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シンガポールを拠点に活躍するアーティスト、ホー・ツーニェンの新作インスタレーション『ヴォイス・オブ・ヴォイド—虚無の声』が、2021年7月4日(日)まで山口情報芸術センター(YCAM)で展示されている。さまざまな歴史的、哲学的題材を扱うホーの今作のテーマは、日本の「京都学派」だ。本記事では、展示の見どころをレポートする。
2018年の国際舞台芸術ミーティングTPAMでも披露された
歴史や思想に対する深い考察と、豊かな発想を通して現代につながる諸問題を照射してきたホー。今回の『ヴォイス・オブ・ヴォイド—虚無の声』では、『旅館アポリア』でも扱った京都学派を全面的にフィーチャーしている。
哲学者の西田幾多郎、田辺元らを中心とする哲学者グループ、京都学派は、東洋の独自性を持って西洋を乗り越えようと志向したが、結果的に大東亜共栄圏を支えることになったとして、戦争責任と共に語られることも多い。ホーは、そんな彼らを、「左阿彌の茶室」「監獄」「空」の3つのキーワードで表現した。
YCAMの会場に入ると、上記3つの空間それぞれに2枚のスクリーンがあり、それぞれささやくような声と共に異なるアニメーションが映し出されている。アニメーション映像同様、声にも6パターンあるが、初めの「この作品に声を貸してくださることに感謝します」の言葉ほか、いくつかのワードが同じであり、ふと気がつくと複数の空間でシンクロしているのも面白い。まずは空間一つ一つを見ていこう。
『左阿彌の茶室』:戦争責任と戦争回避の模索
1つ目の空間、『左阿彌の茶室』では、スクリーンの1枚目で、1941年に雑誌『中央公論』で京都学派の西谷啓治、高坂正顕、高山岩男、鈴木成高が京都の料亭、左阿彌の茶室で3回にわたって行った座談会『世界史的立場と日本』のことが語られる。この対談で語られた内容は一般に大東亜共栄圏につながるとされ
あえてシンプルに言ってしまえば、前者は京都学派の人々の戦争責任、後者は彼らがひそかに戦争回避を模索したことが示されている。その意味で、『世界史的立場と日本』と『日本文化の問題』のスクリーンが重なるようにして置かれ、見る場所によって二重写しにもなる仕掛けは示唆的だ。
なお、座談会については、速記したのが記者の大家益造であり、後年彼が出版した中国戦線での体験を詠んだ歌集『アジアの砂』が紹介され、一方、京都学派と海軍との秘密会合を記録したのは大島康正という研究者であり、京都学派が陸軍と右翼から脅迫を受けていたという大島の証言も引用される。
『監獄』:ともに獄死した三木清と戸坂潤
2つ目の空間『監獄』では、獄中死した京都学派の2人の関係者に焦点が当てられる。1人は三木清。彼が1938年の談話『支那事変の世界史的意義』の中で盧溝橋事件をきっかけに日本が東洋を統一するとして説いた東亜共同体が大東亜共栄圏へと変容したこと、その一方で脱獄した共産主義者の知人をかくまった罪で投獄されたことが語られる。もう1人は戸坂潤。彼が1937年に支那事変について著した『平和論の考察』 でアジアの平和を実現するために一時的な戦争が必要だとしたこと、しかしそれが検閲の中でのパロディーであること、検閲や警察の目をかいくぐって活動を続けるが、やがて投獄されたことが示される。
共に日中の事件を語り、同じように獄中死を迎えた2人。スクリーンに投影された牢獄でのイラストもよく似ている。しかし細部において2人が異なっていることが、観客にささやかれているのが印象的だ。
『空』:青空に浮かぶ戦闘機
3つ目の空間『空』で扱うのは、田辺元が1943年に行った公開講座『死生』。死に関する講座が徴兵対象である、つまりはこれから死に直面する学生に対してなされたこと、田辺が講演の終わりに絶句し涙を流して懺悔(ざんげ)の言葉を口にしたという、いいだももの証言が紹介される。2枚のスクリーンに投影されるのは、青空に浮かぶ戦闘機の様子だ。
