[title]
能や歌舞伎などと並んでユネスコの世界無形文化遺産となっている人形浄瑠璃文楽。その若手人形遣いの一人、吉田簑紫郎が、自身の撮影による文楽人形の写真集『INHERIT』を出版した。INHERITとは「継承する」の意味。収められた写真は76点。160ページに及ぶスリップケース入り上製本での刊行だ。簑紫郎はどのような思いから今、写真集を上梓(じょうし)するに至ったのだろうか。
人形の魂と表情を写したい
人形の頭(「首=かしら」と呼ぶ)と右手をつかさどる「主遣い」を中心に、左手を操る「左遣い」、足を担う「足遣い」の3人の人形遣いが、1体の人形を操作する文楽。その動きは実に精緻で美しく、まるで生きているかのようだ。観客は通常、芝居の中で人形が演じる役の命が尽き、人形遣いが手を離した時に初めて、人形が木でできているという事実に向き合うことになる。
しかし簑紫郎の写真集では、舞台袖で出番を待ち、廊下や楽屋に控え、あるいは運搬されるた
「カメラにのめり込んだのは、20歳過ぎごろです」と、簑紫郎は振り返る。
「知人からフィルムカメラをもらい、その仕組みや手作業の面白さに引かれました。文楽に通じますよね。当初は景色や物を中心に撮っていましたが、若手の公演などで大役を経験して、文楽での芝居や役の性根がある程度イメージできるようになってきたのでファインダーを通してそのイメージを切り取ってみたいと考え、10年ほど前から人形を撮り始めました」
その際、師匠である三代目吉田簑助が人形と触れ合う姿からも大いにインスパイアされたという。
「師匠は楽屋入りして、置いてある人形の襟元を整えたり、ちょっと触ったりされるんです。以前からなさっていたのだと思いますが、ここ数年、昔よりも僕の印象に残るようになって。人形との残された時間を大事にし、人形を慈しんでいるように見えて、とても好きな姿でした。実際、人形が無造作に立ててあっても、『休んでいるんだなあ』『お疲れさん』と愛おしくなる。楽屋のスペースは限られているのですが、僕も最近は任される役が大きくなってきて楽屋に人形を置かせてもらうことが増え、着付けをちょっと直すような時、ふと人形に魂が入っていて表情があるように感じます。そういう表情を写真に収めたかったんです」
文楽との運命の出会い
簑紫郎が文楽と出会ったのは、小学校3年生の時。テレビで、簑助が主役を遣う文楽の舞台映像を観て、その魅力に引き込まれた。絵や工作が好きだった少年は、何より人形の仕組みに興味をそそられたという。
「母親にせがんで、大阪の国立文楽劇場の公演に連れて行ってもらいました。劇場の『体験コーナー』では、テレビで見た簑助師匠に後ろから人形を支えてもらい、人形を持たせてもらって。その後、一人で舞台稽古も見に行くようになりました。アポは取っていなかったのですが、警備員さんに『稽古を見せてもらいます』とあいさつすると『ご苦労さん』と入れてくれたんです。大胆な子どもですよね(笑)。観客が客席におらず音を吸われない分、人形の木の擦れる音、つかみ手の5本の指がカシャンカシャンと鳴る音までよく聞こえて興奮しました」
ここまで来たら、実際に操りたいと思うまでに時間はかからない。簑助に弟子入りを志願し、13歳で入門。以来、46歳の今まで、文楽一筋で修業に勤しんできた。近年は重要な役を遣う機会も増えている。
一方で昨年はコロナ禍で仕事がストップするなか、生まれて初めてアルバイトをし、今年は敬愛してやまない師匠の簑助が芸歴81年の舞台人生に幕を下ろすなど、簑紫郎には大きな変化の波が押し寄せている。そんな折にこれまで撮りためた写真から、自分が実際に主遣いや左遣いとして関わった人形の写真を中心に厳選し、製本家の友人、樋口久瑛と組んでまとめることを決断。写真集はいわば、簑紫郎にとって一つの節目を象徴するものだろう。
「芸歴も30年を超えたので、ここでいったん、自分が見た文楽の姿を残しておきたくなったんです。人形は文楽が続く限り残るけれど、人形遣いの身体はいずれ滅びてしまう。人形遣いが自分のイメージで、思いで、『こう見せたい』と思って遣った人形の姿を、記録とは違う形で残し、見る人の身近に置いてもらうには、紙にするのが一番だと考えました」
