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乃木坂の「国立新美術館」で、同館5年ぶりの自主企画展「遠距離現在 Universal / Remote」が開幕した。タイトルの「遠距離現在」とは、資本と情報が世界規模で移動する、現代の状況を踏まえた造語だ。
企画構想の発端は、2020年に突如始まったパンデミックの真っただ中にさかのぼる。アジアや欧米、北欧など、国際的に活躍する現代アーティスト8人と1組の作品を通して、社会の在り方や人々の暮らし、仕事など、あらゆる場に及ぼした影響と、つまびらかにされた諸問題を改めて我々に問いかける展覧会だ。
パンデミックによって起きたことを忘れないために
覚えているだろうか。新型コロナの感染防止対策として取り入れられていたマスクの着用規制が、個人の判断に委ねられたのがいつだったか。規制が緩和されたのは、2023年3月13日。数年にわたり、あれほど強烈な抑制と変化を強いられていたにもかかわらず、たった一年で私たちの記憶はあっという間に「今」に上書きされ、薄れている。
本展には30分を超える映像作品も多い。文字で記録として書き残される以上に鮮烈に、当時の私たち一人一人ひとりの記憶を思い出すきっかけとなるだろう。できるだけ時間に余裕を持って会場へ足を運び、それぞれの作品をじっくり体感してみてほしい。
開幕に先立って開催されたプレスカンファレンスで、国立新美術館の逢坂恵理子館長は、「参加アーティストは1950年代以降に生まれた世代で、日本人アーティストと企画した研究員は80年代生まれです。彼らの作品はいずれも、デジタル化やAI(人工知能)などで便利になる一方、実態のあるつながりが希薄になりつつある今、見えにくい実態や矛盾をとらえ、鋭く提示しています」と紹介した。
本展の企画を担当したユン・ジヘ(尹志慧)特定研究員は、企画を構想した背景として「マスク着用の規制が解除されてすぐの頃から、コロナ禍を急速に忘れていく自分自身に危機感を抱きました。社会の矛盾や不条理、感じ取った孤独や日常の大事さなどを絶対に忘れたくなかったのです」と話した。
加えて、タイトル「遠距離現在 Universal / Remote」の由来について、「本来、『(どんなテレビにも使える万能な)ユニバーサルリモコン』を意味するuniversal remoteという単語を、分断の象徴であるスラッシュで区切り、万能性にくさびを打ちました。ユニバーサルな世界と、遠隔・非対面のリモートで点在する個々人の暮らしを、露呈させるような意図を込めています」と解説した。
ユニークなミニガイドが現代アートを身近にする
現代アートに対して、ぱっと見では分からない、理解しづらい、というイメージを抱く人も多いだろう。本展では、その心理的なハードルが少しでも低くなるようにと、リーフレット「〇才のためのミニガイド」を展示室の入り口で無料配布している。
「作品を鑑賞しながら、一人一人にとっての『距離』とは何かを考えるヒントに」と、同館の教育普及室が編集。最初の見開きには、ここ12年の世界の出来事と自身を振り返るワークシートとともに、コロナ禍の前後で世界の見え方は変わっただろうか、との問いかけが書かれている。
小学校高学年ぐらいの児童でも理解できるよう、漢字には読み仮名が振られており、平易な表現で展示室やアーティストらについて紹介している。鑑賞者にとっては年齢を問わず、本展の内容を自分事として捉える手助けになるだろう。
観る者にさまざまな「距離」を提示する作品群
展覧会は、「Pan- の規模で拡大し続ける社会」と「リモート化する個人」という2つのテーマで構成される。前者では、人流を抑制するために国家権力が強化され、監視システムも容認されたにもかかわらず加速度をつけて移動する経済資本や、情報への問題意識を表現した作品群を紹介している。
彫刻家の井田大介による映像作品や、トレヴァー・パグレン(Trevor Paglen)の写真作品など、いずれも批評性と示唆に富む表現が試みられている。その中で筆者にとっては、中国出身の現代美術家、シュ・ビン(徐冰)の映像作品「とんぼの眼」(2017年)が、強烈に記憶に残った。
シュは1955年に中国・重慶で生まれ、現在は北京とニューヨークを拠点に活動している。1980年代から作家活動を続け、国際的に高い評価を得ているが、映像を手がけるのは今回が初めてだという。
81分にも及ぶ本作は、思わず目を覆いたくなるような映像から始まるが、驚くことに本作は、中国全土に設置された監視カメラの映像をつなぎ合わせて制作されている。さらに衝撃を受けたのは、これら監視カメラの映像素材は、誰もがインターネットを介して視聴でき、ダウンロードすらも可能という事実だ。
2013年ごろから本作を構想していたというシュだが、当時は合法的に監視カメラの映像を収集することが難しく、いったん断念していた。しかし2015年ごろから中国国内で爆発的に監視カメラの設置台数が増え、インターネット上で公開され始めたため、彼と制作チームは20台のコンピューターを使って約1万1000時間分の映像をダウンロード。若い男女を主人公にした物語に編集し、作品として完成させた。
その説明を知った上で観ていても、フィクションの世界にしか思えない。しかし、全てが中国のどこかで現実に起きていた光景ばかりなのだ。ひるがえって、東京の繁華街や電車内にも、ここ数年で監視カメラが相当数増えている。とても人ごととは思えず、背筋が寒くなる思いで展示室を出た。