興味深いのは、この講座を文章にまとめたのが『左阿彌の茶室』で京都学派と海軍との秘密会合を記録したとされた大島康正であることを挙げ、同じく『左阿彌の茶室』で紹介された『世界史的立場と日本』の速記者である大家益造もいたはずだとしている点だ。京都学派のさまざまな思
VR体験の妙
『左阿彌の茶室』『監獄』『空』を通った一番奥の展示室にあるのが、VR体験の『座禅室』だ。鑑賞者はまずヘッドマウンテッドディスプレイを装着し、VR空間の中で座布団に座っている。微動だにしなければそこは真っ白な空間で西田幾多郎の『日本文化の問題』が流れる『座禅室』になるのだが、動けば『左阿彌の茶室』、立つと『空』、横になると『監獄』の場面へとたどり着く。言うまでもなくこれらは、先のインスタレーションの各スペースで語られた内容と重なっている。
まず『左阿彌の茶室』では、紅葉の美しい茶室の中で、アニメーションとして描かれた西谷啓治、高坂正顕、高山岩男、鈴木成高の座談会『世界史的立場と日本』が行われ、鑑賞者は大家益造となって実際に手を動かしながら筆記する。手を動かすのをやめると座談会の声は遠のき、生き生きと議論を交わしていた4人の顔もおぼろげになって、代わりに大家が戦後に発表した前述の短歌集『アジアの砂』が聞こえてくる。
横になると、茶室の床をすり抜けて下へと場所が移り、監獄の建物、そしてその独房へ。そこは暗く湿った、ウジ虫のいる空間だ。鑑賞者が右耳を下にすると三木清の『支那事変の世界史的意義』、左耳を下にすると戸坂潤の『平和論の考察』が聞こえてくる。私たちにできるのは、才知や教養で世界を変えようとした男たちがこの陰鬱(いんうつ)とした独房で過ごした日々に寄り添い、思いをはせることだ。
そして立ち上がると、そこはよく晴れた空の上。多数の戦闘機がふわふわと浮いており、鑑賞者もまたその一体となっている。しばらくすると、周りの戦闘機が次々に空中分解していく。気がつけば自分の戦闘機も同じように残骸と化す。若者たちに向けた田辺元の公開講座『死生』の言葉が上方から流れる中、戦闘機上で若者たちが死を迎える様子を見るような体験だった。美しい青空の中を戦闘機の残骸が静かに漂うさまはまるで奇妙な夢を見るかのようで、はかなく散った命を思い起こさせずにはおかない。
この『ヴォイス・オブ・ヴォイド—虚無の声』は、視覚的にも刺激的だが、タイトルの通り、声が特別な意味を持っている。インスタレーションの冒頭には必ず「この作品に声を貸してくださることに感謝します」の言葉がささやかれるのは、既に紹介した通りだ。声とはいわば、証言。聞くだけではなく、声を「貸す」存在の中に、私たちが入っているとするならば、鑑賞体験を通して、私たちもまた新たな声を発していく必要がある。
「歴史というのは生きています。私たちは歴史の中を生きていると言えます。生きているということは変えることができるということ。私たちは過去を、そして未来を変えることができます」と、今作の観客に向けてメッセージを送ったホー。過去の声を聞き、解釈し、現在と未来を考え、変革していく契機としたい。
『ヴォイス・オブ・ヴォイド—虚無の声』
場所:山口芸術情報センター(スタジオA)
日程:2021年4月3日〜7月4日(日)
『ホー・ツーニェン映像作品選』
上映日:2021年6月26日(土)、27日(日)
テキスト:高橋彩子
舞踊・演劇ライター。現代劇、伝統芸能、バレエ・ダンス、 ミュージカル、オペラなどを中心に取材。『エル・ジャポン』『シアターガイド』『ぴあ』『The Japan Times』や、各種公演パンフレットなどに執筆している。年間観劇数250本以上。第10回日本ダンス評論賞第一席。現在、ウェブマガジン『ONTOMO』で聴覚面から舞台を紹介
http://blog.goo.ne.jp/pluiedete
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