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食料品店が「クラブ」になった日

夜のクラブでは踊れなかったが、グローサリーストアの通路でホール&オーツの曲を聴きながら踊った

Will Gleason
テキスト:
Will Gleason
Content Director, The Americas
Grocery stores became the new clubs
Image: Tom Hislop
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ニューヨークがロックダウン真っただ中だった時を思い出してみると、頭に鮮明に浮かぶたくさんのイメージがある。店先にあるのは、プリントアウトしたものを無造作に貼っただけの、一時閉店の知らせ。数週間たっても、ぼろぼろのままそこに残っていた。

街中にあるいくつものLinkNYCキオスクが煌々(こうこう)とした光を放ちながらサイネージに表示しているのは、見知らぬ人との距離を保てというディストピア的なメッセージだ。歩いて渡った完全に「空」になったブルックリン橋は、雨上がりで輝いていた。

そんなさまざまな光景の中、一つだけ印象に残っている「音」がある。1999年にフェイス・ヒルが発表したカントリーポップの定番曲『Breathe』だ。グローサリーストア(食料品店)を訪れた時、爆音で流れていたのだ。

2020年3月から4月にかけてニューヨークでは、ほとんど全ての時間が静寂に包まれていた。あの頃は、次に何が起こるか誰も分からない、世界が一時停止しているような感覚をみんなが持っていたように思える。演劇で例えるならば、舞台上でハプニングが起きたようなものだ。我々は、急きょ下ろされた幕を前に、ぼうぜんとしながらもその後に何かが起こるのかと、ただ静観するしかなかった。

しかし、静寂という表現が当てはまらない場所があった。それは多くの住人が行き場を失った空っぽのアパートでも、何ブロックも人に会わずに歩ける不毛な通りでもない。グローサリーストアだ。

ロックダウン以降に初めて外出した時のことについて、自分以外の「人間」に再び会えたことが衝撃的だったと語る人は多い。しかし、私の場合、音楽が再び聞こえてきたことが不思議で、印象に残っている。何日も無音の状態が続いた後、初めて食料品の買い出しに行ったとき、ほかの人がいる広い室内空間でサウンドシステムから流れる曲を聞いて、思いがけない衝撃を受けたのだ。

それまで音楽を聞かなかった時間が続いたせいか、そうして耳に入ってきた音楽が、すぐに人生のなかの「マイベスト」になった。何かを感じたのは自分だけではなかったようだ。聞こえてきたのは「ただの音楽」ではく「グローサリーストアミュージック(Grocery Store Music)」と呼ばれる特定のジャンルの音楽だった。

それらは時代を超越していて、混沌(こんとん)とは無縁で、温かい風呂に浮いているかのような質感を持った、ある種のイージーリスニングミュージックといえるもの。グローサリーストアの中では、たくさん並ぶ缶詰に跳ね返ったり、冷凍食品売り場で響いたりと、複雑な音環境を経て、我々の耳に届く。

子どもの頃に親と一緒に行った長距離ドライブ中に流れていた音楽、電話である担当者に連絡を取ろうとしている時に延々と聞かされている保留音なんかもまた、このジャンルに属している可能性が高い。グローサリーストアミュージックがどんな音楽であるかは、Spotifyのプレイリストで聞いてみるのがおすすめだ。

私がフェイス・ヒルの『Breathe』を聞き、この曲を見直したのはイーストヴィレッジにあるスーパー、Key Foodの4番通路だった。しばらくして、肉売り場に足を踏み込んだところで流れてきたのは、ヴァネッサ・ウィリアムスの『セイヴ・ザ・ベスト・フォー・ラスト』。鶏胸肉のパッケージを見つめながら、自分自身の存在意義を問い直した。

別の日には、パスタ売り場をフリートウッド・マックの『ドリームス』に合わせて踊りながら歩いたり、ウィルソン・フィリップスの『ホールド・オン』の力強い歌詞が心にしみ、レジの横で涙が込み上げてくるのを感じたこともあった。

こういった公共の場で音楽と感情がつながるといううれしい経験をして間もなく、私は食料品を切らすたび、積極的にグローサリーストアへ出かけるようになった。そうした行動は、バーやナイトクラブが閉鎖されるようになってから感じていた、ある種の空虚感を埋めるものだと自分自身でも理解していた。グローサリーストアという空間が、集団パニックや買いだめ、安全対策を巡る衝突、エッセンシャルワーカーの素晴らしく勇敢な行動の舞台でもあることを考えると、2020年にこの種の店が新たに「クラブになった」と語ることは、少し軽薄に思えるかもしれない。

しかし同時にこうした店は、我々の多くがひどい状況の中で体験したことを、ちょっとした形で明示している場所でもあると思えるのだ。それは例えば、試練のさなか、音楽や人間らしさを共有しているという感覚によって感じられる「心地よさ」のことである(より表面的なレベルでは、列が乱されないように線が引かれてあったり、警備員がにらみをきかせていた)。

興味深いことに、世界の各都市ではこの1年間、グローサリーストアが「新たなクラブ」のように注目されたことがあった。バニティ・フェア誌は、セレブたちがパパラッチを避けて足を運んだロサンゼルスの健康食品店のことを、街の「最新人気スポット」として紹介。

ミズーリ州のあるグローサリーストアは、コロナ禍では運用ができないサラダバーを、(缶ビールやパッケージされたスナックなどを並べた)陽気なティキバーに変えた。その一方で、ペルーの大きなLGBTQ+クラブのように、コロナ禍でグローサリーストアへと改装し、食料品を売り始めたクラブもあるのだ。

同じ3月、私には別の奇行が現れた。パンデミックの中、必需品を買いに訪れた店の棚と棚の間を歩いている時、素晴らしい音楽がかかるたび、私は聞こえないぐらいの小声であるフレーズを口ずさんでいたのだ。例えば「Club Grocery Store. Club Grocery Store(ここはグローサリーストアクラブ)」のようにだ。

さらに、街が再び動き出したその後の数カ月にわたっては、久しぶりに訪れた場所で良い音楽がかかるたびに、気がつけばいつも静かに、似たようなフレーズを繰り返していた。「Club Rooftop, Club Rooftop(ここは屋上クラブ)」「Club Uber, Club Uber(ここはUberの車内クラブ)」「Club City Health Department Covid Testing Center(ここは市保健局の検査センタークラブ)」と。

私が本当に待ち望んでいるのは、シンプルに「Club Club(クラブ)」とまた言える日が来ることだ。その時まで、道すがら聞いた全ての音楽に感謝したいと思う。

タイムアウトニューヨークによる原文はこちら

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