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バービーマニアが大喜びし、1日に2本も超大作(そう、もう一つは「オッペンハイマー」)を見ながらポップコーンをパクパク……。2023年の夏は映画の話題がいろいろあったが、何より映画が好きであることを改めて認識した人が多かったのではないだろうか。
そしてこの冬は、フランス皇帝であったナポレオン・ボナパルトの生涯をテーマにした新たな歴史映画「ナポレオン」が、各地のスクリーンを席巻しようとしている(日本では2023年12月1日公開)。同作の監督はリドリー・スコット。キャストにはホアキン・フェニックス、ヴァネッサ・カービー、タハール・ラヒム(「預言者」に出演)などが名を連ねている、まさに「大作」だ。
物語の軸となのは、彼が平凡な兵士から皇帝の座に就くまでの過程。後に妻となるジョゼフィーヌ・ド・ボアルネとの不安定なロマンスとともに、ナポレオン戦争、容赦ない野心、並外れた軍事指導者であり戦争の先見者としての驚くべき戦略的頭脳などが描かれているという。
我々のほとんどは、重要な歴史的事実としてフランス革命におけるナポレオンの冷酷な役割を学校で習っていると思うが、彼についてそれ以上知っている人はどれくらいいるだろうか。ここでは、映画鑑賞後のおしゃべりに忍ばせておきたい、ナポレオンに関する5つの意外な事実を紹介しよう。
「ロマンス小説家」として副業もしていた
戦場で活躍したナポレオンだが、激しい愛の人でもあり、愛において時には執拗(しつよう)な人でもあった。根っからのロマンチストで、ジョゼフィーヌが登場する前に婚約していたデジレ・クラリーとの関係に着想を得て小説を書いたこともある。「クリソンとウジェニー」という物語だったというが、出版はされなかった。当時それを読んだ人々によれば、悪い内容ではなかったようだ。
ベートーベンはナポレオンの大ファンだった
ベートーベンは、フランス革命の理想を体現しているのはナポレオンだと考え、彼を尊敬していた。「交響曲第3番」をささげたのは、ナポレオンが第一領事だった1804年のこと。しかしベートーベンは、ナポレオンが自らをフランス皇帝と宣言したことに怒りと失望を示し、この曲を「英雄」または「エロイカ」と改名。そして、その美しい友情は終わりを告げた。
背はそれほど低くなかった
ナポレオンの背が低かったという話は、よくある誤解。これは兵士たちが、彼に「小伍長」というあだ名をつけたことに起因する。実際の身長は175センチメートルだったという。もし彼が現代にいたら、マッチングアプリのプロフィールで身長を偽る必要があるかもしれないが、当時としてはかなり背が高かった方だと言える。
労働者のコスプレをしていた
名声絶頂の頃、ナポレオンはパリの舗道を人目を忍んで歩くために、労働者階級の服装に身を包んだといわれている。彼は一般人に声をかけ、自分自身について質問していたようだが、これはおそらく人々の間での自分の人気を確かめようとしたためだろう。
第一言語はフランス語ではなかった
ナポレオンは間違いなく、世界で最も有名なフランス人である。しかし、彼は地中海に浮かぶフランスの島、コルシカ島で生まれた。子どもの頃は、ジェノヴァ語と地元の方言(どちらもルーツはトスカーナ)を話し、後にそのなまりのためにいじめられた。ナポレオンは幼少期を通じてフランス語を学んだが、9歳でパリ郊外の大学に入学するまで流ちょうには話せなかったという。
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