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「もの派」から「触」へ、手ざわりを探求し続けた吉田克朗の初回顧展が開催

9月23日まで、北浦和の「埼玉県立近代美術館」で

Naomi
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Time Out Tokyo Editors
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Naomi
埼玉県立近代美術館 吉田克朗展
Photo: Naomi 「第4章 触 ―世界に触れる 1986-1998」展示風景
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「もの派」と称され、1980年代には改めて国際的な注目を浴びた日本の美術家たちがいる。菅木志雄(すが・きしお、1944年~)、李禹煥(リ・ウファン、1936年~)、関根伸夫(1942~2019年)らの1960年末~1970年代半ばの活動は、半世紀がたってもなお注目を集め続けている。

埼玉県立近代美術館 吉田克朗展
Photo: Naomi左奥から『赤・カンヴァス・糸など』(1971~74年、埼玉県立近代美術館蔵)、『Cut-off (Paper Weight)』(1969年、2024年再制作)、『650ワットと60ワット』(1970年、埼玉県立近代美術館蔵)

その中心的存在、かつ先駆者となっていた一人が、吉田克朗(よしだ・かつろう、1943〜1999年)。1970年代後半から晩年にかけてはさまざまな実験的手法に取り組み、自身の表現を探求し続けた美術家だ。55歳で没した吉田の初めての回顧展が現在巡回中だ。2024年6月30日に閉幕した「神奈川県立近代美術館 葉山館」に引き続き、7月13日からは埼玉・北浦和の「埼玉県立近代美術館」で開催されている。

埼玉県立近代美術館 吉田克朗
Photo: Naomi埼玉県立近代美術館

本展では5つの章を通して、「もの派」を代表する初期の作品から1990年代後半の絵画の大作までを幅広く紹介している。多数の記録写真や未公開の資料も交えながら、約30年間の多様な創作活動の全貌に迫る展覧会だ。

埼玉県深谷市出身の吉田は、存命中から埼玉県立近代美術館での展覧会開催を望んでいた。吉田の遺志を受け、回顧展の機会は5年以上前から検討されていたという。吉田の遺族をはじめ、作品群と資料を管理している「The Estate of Katsuro Yoshida」、長年にわたり吉田を研究している「奈良県立美術館」の学芸課長・山本雅美らに加え、先行して巡回展を開催した神奈川県立近代美術館が、ともに数年がかりで準備を続け、没後25年を迎えた今年、念願の開催に至った。

初公開の制作ノートから浮かぶ「表現の模索」

「第1章 ものと風景と 1969-1973」の冒頭には、印象的な「触(しょく)」シリーズの作品群が並び、その奥に、吉田が遺した制作ノートの一部が初公開されている。著作権の都合で画像を掲載できないが、本展の展示室でぜひじっくりと目を通してほしい。

晩年まで書き続けられたという膨大な数のノートには、現存していないものも含む数々の作品について、素材・寸法などの構想や細かな制作プラン、図面などが描かれている。また、自身の表現を模索し続けた時期の思索や、当時の美術界や美術館への思いなども、気持ちのこもった筆致でつづられていた。

埼玉県立近代美術館 吉田克朗
Photo: Naomi「第1章 ものと風景と 1969-1973」展示風景

なお、ほんの一部ではあるが、本展の開催に合わせて刊行された書籍『吉田克朗 制作ノート1969-1978』でも、細かな解説とともにノートの内容にじっくりと目を通すことができる。本展図録と併読すれば、吉田の創作活動により深くアクセスする一助となるだろう。

埼玉県立近代美術館 吉田克朗展
Photo: Naomi本展の図録や制作ノート、関連書籍などは、ミュージアムショップで購入可能だ。

「もの派」の動向の再検証、新たな表現の試行錯誤

1964年、多摩美術大学に進学した吉田は、戦後日本の前衛芸術家を数多く見いだした美術家の斎藤義重(さいとう・よししげ、1904〜2001年)の下で指導を受ける。卒業後は、同校の卒業生が集まっていた横浜市の共同アトリエで、関根伸夫や菅木志雄、小清水漸らと創作活動に取り組む。特に1968年に発表された関根の『位相−大地』には、吉田も制作現場に関わっており、本展では当時の貴重な写真も観ることができる。

