『着うた』からサブスクリプションへ
伏谷博之:今日は、『世界目線で考える』というタイムアウト東京が2011年からシリーズでやっているトークイベントに、アジア最大の音楽配信サービス『KKBOX』の日本代表を務める八木達雄さんを迎えます。今年は「定額音楽配信サービス元年」と巷で言われている中、アジアで1千万人以上の会員を持つKKBOXのサービスに日本のアーティストが乗っかって、アジアに出て行ける可能性はあるのか、など。そういったことも伺ってみたいと思います。
八木達雄:はい。ありがとうございます。KKBOXの話をする前に、まずはぼくのバックグラウンドから簡単に説明していきたいと思います。僕は昔、旅行会社におりまして、そのあと1999年にDDI(第二電電株式会社)に 転職しました。そのきっかけになったのが、『イリジウム』という衛星携帯電話サービスでした。「通話エリアは地球です」というCMを観て、これは夢があるなと思って、DDIが設立したその日本イリジウムに入ったんですよ。
で、そしたら入って5ヶ月くらいの99年の11月に会社が潰れてしまいまして(笑)。そこから半年くらいは会社の清算事業に追われていました。そのあとにDDIに戻るんですけど、行き場所がなかったんですね。そうしていたら、『EZweb』をやってくれと言われた。
当時は通信キャリアの競合がいなかったので、やることなすこと上手く行ったんですね。なので、やりたいことをやれたんですが、そこでまずは、『EZmovie』というサービスを立ち上げました。この時に音声コーデックにMP3を採用したんですね。そこに目を付けたのがソニーミュージックさんだった。「CD音源を着信音にできないか」ということを実現したのが、2002年に始まった『着うた』でした。
そして2004年には『着うたフル』がスタートします。当時は、巷では『着うた』が盛り上がっている時になぜ「着うたフル」をやるの?ということで結構レコードメーカーさんからは怒られた。それで、結論から言うと、あまりコンテンツが出なかった。配信楽曲が数千曲くらいしかなかったのかな。でも、やっぱりちょっと先へ先へ行かないと存在意義がないと思っていて、当時PHSとかでも色々トライされていたけど、誰も上手く行ってなかったので、そのタイミングでやってみかった。
で、次は『LISMO』をスタートさせます。これは発想としては、ガラケーをiPodにしてしまおうということでした。PCソフトでリッピングした楽曲を携帯で持ち歩けるようにしたかった。けれど、誰もその中身を理解している人がいなくて、結局この「リスモ君」のキャラクターだけが一人歩きしていって、マーケティングに使われるようになっていった。だから、リスモって、マーケティングでは成功したけど、サービスでは全然成功していない。