読者には、使い倒した道具のように、ボロボロになるまでページをめくってほしいーー。そんな思いから紙質にもこだわった。
「僕は好きな映画を何度も見るのですが、見る回数によって、あるいは見た時の年齢によって、印象が変わる。同じように写真集でも、ページをめくるたびに新しい発見をしてもらえたらと思うんです。自分でもその時の気持ちによって見え方が違うので、今後20年、30年とキャリアを積んだ時に振り返って僕自身がどう感じるかも楽しみです」
「青い記憶」の時代のその先へ
下積み時代に撮り下ろしたこれらの写真たちを「青い記憶」と呼ぶ簑紫郎。今はその青い記憶の時代から「一段も二段も意識のレベルを高いところに持っていって、次のステップに移らなければ」と意気込む。過渡期にあって、人形を撮影する枚数はかつてよりも減っているとのことだ。
「次の段階に移ることができてまたファインダーをのぞいたら、どんな写真が撮れるのだろう?と思います。舞台の経験によって自分も変わるので、また全然違う写真になるかもしれません」
5年ほど前、筆者が文楽の人形遣いの第一人者であり簑紫郎の兄弟子でもある三代目桐竹勘十郎に取材した際、「人形が勝手に動いてくれているような感覚を覚える日がある」と語っていた。簑紫郎も最近、それに近い実感があると話す。
「役の方から導いてくれるというか、引っ張ってくれるというか。先月、文楽若手会で遣った『菅原伝授手習鑑』の白太夫もそうでした。ずっと見てきた役ですし、耳に太夫さんの語りも入っているので、考えなくても、気持ちで運んでいくことができたように思います。そのためにも、常に人形と接し、劇場を出ても、どこにいても、見えない糸で文楽と自分をつなげていなくてはならない。その糸を決して切らさず、全てがつながっていることが大切なんです」
役が決まったら一日中その役のことを考え、公演が終わってもどこかで考え続ける……。簑紫郎によれば、それこそが修業だ。
「例えば食事を作っていても、ふと、『こうしたらいいんじゃないか』『あの人はああしていたから、それを参考にさせてもらおうか』と、手が止まることがよくあります。カメラは僕にとって、そうやって人形と自分をつなぎとめるための装置でもあります。もっとも、僕はまだ、つなぎとめるというより引きずっている感じ(笑)。自分が遣う役や芝居を、イメージはできたものの思うように遣えず、悔しい思いをすることがしばしばなんですけど」
今後のビジョンを考える時にも、まぶたに浮かぶのも、やはり、簑助師匠の姿。
「芝居をすることの怖さも楽しさも、身をもって教えてくださる師匠でした。師匠の人形の足遣いや左遣いをやっていて感じたのは、出番前から、人形持つ前から、師匠はその役の空気になっていたこと。『はい、人形を持ちました』『楽屋を出ました』では、その役にならないんです。説得力をもってお客さんに見てもらうためにも、そして芸を後輩につないでいくためにも、僕もそういう人形遣いになっていかなければと思っています」
テキスト:高橋彩子
舞踊・演劇ライター。現代劇、伝統芸能、バレエ・ダンス、 ミュージカル、オペラなどを中心に取材。『エル・ジャポン』『AERA』『ぴあ』『The Japan Times』や、各種公演パンフレットなどに執筆している。年間観劇数250本以上。第10回日本ダンス評論賞第一席。現在、ウェブマガジン『ONTOMO』で聴覚面から舞台を紹介
http://blog.goo.ne.jp/pluiedete
関連記事
『ダンスカンパニーDAZZLEが魅了する期間限定のシアターを紹介』
『キャリア50年以上、女性アーティストたちの展示が森美術館で開催中』
『日本のおしゃれ70年分をひもとく展示が国立新美術館でスタート』
『中銀カプセルタワービル解体後の活用を模索するプロジェクトが始動』
最新情報をタイムアウト東京のメールマガジンでチェックしよう。登録はこちら