翌1969年から吉田は、のちに「もの派」と呼ばれるようになる、物体を組み合わせ、その特性が自然に表出される作品群を集中的に制作する。並行して、自ら撮影した風景写真を題材に、版画制作もスタートさせた。「第1章 ものと風景と 1969-1973」の展示室では、この時期の作品群がまとまって展示されている。

埼玉県立近代美術館 吉田克朗展
Photo: Naomi左から『Cut-off (Hang)』『Cut-off (Paper Weight)』(いずれも1969年、2024年再制作)

現在でこそ世界的に再評価されている「もの派」だが、当時の作品はほとんど現存していない。しかし本展では、吉田にとっても「もの派」の動向においても重要な2作品が再制作されている。写真でしか残されていなかった光景を間近にできる、非常に貴重な機会だ。 

埼玉県立近代美術館 吉田克朗展
Photo: Naomi「第1章 ものと風景と 1969-1973」展示風景
埼玉県立近代美術館 吉田克朗展
Photo: Naomi「第1章 ものと風景と 1969-1973」展示風景

1970年代に入ると、吉田は「もの派」の表現からは距離を置くようになる。赤い色彩や筆触などの絵画的な要素を取り入れた作品や、物の形を紙やキャンバスへ転写する実験的な手法を試みながら、模索を続けた。

埼玉県立近代美術館 吉田克朗展
Photo: Naomi「第1章 ものと風景と 1969-1973」展示風景
埼玉県立近代美術館 吉田克朗展
Photo: Naomi「第2章 絵画への模索 ―うつすことから 1974-1981」展示風景

1980年代前半に取り組み始めた、風景や人体を抽象化して描く「かげろう」のシリーズを経て、1980年代後半には、吉田が後半生をささげた「触」シリーズにたどり着く。粉末の黒鉛を手に取り、指で紙やキャンバスにこすりつけながら有機的な形を描いた一連の作品群だ。

「第2章 絵画への模索 ―うつすことから 1974-1981」「第3章 海へ/かげろう ―イメージの形成をめぐって 1982-1986」、そして精力的に描き続けた「第4章 触 ―世界に触れる 1986-1998」と、展示室に並んだ作品群を見れば見るほど、たった一人の作家が手がけたとは思えないくらいに、目まぐるしく作風を変化させ続けたことが分かるだろう。

埼玉県立近代美術館 吉田克朗展
Photo: Naomi「第3章 海へ/かげろう ―イメージの形成をめぐって 1982-1986」展示風景から、「かげろう」シリーズ
埼玉県立近代美術館 吉田克朗展
Photo: Naomi「第3章 海へ/かげろう ―イメージの形成をめぐって 1982-1986」展示風景から、「かげろう」シリーズ

作家の出発点となった「もの派」の取り組み、版画、ドローイング、ペインティング、写真、そして「触」のシリーズ。多様過ぎるほどの作品は、時代とともに変わり続ける国内外の現代美術の動向を見つめながらも、自らのあるべき表現や制作の在り方を貪欲に追い求め、試行錯誤を続けていたからこその、必然の光景かもしれない。

埼玉県立近代美術館 吉田克朗展
Photo: Naomi「第4章 触 ―世界に触れる 1986-1998」展示風景
埼玉県立近代美術館 吉田克朗展
Photo: Naomi「第4章 触 ―世界に触れる 1986-1998」展示風景

本展を締めくくる「第5章 春に ―エピローグ」に展示されているのは、事実上、最後の大作となってしまった『触 "春に" Ⅴ』と『触 "春に" Ⅵ』だ。 穏やかな陽差しの中で芽吹いた花々を思わせるような色彩と、力強い躍動感を感じさせる。

埼玉県立近代美術館 吉田克朗展
Photo: Naomi『触 "春に" Ⅵ』(左)、『触 "春に" Ⅴ』(いずれも1998年、神奈川県立近代美術館蔵)

旺盛な創作活動を続ける中、病によって惜しくも55歳の若さで亡くなった吉田。彼の関心は一貫して「人ともの」「ものともの」が触れ合う中で生まれる世界と、そこに生まれる感触をどのように作品として表現するかだった。もし存命であれば、今という時代にどんな展開を見せていたのか。考えるほど悔やまれてならないが、本展の展示室でぜひ、遺された作品群と対峙(たいじ)し、体感してほしい。

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