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1990年代から2000年代にかけ、ファッションやアート、音楽などあらゆるジャンルがミクスチャーされ盛り上がった裏原宿カルチャー。原宿、竹下通りの先から表参道に広がるエリアの中で醸成された文化を受け継ぐためのプロジェクトが、2021年9月から始動した。さまざまな分野のプロフェッショナルが参加する「URAHARA PROJECT」が目指すゴールとは。
約50人のスペシャリストが参加する、「ウラハラ」の発信
アパレルブランド『エックスガール』を展開するビーズインターナショナル会長の皆川伸一郎や、編集者で写真家の米原康正、音楽プロデューサーYANAGIMAN、ラジオDJのサッシャなど、ウラハラ文化にゆかりあるメンバーで構成されるURAHARA PROJECT。スタートしたのは、リーダーである早川千秋が原宿神宮前商店会の会長に就任した6月以降であった。
商店街ベースでは、エリアを限定した取り組み以上のことができないもどかしさを感じていた早川。長年ウラハラで培ってきたネットワークを生かし、何か新しいことが始められないかと模索していたという。
「裏原宿というカルチャーの発信源に焦点を当て、さまざまなアーティストや企業、活動家を巻き込んだプロジェクトをスタートさせようと思ったんです。7月から8月にかけて声がけをし、9月にローンチ。徐々に『参加したい』という声もいただき、規模も拡大してきました。
現在は音楽やファッションに限らず、スケーターや飲食、SDGsなど、あらゆるジャンルのスペシャリストが50人ほどプロジェクトに参加しています。意思決定が高く、即断即決で話を進められる人が多い印象です」(早川)
海外在住のメンバーもおり、コミュニケーションにはZoomを活用。定例会では街を活性化するためのアイデアが飛び交うほか、空き店舗や新規事業に関する相談も寄せられる。プロジェクトを機にメンバー同士でコラボレーションが実現するなど、化学反応も生まれるようになった。
しかし、彼らの目的は単に「街を活性化する」だけではない。プロジェクトの根底にはカルチャーを世界に再認知させるという本質的なゴールがある。
「今の若い人たちが1980〜90年代のファッションを着ているのを見て、そのカルチャーの記憶がある間にアーカイブを残しておけば、30年後、60年後の気づきとなるんじゃないかな、と思ったんです。
プロジェクトチームは平均年齢が50代。裏原宿に対する思い入れも強く、20〜30年前からカルチャーの最前線を走っていた人たちです。僕自身も裏原宿に会社を構えて数十年がたったので、生き証人が限られているうちにアーカイブ化しよう、と。そして情報をYouTubeなど広く手に取れる場所に残すことが、プロジェクトの使命だと感じています」(早川)
若手世代「ウラハラプロジェクト」が自由に発信できる土壌を作る
その一方、次の世代へウラハラカルチャーを伝えることも、プロジェクトの目的だ。URAHARA PROJECTにはもう一つ、専門学生を中心としたカタカナ表記の「ウラハラプロジェクト」のチームが存在する。
いわゆるZ世代であり、ウラハラカルチャーが最盛期を迎えた頃に生まれた彼ら。プロジェクトチーム内でユニットを結成し、裏原宿を新たに盛り上げるような情報を発信していくという。
「積極的に学生たちの活動へ介入するわけではなく、ユニットごとに自由に動いてもらうのが運営の特徴です。こちらが管理しなくても、自分たちの解釈で勝手に裏原宿を発信していけるようになることを期待します」(早川)
次世代に歴史を残す「URAHARA PROJECT」と、新しいことを組み立てる「ウラハラプロジェクト」。早川は「Z世代を意識し過ぎず、自分たちは楽しみながらアーカイブを生み出していこうと思う」と語るが、今後はウラハラプロジェクトを先輩たちで支えていく活動も視野に入れる。
「例えばウラハラプロジェクトの中で新しいファッションユニットが結成されて、コンペティションやイベントを開催するとします。要望があればURAHARA PROJECTのメンバーが審査員として参加したり、トークディスカッションを組んだりできます。
もしショーを行うなら、裏原宿の施設や区画を借りられるよう間に入ることもできるし、商品開発をするなら生産工場に掛け合うこともあるかもしれない。新たな組み合わせをサポートできるのは、裏原宿でキャリアを培ってきたからこそ、だと思うんです」(早川)
ウラハラはあらゆる要素を取り込む、キャパシティーの広い街
学生たちの「何かをやりたいけれど、アウトプットで頼れる場所がない」という悩みをサポートし、自分たちも積極的にウラハラカルチャーを発信していく。9月にプロジェクトの始動を宣言してからは、大学で現代文化を研究するゼミからも問い合わせが来るようになったという。
徐々にプロジェクトの波が広がる中、早川は「裏原宿」というエリアをどのように捉え、またどういった魅力を発信していきたいのだろうか。
「裏原宿は多くに人にとって『いつか行きたい』と憧れる対象でした。今でもあらゆるジャンルをミックスして新しい文化を発信できるエリアですし、あらゆる情報が街に凝縮されている。世界中でもまれな街だと感じます。僕自身も裏原宿に30年近く住む中、街としてあらゆる要素を取り込むキャパシティの広さを実感していました。
現在の竹下通りは韓国のファッションや食べ物、音楽が成長しているし、裏原宿ブランドの資本は中国が買い取っていることが多いです。決して悪いことではないと感じつつ、ガッツを持たないと、その街の歴史や実態が流されていくようにも思います。
プロジェクトが始動したのは、ちょうどコロナ禍を経て『ウラハラという言葉が廃れていくのはもったいない』ということにみんなが気づいた時期でした。今後はウラハラカルチャーをアーカイブで残していきながら、進化もさせていきたいです」(早川)
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