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「築地本願寺」などで知られる建築家・伊東忠太が設計した貴重な邸宅「荻外荘」が復原され、2024年12月9日(月)に一般公開される。荻外荘は、荻窪駅南口から10分ほど歩く閑静な住宅街の中にある。内閣総理大臣を3度務めた政治家・近衛文麿が、1937年の第一次内閣期から1945年12月の自決に至るまでの期間を過ごした邸宅として知られている。
昭和前期の政治の転換点となる重要な会議を数多く行った場所でもあり、日本政治史上の重要性から、国の史跡に指定された。
建物自体は、1927年に入澤達吉(いりさわ・たつきち)の荻窪別邸として建設。その後、近衞が譲り受け、移り住んだ。大正から昭和にかけて流行した中廊下形住宅と、伝統的な書院造風の雁行形を合わせた間取りながら、椅子やテーブルは洋風の生活様式を取り入れている。
2012年に近衛の次男が逝去したことで、地域住民から荻外荘を保護する声が上がり、2014年から本格的に「荻外荘復原・整備プロジェクト」が始まった。荻外荘の東側の一部は1960年に豊島区へ移築されていたが、今回の復原では、昭和戦前期の状態に戻すことを目指したため、2018年に移築部分も杉並区が再取得。約7年をかけて解体し、補完工事を実施した。
4軒しか現存していない伊東忠太設計の邸宅
東側の応接間は、中国風の意匠を凝らした空間だ。これは、伊東の設計様式や入澤の中国趣味が反映されているという。 床には、伊東がデザインしたという竜の文様の敷瓦が使われている。当時の部材が多く残されていたため、オリジナルの敷瓦とレプリカが混じっている。時間経過を経て、表面に艶を帯びているものがオリジナルだという。探してみるのも一興だろう。
このほか木材も、当時のものを使える範囲で新しいものと組み合わせている。広縁の窓も、反ってしまっているものなども含めて残した。
なお、近衛が自決した書斎にはほぼ手を加えておらず、その当時の姿のままだという。激動の時代の終焉(しゅうえん)が閉じ込められているような心持ちがする。
客間は、「独伊三国軍事同盟」の締結などの契機となった「荻窪会談」や「荻外荘会談」など、重要な会談が行われた場所だ。当時の会談風景を再現したVR映像では、東條英機らが議論を交わしている姿も観ることができる。
会談の様子が映されたモノクロ写真や新聞などの文字情報から、国内の職人の知恵と技術を結集させ、再現したという。壁紙やランプ、大きな渦巻きがユニークなデザインの椅子、エビやカメの壁掛けオブジェなど、当時の和洋折衷の生活スタイルが垣間見える。
食堂には、再現された食器棚などのほか、一般観覧者が実際に座ることができる椅子やテーブルもある。また、食器は全て当時のものだという。残存していることに驚かされる。
和室の一部はカフェ・ショップとして、「とらやあんスタンド」などを手がける虎玄(こげん)が運営する。10席程度と小さいが、歴史の転機を生み出した建築の中でくつろぐひとときは無二の価値があるだろう。2025年夏には、建築家の隈研吾が設計するカフェが荻外荘公園内にオープンする予定で、和室のカフェはそれまでの期間限定となる。
開館は9時から17時を予定している。料金は300円、小・中学生150円(税込み)だ。
ありのままの姿を復原したことによって、当時を知らない世代が歴史を体感して学べる荻外荘。古き良き建築は、中に入っただけでもタイムスリップしたかのような心地になるだろう。歴史が物語る深みを体験してみては。
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