[title]
小寺創太個展「調教都市」が2022年3月5日(土)、トークンアートセンター(Token Art Center)で始まる。期間は4月3日(日)まで。
小寺は主体であるはずの作家(パフォーマー)の身体を展示し、空間の一部になりきる。そこに「いる」ことで、展覧会や演劇における秩序を攪拌(かくはん)させていく――。「排除アート」から着想を得た『調教都市』では、自身の身体を展示物としてオブジェクト化し、台座に関する作品制作と発表を行う吉野俊太郎と共同制作を行う。
身体のオブジェクト化
小寺は自らを「ill派(いる派)」と名乗る。身体を環境に囚われた存在と捉え、表現的なパフォーマンスである「見せる」ことを不可能とし、鑑賞空間に長時間「いる」ことで身体をオブジェクト化する形式をとる。
近作『蓄光人間』では、蓄光塗料を全身に塗った小寺自身が計6時間もの間、暗い部屋と明るい部屋を3分ごとに行き来する。展示物となった身体を、鑑賞者は穴からのぞき見ることができる。この空間に入る人々は特定の展示作品を「見る」のだが、ほかの展示物が見られている時には「見られない」。このように「見られない」「無視される」パフォーマンスの可能性を探る小寺の作品は、従来の芸術の在り方を人々に問うのではないだろうか。
排除アートをSM器具に「誤用」して
「調教都市」は、小寺自身が「排除アート」に注目したことから始まる。「排除アート」とは、突起の散りばめられた公共空地や不自然に仕切られたベンチを配置し、ホームレスなど特定の人々を排除した造形物だ。何も知らずに見ると展示物としても楽しめるかもしれない、その意図は敵意剥き出しであるともいえるだろう。
現に「排除アート」を批判する芸術作品は多く存在する。だが、小寺は悪と作者が共犯関係にあるように、「排除アート」という悪が存在しないとそれらの作品は存在しないのではと疑問を抱く。そこで身体を拒絶する「排除アート」を「台座」として捉え、SM器具として誤用。攻撃性を用いた作品が、悪に対して喜ぶマゾヒズムと結びつくのだ。
今回も身体をオブジェクト化させることには変わりないが、攻撃性を用いて鑑賞者の主体性を誘発することは、マゾヒズムならではである。展示物という名の「放置プレイ」を実践し、鑑賞者という女王様を待つ。来場客をも取り込んだ内容を、ぜひご覧あれ。
関連記事
『ドラァグクイーンとして体毛を生やす理由「男・女」らしさで遊んで』
『ポケモンとダニエル・アーシャムのコラボ展示、都内5カ所で開催』
『業界初、製作過程を公開する国際映画スタジオがギンザシックスにオープン』
『Chim↑Pomが森美術館内に託児所を開設、クラファン実施中』
東京の最新情報をタイムアウト東京のメールマガジンでチェックしよう。登録はこちら