったんです。

──ものすごく画期的な考えですね。しかし、鎮守の森といえば針葉樹でつくるのが当たり前とされていた当時、反対意見はなかったのでしょうか。

もちろん、「やぶのような森にするとは何事だ」なんて声も出たみたいですが、林学者らが科学的な調査・実験データなども出しながら説明をしたことや、年齢や立場に関係なく、皆が真剣に意見を戦わせたことによって、「理想の森」というものがだんだんと見えてきたのでしょう。

最終的には、常緑広葉樹を主林木にすることで決定。常緑広葉樹の木がまだ小さいうちは、成長が早い針葉樹(スギやヒノキ)で上部を守り、針葉樹が朽ちたら常緑広葉樹の栄養にする。常緑広葉樹が育ってドングリが実れば、その実が落ちることで次の世代も育つという、天然更新の発想で計画を立て、見事実現させました。

──今だと広葉樹を用いた鎮守の森も多いですが、明治神宮の森とも何か関係はありますか。

明治神宮の森をきっかけに、特定の樹木にとらわれるのではなく、気候や風土、土壌に根ざした森をつくろうという考え方が全国に広まったということは大きいと思います。広葉樹が適している土地もあれば、針葉樹が合う地もありますからね。

また、鎮守の森に限らず、本多らの考え方は数々の「森創り」に影響を与えていて、例えば、東京湾のごみ埋立地を森に変える「海の森」プロジェクトを指導した先生たちは、明治神宮の「森創り」がモデルだとおっしゃっています。約100年前に本多らが実現させた「森創り」は、今森をつくっている人々にとっても一つの理想の形になっているのだなと感じました。

森づくりであり人づくり、未来の人材を育てた青年団の父

──この計画を実現させるには有志の力も欠かせませんでした。明治神宮にある約10万本の樹木も全国から寄せられたものなんですよね。

はい。明治神宮に樹木を送る際は賃料を割引にするという形で国鉄も協力して、それこそ「全国から木を送ろう」というムーブメントが起こりました。

もともとこの場所にあった樹木は1万5951本で、そこに加わった全国からの樹木が9万5559本。約80%が全国からの木によってできています。もちろん、最初からこの場所にあった木も切ってしまうわけではなく、天然更新の発想で作られた100年計画に沿って別の場所に移植されたりしました。

広葉樹の樹木であればなんでもいいというわけでもないので、本多らは「献木規定」というものを作って、カシの木やシイの木など、鎮守の森に適したものを送ってもらうようお願いをしていたそうです。しかし、地域自慢の名木が送られてくることも多かったみたいで、記録には「当初の我々の計画よりも多い木が送られてくるが、断るのは忍びない」なんてことも書いてあります(笑)。計画よりもちょっと「密」になってしまった場所もあるみたいですね。

──そして、樹木の植林をはじめとした造営工事全般に全国の青年団が参加していたということにも驚きです。彼らを率いていた田澤義鋪のことも含めてお話を聞かせていただけますか。

明治神宮を創建していた時期はちょうど第一次世界大戦が勃発していて、経済的にも苦しい状況でした。そこで神宮の森づくりを支えたのが全国の青年たちだったんです。

青年団に手伝ってもらおうと提案したのは、今や「青年団の父」とも呼ばれる田澤義鋪。彼のすごいところは、青年たちをただ働かせて終わりとせず、むしろ造営工事の現場を今でいう青年育成の研修の場として活用しようとしたことです。例えば、作業のない日には東京観光や内務省の視察に連れ出して、青年たちが地元に持ち帰れるような体験を提供しました。

──写真を見ても、青年たちとの距離の近さがとても伝わってきます。

相撲をとっている写真なんかを見ると、まさに「熱血・田澤先生」という感じですよね(笑)。単なるボランティアではなく、教育のような面白い事業であったことも感じられる。まさに森づくりであり、人づくりだなと感じます。

画像提供:明治神宮|当時の様子を記録した「明治神宮御写真帖」に残る写真。田澤義鋪が青年と相撲をとっている様子

──どのくらいの人が青年団として参加していた、という情報も残っているのでしょうか。

実は一人一人の名簿がちゃんと残っていて、北海道から沖縄まで、延べ11万人の青年たちが明治神宮の「森創り」に携わったと記されています。地元の方が名簿の名前を見ると「どこどこの学校で校長をやっていた先生だ」なんて分かったりもするんですよ。

明治神宮には「おじいさんが100年前に明治神宮の造営奉仕に参加していた写真が出てきたんですが、どんなことをしていたのか記録はありませんか」という問い合わせをいただくことが結構あります。そんなときは、当時の名簿や記録を読んで、見つかった情報や写真をご家族にお送りしているのですが、こういった作業をしていると、一人の青年を通して明治神宮というものが見えてきたりもして。

100年という年月は歴史としては小さいかもしれませんが、日本の歩みが詰まっていると感じます。歴史の声を聞いて、そして集めて、その物語を次の世代に伝えるということもやっていきたいと思っています。

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これからの100年に向けて

──未来を見据えた森づくりと人づくり、そして当時携わっていた方々の柔軟でサステナブルな考え方に驚きました。2023年の今現在で明治神宮が未来につないでいきたいものはありますか。

明治神宮の森は、2020年で鎮座から100年を迎えました。これから先もこの森を守り続けるために、森の総合調査を行っています。

時代とともに環境も変わってきていますから、本多らの計画で更新すべき点はないか、樹木の生育状況はどうか、この森にはどんな動植物が生息しているかなど、この森に生きる全ての命を調査しているんです。

荒れ地のような場所に一からつくった自然ですが、今では2840種類の命が森に生きている。100年前の命がずっとこの場所でつながっていて、今では珍しい在来のカントウタンポポなども生えていたりするんですよ。大都会に人工でつくった自然でも豊かな命を育むことができる、という可能性も感じられます。

こういった喜ばしい調査結果がある反面、温暖化でヒートアイランドが進んだことで土の中の生物の種類や個体数が減っていることや、「ナラ枯れ」と呼ばれる病虫害など、これから解決案を見いだしていかなくてはならない課題も出てきています。こういったことに対しては、100年前のように英知を結集させ、議論していく必要があると感じます。

そして、この調査や議論で得た知見は、明治神宮のためだけでなく、外にも発信していきたいと思っています。この森を守ることはもちろん、明治神宮の「森創り」が一つのモデルとなったように、当時の人たちが抱いていた考え方も継承していきたいんです。

今泉宜子(いまいずみ・よしこ)

明治神宮国際神道文化研究所主任研究員。東京大学卒業後、雑誌編集者を経て、2000年より明治神宮に奉職。2007年、ロンドン大学SOASにおいて明治神宮に関する学位論文で博士号(学術)を取得。著書に『明治神宮 「伝統」を創った大プロジェクト』(新潮選書)、『明治神宮 内と外から見た百年 鎮守の森 を訪れた外国人たち』(平凡社新書)など。

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