対談:クボタタケシ×MOODMAN

不動のトップバッター2人が振り返る、タイコクラブの13年

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テキスト:三木邦洋
撮影:谷川慶典

『タイコクラブ'18』が終了し、13年の歴史に幕が降りた。2006年にスタートし、その斬新なディレクションで次世代の音楽フェスティバルの雛形となったタイコクラブ。毎年、国内外の音楽シーンの動向を素早くキャッチしたジャンルレスなラインナップを展開してきたが、繰り返される新陳代謝のなかで唯一不動の存在だったのが「ミスターアフターアワーズ」ことNick the Recordと、トップバッターを任された2人の重鎮DJ クボタタケシとMOODMANだ。

MOODMANは初回から、クボタタケシは第2回から皆勤賞。日本を代表するDJである両者のロングセットを、最高のサウンドシステムで味わえる贅沢な時間は、ほかでは味わえないものだった。最終回のタイミングで実現した対談では、タイコクラブの13年間を振り返りながら、もともとは「フェス嫌い」だという2人がなぜタイコクラブには信頼を寄せたのか、その理由が語られた。

音にストレスを感じたことがない。そこが最高

クボタタケシ(以降 K):(取材相手は)Nick the Recordじゃなくて大丈夫?

MOODMAN(以降 M):確かに。

―いつもはNick the Recordの出番まで会場に残っていますか。

K:一回も観たことない(笑)。

M:僕はいつも観てますよ。釣りをした後にニックを観て、彼にじゃあねって言って帰る。

K:ニックはCISCO(2007年に閉店した当時最大手のレコード店)以来かな。CISCOでヒップホップのレコードをトレードしようって言ってきて。

M:ニックはネタのトレードに関しては本当に鬼ですよ。まぁ、うちらも似たようなもんか。

Nick the Record

―お二人がいつもどういう感じでタイコクラブを過ごしてきたのか、気になります。

K:俺、タイコは本当に好きなんだけど、ぶっちゃけフェスは嫌いなんだよね。

M:それ、すげえ分かる。居場所がない感じがどうしても。

K:ほかのフェスだと、自分の出番が終わったらすぐ帰ったりするからね。

―それはなぜですか?

K:なんだろうね。インドアなんだよね。タイコは、スタッフも良いし、音にストレスを感じたことがない。そこが本当に最高。初めて出た時からずっとそう。俺はレコードでやるから、ほかでは音が出ないとかのトラブルが多い。木村君(MOODMAN)はずっとCD(を使ってDJしてきた)?

M:僕は特設ステージのスピーカーに合わせて、データでやることが多かったかな。特に最近はVOID(VOID acoustics社のサウンドシステム)が入ってるから、VOIDの特性に合わせてやってる。

―VOIDの前のサウンドシステムはFunktion-Oneでしたが、どのような違いがありましたか。

M:VOIDの方がよりパキっとした曲がまろやかに鳴るね。いつも(スタッフには)、僕のプレイ中に音調整してねって言ってて。なるべく(音域の)振れ幅を広く選曲して行くので、各曲で音調整してもらえれば、完璧になるからって伝えてる。

K:下(特設ステージ)の音、良いよね。

うちら2人を一緒に呼ぶ人なんていなかった

―初めてタイコクラブ側からオファーをもらった時のことは覚えていますか。

M:彼ら(運営チーム)は皆、元々がクラバーなんですよ。だから、僕がDJをやっている現場に遊びに来てくれて、今度フェスをやるから出てくれないかという話をされた。全然OKだけど、大丈夫?って。数人のクラバーで、そんな規模がオーガナイズできるの?と思った。

K:俺の場合は…本当に酔っ払ってて、どういう経緯で始まったか、ちょっと覚えてない(笑)。2回目のタイコクラブからで、当初、木村君とニックと俺だけが決まってるって言われたのは覚えてる。

クボタタケシ

M:そうそう。それがすごく面白いと思った。国内のシーンをよく分かってるなと思った。(MOODMANとクボタタケシの)両極な感じをチェックしているのは、さすがだなと。ここを合わせてくるのは面白い試みだと思ったな。

