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※2024年4月26日、記事内容を更新いたしました。渋谷区立松濤美術館より「100点以上が初公開と伝えてしまいましたが、後日確認したところ、本邦初公開と明確に言える作品は約60点でした」という指摘を受け、該当箇所を100点以上から約60点に修正いたしました。お詫びして訂正いたします。
美しい曲線と鮮やかな色彩に、草花や昆虫などのデザインで、ガラス工芸をアートへと高めたフランスのガラス作家、エミール・ガレ(Emile Galle、1846~1904年)。現在、「渋谷区立松濤美術館」で開催されている企画展「没後120年 エミール・ガレ展 奇想のガラス作家」は、これまで紹介される機会の少なかった国内の個人コレクターや私設美術館が所蔵する貴重な作品を中心に、ガレの創作の足跡をたどる内容だ。
開幕を前に行われた報道関係者向けの内覧会では、本展を監修した美術史家の鈴木潔が、ガレの生涯と手がけた作品の数々を解説。ガレの没後120年を記念した本展について、「最初期から晩年までの作品約120点を展示していますが、うち約60点が初公開です。これまで開催されてきたさまざまなガレの展覧会の図録や、専門書にも載ってないような作品ばかりなので、ぜひ多くの方にご覧いただきたいです」と語った。
マルチクリエーターであり敏腕経営者でもあったガレ
ガレは、19世紀末のヨーロッパで花開いた装飾芸術運動「アールヌーヴォー」の旗手として知られる工芸家だ。フランス北部・ナンシーに生まれ、幼少期から歴史や語学、文学、哲学、植物学と、非常に幅広い分野に関心を持つ。
ドイツで素描やデザインを学んだのち、ドイツとの国境近くに位置し、ガラス産業が盛んなフランスのマイゼンタールでガラス製造の修行を積む。1877年、家業であるガラス・陶器製造販売の経営を31歳で引き継いだ。その後、地元のナンシーに自身のガラス工場を新設するまでの27年間、自社で販売する全てのガラス製品は、マイゼンタールで製造していたという。
監修した鈴木の言葉を借りれば、ガレは類まれなる美的センスと商才をかけ合わせた「産業芸術家」として、腕利きのガラス職人らとともに、特注のオーダー作品や少数限定の高級品から、大量生産による廉価品まで手がけていったという。本展は、その足跡を追いながら、多様な作品の数々を楽しめる構成だ。
地下1階の展示室では、中世やルネサンス、ロココの美術様式から着想を得た初期作や、日本や中国といった東洋の文化から影響を受けた作品を展示。ガラス工芸に革命を起こしたガレの作家としての顔のほか、経営者や植物学者としての顔も紹介している。
ガレは、父親から会社を引き継いだ翌年、1878年に初めて「パリ万国博覧会」へ参加し、青みを帯びた透明の素地が特徴の「月光色ガラス」の作品を発表。大きな話題となり、世界的な注目を集めるきっかけとなった。
続く1889年のパリ万博でも、新たに開発したガラス素地や技法の作品を出品し、ガラス部門でグランプリを受賞。そして3度目の参加となった1900年のパリ万博では、ガラス部門に加え、家具部門でもグランプリを獲得している。
本展では、ガレが手がけた家具も数点紹介されている。高級家具製作の工房を自社に作って本格的に取り組んでいたことでも知られ、細かな象嵌(ぞうがん)や彫刻の巧みな表現と技術は、ガラス制作にも生かされていった。
世紀末の退廃的なムードを黒色ガラスで表現、歴史を反映した創作も
併せて注目したいのは、同時代の美術運動や文芸作品とのコラボレーションを行ったり、政治や社会問題へも関心を寄せ、自身の作品へ積極的に取り入れて表現したりするなど、時代の変化に対する姿勢だ。さまざまなモチーフやデザインに、自身のメッセージを託しており、当時の時代背景とともに読み解くと、ガレや作品のイメージが変わるかもしれない。
例えば、騎士の姿とアザミの花が描かれた「リキュールセット」は、1875年ごろに制作された繊細な表現とグリーンのガラスが美しいが、フランス北東部ロレーヌ地方の歴史と、同地に大きな影を落とした普仏戦争(1870~1871年)に由来するデザインでもある。
18世紀まで独立国家だったロレーヌ地方では、恵まれた交通上の位置と豊かな資源のため、フランスとドイツ、オーストリアの間で、領有権を巡って度々争いが起こった。ガレは24歳で普仏戦争に志願し、従軍した経験を持つことから、ロレーヌの自立を象徴するアザミの花を通して表現したのだ。
また、最盛期には300人もの職人を雇う企業の経営者であり、アートディレクターでありながら現代美術家としても精力的に活動。絵画や彫刻、建築などに対して「応用芸術」と呼ばれ、単なる道具とみなされてきたガラスや家具などの工芸作品のイメージを変えた功績は大きいだろう。
通称「悲しみの花瓶」とも呼ばれる黒色ガラスの作品は、1889年のパリ万博で発表された連作の一つだ。
あえて黒一色の濃淡表現を模索した背景にはさまざまな要因が考えられるが、ガレと同時代に活躍し、世紀末の退廃的なムードを表現したオディロン・ルドン(Odilon Redon、/1840~1916年)の絵画の影響も指摘されている。
また、本展を監修した鈴木は、ナンシーに留学し、ガレと親しかった日本画家・高島北海(たかしま・ほっかい、1850~1931年)の水墨画から何らかのインスピレーションを得たのではないか、とも推察しており、とても興味深い作品だ。
「哲学の建築家」白井晟一の名建築とともに楽しむ造形美
本展が開催されている渋谷区立松濤美術館といえば、建築家の白井晟一(しらい・せいいち、1905~1983年)が晩年に手がけた建物としても知られている。
白井は、京都高等工芸学校(現京都工芸繊維大学)図案科を卒業後、ドイツ哲学を学び、独学で建築家になった異例の経歴を持つ。また、現在の「中公新書」の装丁など、多くの書籍の装丁デザインを手がけるほか、書家としても活動していた。
本展の会期中、毎週金曜日の夜には、職員による「館内建築ツアー」が開催されている。本展のチケットがあれば、事前予約不要・無料で参加できるので、ガレの作品の数々とマッチした展示空間や建築も併せて楽しんでほしい。
「没後120年 エミール・ガレ展 奇想のガラス作家」は、渋谷区立松濤美術館で、前期展示が2024年5月6日(月・祝)まで、後期展示は5月8日(水)から6月9日(日)まで開催されている。
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