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テキスト:高橋彩子
シンガポールを拠点に活躍するアーティスト、ホー・ツーニェン(Ho Tzu Nyen)の初期作品から最新作までを紹介する個展「ホー・ツーニェン エージェントのA」が2024年7月7日(日)まで、「東京都現代美術館」で開催されている。深い思索をユニークな視点で表現するホーの世界を堪能できる内容だ。
1976年生まれのホーは、映像やインスタレーションを通して、東南アジアの歴史や精神をさまざまな視点から考察してきた。近年は、「国際舞台芸術ミーティング in 横浜」にて2018年に「一頭あるいは数頭のトラ」、2020年に「ヴォイス・オブ・ヴォイド—虚無の声」(ワークインプログレス)、「あいちトリエンナーレ2019」で「旅館アポリア」、2021年に「山口情報芸術センター[YCAM]」にて「ヴォイス・オブ・ヴォイド—虚無の声」、2022年に「豊田市美術館」にて「ホー・ツーニェン 百鬼夜行」と、毎年のように日本でその作品が披露され、大いに注目を集めている。
今回は、上記の「一頭あるいは数頭のトラ」「ヴォイス・オブ・ヴォイド—虚無の声」のほか、2003年のデビュー作「ウタマ—歴史に現れたる名はすべて我なり」、2015年発表の「名のない人」および「名前」、2023年の「時間(タイム)のT」などの映像作品を展示。プレス内覧会で「私は動く思考のようなイメージで映像を作っています」とホーは語ったが、まさにその思考を存分に浴びることができる個展と言えるだろう。
「ウタマ—歴史に現れたる名はすべて我なり」は、恐らくは土地によくいるトラを見ながら存在しないライオンを見たと称しシンガポールの国名「シンガプーラ(サンスクリット語でライオンのいる町)」を命名したとされるパレンバン(現在のインドネシア・スマトラ島)の王子、サン・ニラ・ウタマ(Sang Nila Utama)を象徴的に扱いながら、王座を幾度も固辞しながら権力を強化していった共和政ローマ末期の政務官ジュリアス・シーザー、シンガポールを創設したイギリス人植民地行政官トーマス・スタンフォード・ラッフルズ(Thomas Stamford Raffles)など、さまざまな権力・権力者を考察する寓話(ぐうわ)的作品だ。
「一頭あるいは数頭のトラ」は、トラと人間の神話や伝説を皮切りに、イギリス政府からの委任でシンガポールに入植した測量士ジョージ・D・コールマン(George Drumgoole Coleman)とトラとの遭遇、マラヤ共産党のゲリラから「マレーの虎」と称された大日本帝国の山下奉文まで、「トラ」をキーワードにマレー半島の歴史を巡るさまざまな事象を3Dアニメーションで表した作品。
また、第二次世界大戦中、イギリス、日本、フランスの三重スパイとして活動したマラヤ共産党総書記のライ・テック(Lai Teck)を取り上げた「名のない人」は、マラヤ共産党とマラヤ危機について記した資料「マラヤの共産主義闘争」などのゴーストライターとされる謎の人物、ジーン・Z・ハンラハン(Gene Z. Hanrahan)を扱った「名前」と対を成しており、一つの空間を分かち合っている。ホーの言葉によれば、この2作は「歴史の不確定性についてのもの」。名前と情報を扱った2作がどちらも既存の映画などのコラージュとなっている点も示唆的だろう。
太平洋戦争に深く関わった哲学集団「京都学派」をフィーチャーした「ヴォイス・オブ・ヴォイド—虚無の声」については、2021年にYCAMでの展示をレポートしている。本作ではVRでの鑑賞を通して、歴史上の人物の思想や会話や体験を立体的に体感することができる。
最新作「時間(タイム)のT」は、時間と記憶、膨大なモチーフから多角的に考察するもの。時間という概念の歴史をたどり、イギリスのグリニッジ天文台を基準に定められた近代の時間とシンガポールの時間の変遷を追い、ホーの友人の父親が突如家族アルバムやホームビデオをデジタル化したエピソード、あるいは小津安二郎の映画などに言及しながら、人間にとって時間とは何であるのかを問う壮大な作品だ。実はこの映像にはアルゴリズム編集システムが仕込まれており、それによってシークエンスや映像の配列が決められ、歌とサクソフォンの音源が組み合わせられているという。また、本作は2面スクリーンの形を採っており、例えば前述のホーの友人のエピソードでは、奥のスクリーンに実際の写真や映像が、前方にはそれらをアニメーション化した映像が投影され、二重写しになる。
このほか、「時間(タイム)のT:タイムピース」では、宇宙のイメージや、振り子のように揺れる老婆像、生のはかなさを絵画に込めるヴァニタスの伝統にのっとった静物画、罰としてあと一息のところで落下する大石を永遠に山頂に押し上げ続けなければならないギリシャ神話上の人物シジフォスのアニメーションなど、「時間(タイム)のT」のテーマとリンクする30点の短い映像と12点のアプリケーションが並ぶ。
また、ホーが2012年に始めたプロジェクト「東南アジアの批評辞典」も展示されており、鑑賞者が選択するAからZに応じたキーワードとイメージが表示される。そのうちのTはタイガー(トラ)、Uはウタマ、Lはライ・テック、Gはジーン・Z・ハンラハンとなっている。
こうして見ていくと、ホーの一貫した問題意識や世界との向き合い方が浮かび上がってくる。それらは私たちの意識を刺激し、覚醒させ、変革を促すものだ。各映像にそれなりの長さがあり、かつ、タイムテーブルに沿って交互に上演されるため、好きな時間に行って全てを効率よく見られるとは限らない。そこには「同じところにとどまるものはなく、常に変化している状態の展示室を作ろうとした」(ホー)という意図も働いているようだ。時間に余裕をもって出かけてほしい。
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