なお、作品の上映開始時刻は10時20分、13時20分、15時20分。夜間開館日のみ17時20分からも上映する。上映時間以外は約10分のメイキング映像が流れている。
後者のテーマ「リモート化する個人」では、オンラインで個人と個人が結びつき、家から出ずに国境すらも超えることが当たり前となった今、非接触を前提に遠隔化される個人の働き方や、住まいについて表現した作品が展示されている。
今回、日本で初めての展示となったのが、写真家でフォトジャーナリストのティナ・エングホフ(Tina Enghoff)だ。エングホフは1957年にデンマークで生まれ、現在はコペンハーゲンを拠点に活動している。
シリーズ「心当たりあるご親族へ」(2004年)は、一見すると、カラフルな壁紙やインテリアの室内を写した写真のように思える。しかししばらく眺めるうち、不自然にはがされたり変色していたりするカーペットや、枯れた観葉植物など、雑然としたまま時間が経過したかのような違和感のある光景が目に付く。
デンマークでは、孤独死した人物に身元引受人が現れないと、故人を知っている人を探すべく、新聞に小さな記事が掲載されるという。エングホフはいつしかその記事に興味を持ち、記載された住所を訪ねて写真に収めてきた。
北欧の国々は社会保障が充実しているというイメージを、私たちは抱きがちだ。しかし、誰しも死ぬ時は一人きり、という普遍的な事実は揺るがない。世界的にも少子高齢化社会へ進みゆく中、人口が密集する都市に存在する孤独を表現し、そこでの生活や社会構造を批評するかのような作品と言えるだろう。
また、ベルリン在住のヒト・シュタイエル(Hito Steyerl)が、ジョルジ・ガゴ・ガゴシツェ(Giorgi Gago Gagoshidze)とミロス・トラキロヴィチ(Miloš Trakilović)と共作した映像作品「ミッション完了:ベランシージ」(2019年)は、流ちょうな語り口のプレゼンテーション番組を観ているかのような内容と、映像にも登場するアイテムを用いた巧みな空間演出で、作品世界に没入する感覚を抱いた。
取材当日も多くの鑑賞者が見入っていた本作は、2019年に開催されたシュタイエルの個展において、レクチャーパフォーマンスとして発表されたものがベースとなっている。
ファッションをキーワードに、1989年のベルリンの壁崩壊からの30年間に生まれた「格差」に迫る映像では、似て非なるつづりとフォントから連想できるハイブランドを例に挙げ、SNSがますます拍車をかける資本主義の堂々巡りを「バレンシアガ方式」と名付け、プレゼンテーションする。
約48分と長いが、最後の最後までとても興味深かった。特にハイブランドのファッションが好きな人やSNSが手放せない人、海外セレブリティの動向に興味がある人には、目が離せない内容かもしれない。
最後に、2つのテーマを横断して展開する、地主麻衣子の映像作品を紹介したい。
地主は1984年神奈川県生まれ。インスタレーションやパフォーマンス、テキストなどを組み合わせ、「新しいかたちの文学的な体験」となる作品制作に取り組む作家だ。「森美術館」で2024年3月31日(日)まで「MAMプロジェクト031:地主麻衣子」が開催中のほか、近年は「越後妻有 大地の芸術祭 2022」にも「オンゴーイングコレクティブ(Ongoing Collective)」のメンバーとして参加している。
本展では、映像作品「遠いデュエット」(2016年)を上映。自身が強烈に感銘を受けたという、チリ出身の詩人で小説家のロベルト・ボラーニョ(Roberto Bolano)の最期の地であるスペインでカメラを回し、現地で出会った人々との対話を通して、日本の社会を再考している。
地主に、本作が完成するまでの経緯を尋ねると、「トーキョーワンダーサイト(現トーキョーアーツアンドスペース)が行っているレジデンスプログラムを知って応募し、マドリードに滞在できたからこそ生まれた作品です」とのこと。また、本展への参加については、「企画を担当したユンさんから、この作品が本展の企画にぴったりだ、とオファーいただいた」と明かしてくれた。
作品の見え方が変わるのは私たちが変わり続けているから
実は、本展のほとんどの作品は、コロナ禍前の2004年から2019年までに制作されている。それ以後に制作した新作を含め、パンデミックに直接言及する作品はない。
しかし、世界規模のパンデミックによって改めて突きつけられた社会、政治、経済を巡る諸問題はある日突然発生したのではなく、全てコロナ禍よりずっと前からこの世界に存在していた。最初のごく小さな兆候を見逃さず出力し、未来へ投げかけていたのが、本展に参加しているアーティストなのだ。
と同時に、本展に限らず、時間の経過や社会の変化、自身の変化によって、同じ作品でも見え方が変化していく。パンデミックや、現在進行形の戦争、災害の記憶など、変わり続ける現代を映し、私たちに思考を促すのが、現代アートという存在なのだろう。
「遠距離現在 Universal / Remote」は、国立新美術館で6月3日(月)まで開催。会期中は参加アーティストによるワークショップや対談イベント、ギャラリートークなどが予定されているので、公式ウェブサイトからチェックしてほしい。
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