―プレイについて主催側からなにか注文をされたことはありますか。

K:ないない。

M:一回もないね。

K:仮にそんなこと言われたとしても、うちら2人はやらないけどね。逆に言われてみたいってのもあるけど。

M:うん。言われたら完璧にやりますけどね(笑)。

MOODMAN

―MOODMANさんから見て、タイコクラブがほかのフェスティバルと違った点はどういったものだったと思いますか。

M:主催の人たちはマニアックな人たちだから、そこがちょっと心配だった。だけどスタートからすごく間口が広い感じで始まって、それをずっと続けているから、そこがすごいと思う。

―間口が広いとは。

K:最初はテクノだけのフェスだと思ったんだけど、違った。

M:誰でも遊べて、滞在して、何かを持ち帰れる。そういう空間を作っている。そこはほかのフェスも参考にしたと思いますよ。当時、意外とそういうものがなかったんだよね。うちら2人を一緒に呼ぶ人なんていなかった。だから、応えないといけないな、というか。音楽好きなんだなっていうのが伝わってきた。

K:(共演したのは)大雪の島根以来だったんじゃない。

M:あったあった(笑)。一緒に行ったね。その時にうちらを呼んでくれた松江の人もやっぱり興味の幅が広い人だった。その時と(タイコクラブのブッキングは)近いものがあるね。ありがとうって感じ。

K:元々は下北沢ZOOにいて、近い2人だったはずなんだけどね。

M:ここをくっつける人っていうのがなかなかいなかった。嬉しいよね。

K:嬉しい。でも、(タイコクラブに)似たようなフェスが増えてきたね。

M:だから(主催者たちが)飽きちゃって、ネクストステップに行くんだと思いますよ。

「誰か上がってます!」「あ、MOODMANです!」

―この13年間で、印象に残っているほかの出演者のライブはありますか

K:自分の出番が終わって下に行ったらTHA BLUE HERBがやっていて、その時の彼らのライブは印象に残ってる。あと、広場でやったBOREDOMS(2015年)。 

M:あれはすごかった。特設ステージでもBOREDOMSがやった時(2012年)があって、その時は俺ベロベロに酔っ払ってて、ステージに上がっちゃって。「誰か上がってます!」って通達が回ったらしいんだけど、「あ、MOODMANです!」って(笑)。それはすごい覚えてる。

あと、僕の息子はタイコクラブと同い年なんです。一度息子と2人だけで来た時があって、DJ終わるまでお前ここにいろよって言ったのに、案の定いないくて。本気であちこち探し回ったら、あいつ可愛い女の子ナンパしてその子のテントで遊んでた(笑)。

K:やるね。

M:まんまとね。するっとテントに入ってた。

K:滑り台が無くなっちゃったのは悲しかったね。みんなあそこで携帯無くしてたけど。俺が滑ってるときにね、後ろから動画撮ってもらってたんだけど、ケツから火が出てて(笑)。鍵かなんかが擦れてた。(滑り台は)それで無くなったんじゃないかって思ってるんだけど。

このメンツでなんでこんなに人が集まるの?

―ちなみに今日は最後ということで、特別なセットを組んでこられたんでしょうか。

K:途中までは最近のセットでやってたんだけど、後半は今までの選曲をサービスでやったかな。

M:僕は13年間ってことで、古い曲も混ぜました。13年のなかで、割と自分のなかで気持ちい良いなと思った曲を混ぜて、懐かしいと思いながらかけてた。

―MOODMANさんは、2015年にバンドセット(MC.sirafu、中川理沙、村野瑞希、島田桃子、Dorian、浅野達彦、あだち麗三郎らが参加したMOODMAN & PRAYERS)での出演もされましたね。

M:朝一番だから誰も見てない幻のバンドね(笑)。

―ああいったチャレンジができたのはタイコクラブという場があってこそですか。

M:そうですね。MC.sirafuくんとはすごくよく飲んでてて、アイデアを交換してるんで、いつかまた形にはしたいな。タイコリスペクトで。

―お二人から見て、お客さんや会場の雰囲気はこの13年間でどう変わったと思いますか。

M:途中からみんなすごくオシャレになった。それまではテクノとかトランスとかの感じのノリの服装が多かったんだけど、2010年ぐらいからかな、一気にオシャレ度がアップしたよね。

