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それはイギリス史上最大規模の建築許可申請だった。2007年、オリンピック会場建設委員会(Olympic Delivery Authority、ODA)は、全15巻1万ページにわたる新しいイースト ロンドンの基本計画案を提出した。計画案が公表されてから10年後の現在、ロンドン レガシー開発会社(London Legacy Development Corporation)のピーター・チューダーに、クイーン・エリザベス・オリンピック・パークで取材を行った。
ストラトフォード地区にある敷地面積2.5平方キロメートルの同公園は、世界規模のスポーツ会場と、丁寧に手入れされた豊かな緑地の迷路に生まれ変わった。「公園を歩いてみて、そこが今でも利用されているのを目の当たりにするのは、思いつく限りでは最高のことですね」。同公園の来場者サービス長を務めるチューダーはそう語る。「ここは外に出て活動的に過ごしたい人のための場所になったのです」。
このようなスポーツの理想は、そう簡単に実現できるものではなかった。2004年、オリンピック・パラリンピック招致に成功し喜びに沸いたロンドンには、大変な仕事が待っていた。国として公約を実現することができるのだろうか。「どの開催国も何かしらの問題を抱えていました」。そう語るのは、ロンドン大会のレガシーを今後に残していくための慈善基金、スピリット オブ 2012(Spirit of 2012)の最高責任者であるデビー・ライだ。「どこにでも落とし穴がありそうな雰囲気でした」。
ロンドンの場合、その穴は特に危険なものだった。2007年の世界的な金融危機が同国に大きな打撃を与えると、国民から大会の開催に疑問を抱く声が挙がった。「転機となったのは聖火リレーでした。その熱気が国中に広がったのです」。自身も聖火ランナーを務め、その高揚感を体験したライはそう語る。「聖火リレーによって、これがロンドンだけではなく国全体のイベントなんだということが証明されました。ダニー・ボイルが演出した素晴らしい開会式が終わる頃には、すべての人が味方になったような感覚がありました」。