ヴィクトリアは下北沢を拠点とするアクセサリーデザイナー。日本のビンテージ製品の大ファンでもある彼女が、日本文化に対する熱い思いを語る。
ー東京に初めて来たのはいつですか。
最初は、1990年代にJET(外国青年招致)プログラムで日本に来て、一年ほど埼玉に住んでいました。日本を離れてからは、アジアや南米を旅して、そして何年かはイギリスの下町で学校の教師をしていたわ。
郷里に帰ってみたら日本が恋しくなってしまって。逆カルチャーショックとでもいうのかな。それで戻ってきて、東京のインターナショナルスクールで働いたんです。2人の子供が生まれるまで12年間そこで教師をしました。
ー日本の素材からインスピレーションを得ているみたいだけど、それはどうして?
侘び寂びという思想に興味があって、それでどこか不完全なところのある素材を使うとインスピレーションが得られるってわかったんです。私のデザインにはたいてい非対称な要素がある。ビンテージの着物生地でイヤリングを作るときだって、素材は同じでも明確な違いのあるパーツをふたつ慎重に選ぶの。左右が対ではあるけど完全に同じじゃない、と強調するわけね。
日本に住むことがあなたのデザインに影響を与えている?
私はビンテージおたくだし、「もったいない」の精神を信奉しています。宝飾デザインに使う素材は、ビンテージショップや骨董マーケット、あるいは神社の販売会で探すんです。着物、帯、帯締めのコレクションを譲っていただくことも。
何が見つかるか分からないということの楽しさや、そこで見つかるいくつもの素晴らしい物、出会える興味深い人たちからインスピレーションをもらうんです。ビンテージの街として有名な下北沢に住んでいることはありがたい環境です。身のまわりで目にするものや、この街にいるビンテージ好きの知り合いたちから日常的に影響を受けているわけですからね。
ー生け花の先生の資格を持っているそうです、日本の文化を教えるってことにどう向きあっていますか? 自分なりの方法を開発しているんでしょうか。
草月流いけばなの勉強をしていたとき、それを日本語で学ぶということが私にとっては重要だったの。生け方の説明を日本語で聞くことで、その美学をいっそう深く理解することができる気がしたわけです。
教えることについて一番大切な部分というのは、日本での学びの過程を説明することでした。武道や書道・着付け・茶道でもその過程は同じ。陳腐に聞こえるかもしれないけれど、でも最初は決まった順序で基本的な型を身につけて、自分を認めてもらわなくてはならない。それを満たすことで、初めて次は自分の創造性を披露する資格が得られるんです。
ー自分が東京人だと初めて感じたのはいつ?
東京の中でもいくつかの場所に住んだけれど、自分の地元はここなんだなあと感じたのは下北沢に引っ越してきてからですね。ここではみんな身内みたいなもの。にぎやかな村って感じで、巨大な都市に住んでる気がしない。
ー東京では冬の間どうやって過ごしているの? 日本の冬で好きなところは何?
東京の青く澄んだ空と日差し、そして爽やかに乾燥した冬の気候は元気の素よ。作業場の隅々まで日がさして空気も冴えてると、仕事の能率も上がるの。着物の色合いだって冬の太陽を浴びるとどこか鮮やかに見えるし。
ー最後に、海外から来る人のために、東京の冬を生き抜くためのヒントがあれば。
強力なハンドクリームとリップクリームと手袋を持ってきてね。それからサングラスも。