K:うん。震災(東日本大震災)の前後に『モテキ』の撮影があったんだよね。

M:それも大きかったね。そういう違うコンテンツが入って、会場の雰囲気が変わっていくってすごいよね。時代を掴んでいたってことだと思うんですけど。

K:うちら出演者が一番汚いよね。俺ら大丈夫かよ?って。綺麗な子が増えたよね。

―来年から開催される『FFKT』(『TAICOCLUB』の創設メンバーでありアーティストブッキングなどを担当してきた森田健太郎らが中心になって立ち上げる新たなフェスティバル)について、何か構想は聞いていますか。

K:ステージを増やすかもって聞いたけど、俺は2つのままでいいと思うんだよね。

M:このコンパクト感が良いからね。そうでないと、ほかのフェスと一緒になっちゃうかも。まぁ、彼らに任せておけば間違いないと思いますが。

―『FFKT』に期待していることはありますか。

M:初期の感じが戻ると良いかな。よく分からないものがいっぱい出ている感じというか。その感じがタイコっぽい。

K:このメンツでなんでこんなに人が集まるの?っていうところとか。

M:そうそう。その年に面白いと思ったものを衝動的に声をかけてる感じが面白い。

―ラインナップが単一的だったり、客層が見えすぎるものは面白くないだろうと。

K:色々なジャンルを出すフェスは増えてきたけど、それはタイコが最初にやったことだから。

M:独特な雰囲気がありますよね。不思議なノリだけど、説得力が意外とある。

K:よくこんなに人が入るなと思うよ。

M:クラブでちゃんと遊んでいる人たちがやっているからね。タイムテーブルもすごく練られているなと、いつも思う。自分が遊ぶとしたら、っていうことを考えているんじゃないかな。

―クボタさんも『FFKT』への期待は何かありますか。

K:期待しない方が楽しいんじゃないかな。何が起こるか分からないほうが、楽しいよ。

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Profile

クボタタケシ(左)

1991年、伝説のラップグループ「キミドリ」のラッパー/サウンドクリエイターとして活動を開始。キミドリは1993年、アルバム『キミドリ』と、1996年『オ.ワ.ラ. ナ.イ』の2枚の公式作品を残して活動を休止するが、クボタはその間から現在まで数々のリミックス、プロデュース、そしてDJとしての活動を継続中。1998年にスタートしたミックステープ『CLASSICS(1~4)』シリーズや、オフィシャル・ミックスCD『NEO CLASSICS』シリーズは日本のクラブ史屈指の人気作。2016年には銀杏BOYZの楽曲のリミックスを手がけ、話題をさらった。

公式サイト

MOODMAN(右)

DJ。日本生まれ。 ムード音楽をこよなく愛する男。 1980年代末にDJ活動を始め、 1993年にレーベルDUB RESTAURANT COMMUNICATIONを立ち上げる。その後、M.O.O.D.、donutなどを通じ、様々なアヴァンギャルド作品を発表。 レジデントDJとしては、宇川直宏、高橋透と組んだ『GODFATHER』をはじめ『HOUSE OF LIQUID』『SLOWMOTION』などが人気。ただ、どれも不定期。ボードゲームが好きなインドア派だが、TAICOCLUB、森道市場、RAWLIFEなどインディペンデントな屋外フェスでのプレイに定評がある。記念すべき第1回のDJを担当したDommuneでは、自身の番組『moodommune』をこれまた不定期で放送。2004年の『WEEKENDER』をはじめ、ミックスCD、リミックス作品が少々。執筆も少々。最近は『SAKE POP』『角打ちon the corner』など日本酒をしみじみ飲むパーティのレジデントにも力を入れている。2017年、新レーベル INDUSTRIAL JP (idstr.jp) をこっそり設立。

公式サイト

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