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両国の「すみだ北斎美術館」で、企画展「歌舞音曲鏡(かぶおんぎょくかがみ)北斎と楽しむ江戸の芸能」が開幕した。
本展では、90年にわたる生涯をひたすら画業に専念した葛飾北斎(1760~1849年)が、20代のころに描いていた役者絵や、歌舞伎、浄瑠璃にまつわる作品、20年越しの観劇の感想をつづった文章などを展示。北斎の作品群や当時の出版物などを通して、今も続く伝統芸能がいかに江戸の人々に愛されていたかを実感できる展覧会だ。
北斎の初期作から江戸時代の歌舞伎に触れる
「世界で最も有名な海の絵」と言っても過言ではない、北斎の「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏(ふがくさんじゅうろっけい かながわおきなみうら)」。実はこの作品、北斎が70歳を過ぎてから描かれたことが分かっている。
「冨嶽三十六景」シリーズを発表する約50年前、19歳で浮世絵師の勝川春章(かつかわ・しゅんそう)に入門した北斎は、翌年から勝川春朗(かつかわ・しゅんろう)と名乗り、勝川派の絵師として第一歩を踏み出した。
展覧会のテーマである芝居になぞらえ、1章ならぬ1幕目「北斎が役者絵を描いていた頃」では、当時発表した歌舞伎の役者絵を、前後期で9点ずつ紹介。北斎の初期作がまとまって展示されるのは貴重な機会だろう。役者絵は、師匠である春章が得意としたジャンルでもある。
特に今回が初公開の「三代目瀬川菊之丞 白拍子(しらびょうし)」(1783年、後期展示)は必見。現代でも人気の歌舞伎の演目「京鹿子娘道成寺(きょうがのこむすめどうじょうじ)」の主人公・花子を演じた女形の人気役者を描いた華やかな作品だ。
また、当時の芝居小屋の内部を、浮絵(うきえ)と呼ばれる遠近法を取り入れて描いたものや、芝居小屋があった現在の日本橋人形町や東銀座の町並みを描いた作品も展示。多くの観客や役者の声が聴こえてきそうな、にぎわいと活気あふれる描写がなされている。
音曲や浄瑠璃にまつわる作品も幅広く手がける
続く2幕目「北斎と江戸の芸能」では、見慣れない上下が反転したような不思議な印刷物、「刷物(すりもの)」が複数点展示されている。これは現代で言う少部数のZINEのような、非売品の私的な印刷物で、大衆が手軽に購入できた大量生産の浮世絵とは異なるものだ。
北斎は35歳ごろに勝川派から独立。以降、20代で描いていた役者絵は確認されていないが、芝居や芸能に関連する作品は描き続けていた。展示されている刷物は、音曲(おんぎょく)のおさらい会や襲名披露会の案内状として作られたもの。音曲とは、三味線で唄う端唄(はうた)や小唄(こうた)、都々逸(どどいつ)などの総称で、現代でも寄席などで楽しめる。
本展では、大判の刷物が完全な形で多数展示されている。実際には上下で2つ折りし、さらに左右で3つ折りした、正方形に近い形状だった。本展のリーフレットがまさにこの形を踏襲して制作されているので、1階のミュージアムショップで手に取ってみてほしい。
ここまで多数の摺物が展示されるのは、非常にまれな機会だ。もともと少部数で刷られた一過性の印刷物のため、完全な形で残っていることが少なく、まとまった研究もされていないという。私的なものとはいえ、ち密な描写と豊富な色使い、エンボス加工のような空摺(からずり)の細工が目を引くものばかりで、北斎や摺師(すりし)のこだわりぶりが伝わってくるようだ。単眼鏡を持っていれば、ぜひ細部までじっくりと鑑賞してほしい。
