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2020年7月27日、さまざまな流派の能楽師が集まり10日間にわたって公演を行う『能楽公演2020〜新型コロナウイルス終息祈願〜』が開幕した。本記事では初日の模様をレポートする。
この公演はもともと、1964年の東京五輪の折に開催された「オ
能楽よりもさらに古い様式を持つ演目『翁』
600年以上の歴史を持つ能楽よりさらに古い猿楽の様式を持つ演目、『翁』。翁、千歳(せんざい)、三番叟(さんばそう)が、天下泰平、国土安穏、五穀豊穣を祈って謡い、舞うこの曲には、物語らしきものは存在しない。翁の演者は「白式尉」、三番叟の演者は「黒式尉」という面を着けることで神聖な存在となるという、神事に近い特別な作品で、能楽師は出演にあたって「精進潔斎」をして臨む。
その特別さを知る客席が静まり返り、せき払い一つない中、囃子(はやし)方を含む全ての出演者たちが、橋掛かりからおごそかに入場。居並ぶ能楽師たちを見て、まずはその荘重なたたずまいに心打たれる。時代時代の芸能者たちが、古来の儀礼を、芸能を、古色蒼然(こしょくそうぜん)たるものとしてではなく、美しくみずみずしく伝えてきたことの重みとすごみを、改めて感じずにはいられない。
印象的だったのは、場内に張り詰める緊張感が、決して冷たくとげとげしいものではなく、これまでになく熱いものに思われたこと。その思いをひときわ強くしたのは、千歳(観世三郎太)が待った後、 「白式尉」をつけた観世清和演じる翁の舞と謡だ。彼の『翁』は幾度か観ているが、今回はその言葉にこれまでとはまた違うエネルギーが漲っており、強い祈りの念を感じずにはいられなかった。生命力に満ちた力強い声とオーラが、自然の再生を促す雨のように場内に降り注いだ。
そして、野村萬斎の「三番叟」。黒式尉を着ける前の揉の段(もみのだん)では、すさまじい気迫で、火の玉さながらに、正面舞台から橋掛かりまで所狭しと舞う。その姿、声、動きが生み出す高揚感に熱気を帯びた場内は、笛(松田弘之)、大鼓(亀井広忠)、小鼓(大倉源次郎、清水晧祐、荒木建作)が響かせる激しく情熱的な音でさらにヒートアップ。萬斎は、続く鈴の段では黒式尉を着け、扇と鈴を持って厳かに舞った。
次の演目は大蔵流狂言『末広』。主人(大藏彌右衛門)に「末広がり」を所望された太郎冠者(大藏彌太郎)が、それは扇の意味だと知らず、都へ買いに行き、すっぱ(大藏吉次郎)にだまされて傘を持ち帰るという物語。すっぱは傘を末広がりだと巧みに言いくるめるばかりでなく、主人の機嫌が悪いときの対応も教えたため、太郎冠者を叱った主人も機嫌を直す。公演初日の狂言にふさわしく字面も物語もめでたい本作を、三人が軽やかに演じた。
最後は半能『石橋』。清涼山の石橋で、寂昭法師(原大)の前に現れた親獅子(金春憲和)と子獅子(辻井八郎)が、勇壮に舞う。赤頭の親獅子、白頭の子獅子ともに目の覚めるような迫力ある動きを見せた。笛は杉市和、小鼓は曽和鼓堂、大鼓は原岡一之、太鼓は梶谷英樹。
コロナ禍での開催
この公演は、座席の前後左右を空ける形で席数を減らし、検温や消毒を徹底したほか、上演時間を短くしたり、地謡の人数を少なくしたり、『石橋』では色のそろった合唱用マスクのようなものを着用したりと、さまざまな工夫を施して行われた。コロナ禍にある舞台業界がどこも厳しいことは言うまでもないが、能楽の場合、能楽堂の収容人数も限られており、観客の年齢層も高い。さらには、多くの能楽堂を能楽師自身が所有・管理している状況や、能楽師が全国を巡って上演するという公演形態も、彼らを苦境に追い込んでいる。春の時点で、今年いっぱいの主催公演を全て来年に延期した団体もあるほど。
何より、公演ができない間、能楽師たちがどれだけ無力感を覚え、苦しい時を過ごしたかは、想像してもし尽くせないほどだ。今また感染が拡大しつつあるが、それでも能狂言でもって人々を生かし、自らも生きていくのだという決意と覚悟のようなものを感じる初日だった。
公演は8月7日(金)まで続く。回によってはまだチケットの入手が可能な日もあるため、ぜひ生で体感してほしい。
『能楽公演2020〜新型コロナウイルス終息祈願〜』の詳細はこちら
テキスト:高橋彩子
舞踊・演劇ライター。現代劇、伝統芸能、バレエ・ダンス、 ミュージカル、オペラなどを中心に取材。『エル・ジャポン』『シアターガイド』『ぴあ』『The Japan Times』や、各種公演パンフレットなどに執筆している。年間観劇数250本以上。第10回日本ダンス評論賞第一席。現在、Webマガジン『ONTOMO』で聴覚面から舞台を紹介
http://blog.goo.ne.jp/pluiedete
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