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クリストファー・ノーランが監督した「オッペンハイマー」が話題だが、彼の前作「TENET テネット」同様、そのタイトルは一部の映画ファンにとって疑問符が付くものかもしれない。
この映画でキリアン・マーフィーが演じるロバート・オッペンハイマーとは何者で、何をした人物なのか?
幸いなことに、いまだによく分からない「テネット」とは異なり、この象徴的な量子物理学者であり「原爆の父」と呼ばれる彼の人生については、我々が不明な点を補ってくれる人物がいる。
映画の原作で、ピューリッツァー賞を受賞した伝記「オッペンハイマー『原爆の父』と呼ばれた男の栄光と悲劇」を共同執筆した、歴史家のカイ・バードだ。2023年の最もスマートで最も心をつかむ映画の主人公にまつわる大きな疑問について、彼が答えてくれた。
1.「オッペンハイマー」は実話に基づいている?
この映画は記録がよく残されているオッペンハイマーの人生における事実に忠実であるといえる。原作者の一人、伝記作家のバードはこう語り始めた。
「オッペンハイマーは『原爆の父』とみなされている人物。彼はアメリカを代表する物理学者であり、1920代から30年代にかけて量子物理学の最先端にいました」
2.「マンハッタン計画」とは何だったのか?
オッペンハイマーの最大の功績は、ニューメキシコにおけるアメリカの極秘の戦時原爆プロジェクトである「マンハッタン計画」の運営を依頼されたことだろう。そして、そのことはこの映画の主題でもある。
バードは、このプロジェクトはナチスの科学者たちとの時間との闘いであり、オッペンハイマーは国のために勝利を収めた、と解説。「彼は2年半で(人類最初の原子爆弾である)『ガジェット』が製造されたロスアラモスの秘密都市の責任者だった」と続けた。
3. 映画はどんな物語?
バードいわく「(戦争時代の)勝利から、マッカーシーの魔女狩りの時代に彼が経験した悲劇までの一連の物語」だという。
1945年、オッペンハイマーは祖国の勝利に貢献した国民的英雄であり、その顔は「タイム」「ライフ」などの雑誌の表紙を飾っていた。しかし、「それからわずか9年後、彼はカンガルー法廷に連行され、屈辱的な扱いを受け、セキュリティ・クリアランスを剥奪された。彼は公的な存在ではなくなってしまったのです」とバードは説明する。
4. 実際のオッペンハイマーはどんな人物だった?
「彼は強いカリスマ性があり、女性にとって魅力的。フランス文学やイギリスの詩人、アーネスト・ヘミングウェイの小説を愛し、ヒンドゥー教の神秘主義に魅了されました」とバード。彼は、そんなオッペンハイマーを演じたマーフィーについて次のように絶賛している。
「マーフィーはオッペンハイマーを非常に強烈な個性として演じていますが、まさに正しいです。彼は非常に強烈で思慮深く、もろく繊細でありながら強さも併せ持つ、矛盾に満ちた人物でした。オッペンハイマーという人物の複雑さをよく捉えているといえるでしょう」
5. 彼は「オッピー」と呼ばれるのが好きだったのだろうか?
「オッピー」とは、オッペンハイマーの親しい友人や学生たちが使っていた彼のニックネームだ。
これについてバードは「そうだったと思います」と述べ、「このニックネームは、彼がケンブリッジからドイツに留学した後につけられたものです。彼がオランダにいたとき、誰かが彼のことを『オッピエ』と呼び始め、それが徐々に『オッピー』に変わっていったのです」と付け加えた。
ただ、誰もがこのニックネームを使ったわけではなかったと指摘。「彼の妻はロバートと呼んでいましたよ」と教えてくれた。
6. オッペンハイマーは原爆についてどう感じていたのだろうか?
一言で言えば、「葛藤していた」ようだ。バードはこう解説する。
「彼は非常に複雑な心境でした。彼は『ガジェット』を作るために懸命に働いていましたが、彼の動機は、敵対するドイツが原爆を完成させる可能性があると信じていたから。それがどんなに恐ろしい結果をもたらすかを理解していたと同時に、この兵器が使用された場合、その犠牲者のほとんどが一般市民であることも認識していたのです」
7. 映画に出てくる「毒リンゴ事件」は実際に起こったのだろうか?
映画の冒頭では、ケンブリッジ大学の学部生だったオッペンハイマーがカッとなって教授のリンゴに青酸カリを注入。しかし、結果的にそのリンゴを捨て、死を回避するシーンが描かれている。バードはこの事件について、歴史的に正確かどうかは保証することはできないとし、次のように話した。
「オッペンハイマーは友人たちにそのような話をしていたようですが、それは比喩だったのかもしれません。彼はか弱い若者で、神経衰弱になりかけていました。ケンブリッジ大学を停学になり、保護観察処分となっていましたが、大学の記録が破棄されたため、正確なことは分かりません」
8. 戦後、オッペンハイマーはどうなった?
彼は、1940年代後半のアメリカの反コミュニスト運動に巻き込まれた。彼自身の左翼的なつながり(映画でフローレンス・ピューが演じた共産主義者の組織者、ジーン・タトロックと交際していた)や核拡散に対する彼の率直な懸念が、彼をマッカーシー派の魔女狩りの標的にした。結局、急きょ設定された保安聴聞会に出席することを余儀なくされたのだ。
「彼は1945年以降の残りの人生を、科学者として自分が生み出したものの意味合いと格闘することに費やしました。彼は権威や傲慢(ごうまん)さに非常に不寛容で、その結果、強力な政敵を何人か作ってしまったのです」とバードは言う。
9. 大統領は本当に彼を「泣き虫」と呼んだのか?
そのようだ。映画では大統領執務室のシーンが印象的に描かれているが、オッペンハイマーはハリー・S・トルーマンとの会談で、原爆について道徳的な優位に立とうとするあまり、会談を台無しにしてしまった。バードによると「大失敗」だったという。トルーマンは補佐官に「あの泣き虫科学者には二度と会わない」と伝えたそうだ。
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『Who was Oppenheimer? The true story you need to know before watching the film(原文)』
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