2幕目のもう一つの見どころが、「浄瑠璃」に関する作品群だ。17世紀末に成立した義太夫節(ぎだゆうぶし)や常盤津節(ときわづぶし)など、語りと三味線の伴奏によって演じられる浄瑠璃が、18世紀後半、庶民の間で人気となり、稽古本が出版された。
北斎も、有名な浄瑠璃の聴きどころに、自身で絵をつけた稽古本「絵本 浄瑠璃絶句」を発表している。明治期以降もタイトルを変えて出版されるなど、長らく人気を博した。
また、北斎と言えば、観察力と描写力を存分に発揮した「北斎漫画」が現代でも人気だが、ここでも庶民が浄瑠璃を稽古する様子を描いたページを紹介している。浄瑠璃が庶民の暮らしにとても身近な芸能で、観るだけではなく、有名な一節を自ら演じて楽しむことが一般的だった証ともいえるだろう。
踊りの教則本に見られるユーモアたっぷりの描写
本展の3幕目「踊りさまざま」では、北斎が描いた多種多様な「踊り」にまつわる作品を一挙に紹介。眺めているだけでもにぎやかで楽しげな雰囲気が伝わってくる。
吉原の遊郭で毎年夏に行われていた「𠮷原俄(よしわらにわか)」での踊りの様子を描いた「仁和嘉狂言」のシリーズや、北斎漫画で描かれるよりも前に、文字絵(くずした漢字やかな文字で構成したもの)として描き方を指南した「己痴群夢多字画尽(おのがばかむらむだじえづくし)の「雀おどり」などが展示されている。
中でも目を引くのが、当時はやっていた歌舞伎の舞踊4作品の振付をまとめた教則本「踊独稽古」だ。浄瑠璃と同様、歌舞伎に登場する踊りも自分でまねして踊りたい、という庶民の声から出版されたのだろう。写真も映像もない時代に、振付をここまで細かく絵と文章で解説した教則本は、高い人気を集めたのではないか。
紹介されている振付の一つ「悪玉おどり」は、歌舞伎の演目「三社祭」に登場する。毎年5月に浅草で行われる、あの三社祭のことだ。
現代のキャラクターをほうふつさせる「善」と「悪」の面を着けた2人の役者の姿や、パラパラ漫画のような細やかな振りの描写は、眺めているだけでも楽しい。しかも本展では、実際にアニメーションにした映像も楽しめる。北斎の巧みな観察眼と表現力がより実感できる楽しいコンテンツを経て、展覧会は終幕に向かう。
ゆかりの地で波乱万丈な北斎の人生をたどる
SANAAの妹島和世(せじま・かずよ)が設計したことでも知られるすみだ北斎美術館は、2016年11月22日に開館。北斎は、同館が建つ墨田区本所界隈で暮らし、ゆかりの地も近隣に点在している。
生前からよく知られた絵師だったものの、その名声や自身の衣食住には無頓着で、引っ越しや改名を頻繁に繰り返していたことでも有名だ。90歳までひたすら画業に没頭した変わり者、とも言われるが、果たしてどんな人生を送っていたのか。4階の常設展フロアを巡れば、その波乱万丈の生涯を、作品とともにたどることができるだろう。
また現在は、常設展プラス企画として「隅田川両岸景色図巻(複製画)と北斎漫画」も同時開催。北斎漫画などのレプリカ約15冊を手に取って読めるほか、100年以上も所在不明だった絵巻物「隅田川両岸景色図巻」も展示されている。
肉筆画としては最長の約7メートルに及ぶ本作は、北斎が45歳のころに手がけたもの。明治期にヨーロッパで浮世絵商をしていた林忠正(はやし・ただまさ)によってフランスへ渡り、1902年にパリで競売にかけられたという。
作品保護のため、展示されているのは高精細の実物大複製画だが、鮮やかな色彩が見事で、極めて良好な保存状態だったことがうかがえる。現代の隅田川や浅草の風景と、イメージを重ねながら楽しんでほしい。
企画展「歌舞音曲鏡 北斎と楽しむ江戸の芸能」と、常設展プラス「隅田川両岸景色図巻(複製画)と北斎漫画」は、ともに2024年5月26日(日)まで開催中だ。
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