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ジミ・ヘンドリックスの『パープル・ヘイズ』が誕生した場所はロンドンで、1966年のボクシングデー(12月26日)に書かれたというのは有名な話だ。ただ「ジミヘン」はこの曲を、紫の包みで知られるクオリティ・ストリートのチョコレートを口に入れ、BBCの連続ドラマ『イーストエンダーズ』を観ながら作ったわけではない。
その日の午後、彼が訪れていたのは、フォレスト・ゲートにあったUpper Cut Clubというライブハウス。かつての雇い主で「ショウビズ界で最も忙しい男」と称されたジェームス・ブラウンのように精力的に活動していたヘンドリックスは、同ヴェニューでの昼公演を前にして楽屋にいた。そう『パープル・ヘイズ』はこの時、書かれたのだ。
ライブハウスは、クリスマスシーズンを過ごすのに華やかな場所とは言えないかもしれない。しかし彼の前には、すでに世界的なスーパースターへの道があったのだ。Upper Cut Clubは、その道を歩む直前にヘンドリックスが立ち寄った場所だといえるだろう。
Upper Cut Clubはすでに消滅している。しかし、ロンドンのジャーナリストであるニーンドラ・エティエンヌは、その場所を人々の記憶にとどめるための活動を続けた。そして、ついに彼女の願いがかない、ニューアム区の文化遺産をたたえるニューアム・ヘリテージ・マンスの一環として、Upper Cut Club跡地に、ヘンドリックスのサイケな名作が誕生した場所であることを示す青い銘板、ブルー・プラークの設置が実現。その正式な公開日である、2021年5月28日に行われたセレモニーには、ヘンドリックスの弟であるレオン・ヘンドリックスもアメリカの自宅から生中継で参加した。
ブルー・プラークの公開を前にエティエンヌは、「『パープル・ヘイズ』はジミ・ヘンドリックスの最も象徴的な曲の一つです。ジミとの関係を知らないまま、この地域を通り過ぎてしまうようなことがあってはならないと思いました。ニューアム・ヘリテッジのブルー・プラークが設置されたことで、この曲がロンドンのニューアム区フォレスト・ゲートで作られたことを誰もが知ることになるでしょう」と語っている。
今回のブルー・プラークの設置に加え、Upper Cut Clubの歴史を伝えようと、ヘンドリックスをはじめ、ニーナ・シモン、オーティス・レディング、スティービー・ワンダーなど、同ヴェニューで演奏したスターたちの壁画を作成する計画もあるという。
ヘンドリックスは、キャリアが軌道に乗った頃、ロンドンに住んでいた。メイフェアにあるアパートは、かつてゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルが住んでいた家の隣だった。フォレスト・ゲートはそのような高級住宅地からは遠く離れているが、この新しいプルー・プラークは、ヘンドリックスがロンドン中で絶え間なくライブを行っていたこと、そのことが彼がスターダムを駆け上がる基礎になったことを思い出させてくれる。さらに、それがようやく認められたことは素晴らしいことだろう。
弟のレオン・ヘンドリックスにその意義を尋ねたところ、次のように答えてくれた。「ジミはロンドンを愛していた。ロンドンは彼にとって、故郷のシアトルを思い出させたんだ。いつも雨ばかりだけど、太陽が輝くときもある。虹は、太陽と雨がキスをして生まれるんだよ」
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