インタビュー:ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー

会心の新作に帯びるオルタナティブな「熱」のありかとは

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インタビュー:三木邦洋

新アルバム『ガーデン・オブ・デリート(Garden of Delete)』を2015年11月10日にリリースするワンオートリックス・ポイント・ネヴァー(Oneohtrix Point Never)。2014年の夏にはナイン・インチ・ネイルズとサウンドガーデンのカップリングツアーに帯同し、今年はハドソン・モホークとともにアントニー・ヘガーティ(アントニー・アンド・ザ・ジョンソンズ)の新作をプロデュースしていることも話題になった彼。2015年現在において比類なき音楽を作る彼を取り巻く環境が、こうした越境的な変化を迎えているのは、まさに彼の音楽に含まれる多次元的にクロスオーバーした要素が引き寄せた結果と言えるだろう。それらの体験はなにを変えたのだろうか。今回のインタビューでは新作に至る哲学とともに、2015年12月3日(木)にはリキッドルームで来日公演を行う彼の日本への思いも語ってもらった。

1990年代と2050年代を合わせたような感じ

ー新作『ガーデン・オブ・デリート』について主観的な感想なのですが、前作の時と今作とでは、あなた個人と音楽の関係、そしてあなたと外の世界の関係性が変化したのではないかという印象がありました。

うん。

ーそれはどのような変化ですか。

嫌悪感やイラつきを感じていて、前回のアルバムで感じられたような満足感が感じられなくなっていた。内側から感じられる悲しみが大きかった。自分の人生において、何か悲劇が起こったということではなく、自分の世界に対する見方がハッピーなものではなかった。

ー前作『アール・プラス・セブン(R Plus Seven)』はナラティブな作品だと思ったのですが、前作と今作は背景やコンセプトに根本的な違いがあるのでしょうか。

前作はナラティブな作品だとは思わない。前作は、アイデアを紡いだタペストリーというか、特定の手順を用いて作成した叙情的なアイデアや詩のような作品だった。奇妙で抽象的なアルバムで、フォーム(形)がポイントだった。アルバムの影響となったのは次の2点。

ひとつは、ペレックやその他フランスの手順を重視する詩人たちの作風のような「ウリポー式」の作曲方法。そしてもうひとつは、彫刻。当時はネイト・ボイスが最も彫刻作品を作っていた時期だったから。最近はまたビデオに集中しているけれど、当時、僕は彫刻とその歴史
特に抽象的な彫刻に困惑し、強く魅了された。だからアルバム制作にも自然と影響を与えるようになった。

だが、今回のアルバムにはそういったインプットはなく、自分の生活における状況がアルバムの影響になった。ひとつは、スタジオを牢獄のような地下の部屋に移したこと。もうひとつ大きな影響となったのは、ナイン・インチ・ネイルズとサウンドガーデンとツアーをしたことだ。それは僕にとても深く影響した。ギター音楽や子供時代の音楽について考えるようになった。自分なりのオルタナティブロックアルバムを作りたいと思うようになった。

結果としてできたのは、未来的なインダストリアルアルバムだと思う。だから今回は、より音楽やポップミュージックに回帰した作品で、アイデアも音楽から由来するものが多く、それ以外のものから影響を受けたというのではない。

—あなたがサウンドガーデンとツアーをしていたのは知りませんでしたが、このアルバムを聴いたときに、サウンドガーデンっぽいな、と思っていました。タイトルに「ガーデン」と付いているということもありますが。

それは面白いね(笑)。そうなんだ。サウンドガーデンみたいな、グランジーなギターリフっぽい音や、90年代っぽい音が時に聴こえるようにした。1990年代と2050年代を合わせたような感じ。

ー『Mutant Standard』はエネルギッシュで、聴いていて走り出したい衝動に駆られました。こういう曲は今まで書いてこなかったのではないでしょうか。

確かにない。それは正しい観測だ。『Mutant Standard』は、『160』というタイトルがしばらく付けられていた。BPM160だったから。BPM160はかなり速い方で、自分でもそんなに速い曲を作ったことに驚いた。でも、速い曲を作りたいと思っていた。僕は、眠たくなるような、憂鬱な音楽を作る人という評判があるけれど、それは少し誤解だと思う。僕の音楽は、それより複雑だと思う。でも、特にビートがない曲は、眠そうで内省的に聴こえるときもある。

そこで、典型的なドラムの使用方法以外で、リズムやシンコペーションを表現できるかというのをやってみたかった。この曲は、リズム、動きがポイントで、ドラムサウンドから起因していない、リズミカルな瞬間を用い、結果として催眠作用が
引き起こせるかということを探求した。


宇宙人に「人間の欲求はなんだ?」と聞かれたら、僕はポップミュージックを聴いてもらう

ーあなたの作風の変遷からは、ひとりの人間のパーソナリティーが徐々に露になってく過程を見ているような印象を受けるのですが、あなたは音楽性を意識的に方向付けをするのか、それとも自然のなりゆきに身を任すのか、どちらですか。

僕には、音楽性が変化するアーティストという評判もあるのは知っている。だが、それを計画的に意図したことは一度もない。自分を興奮させたいだけなんだと思う。以前作ったことがあるような音楽をまた作ったら、面白くないだろ?映画のパート2がパート1ほど良くないのと同じで、ただの焼き直しだからだ。僕は焼き直しはしたくないし、すでに聴いたことのあるようなつまらないものは作りたくない。

僕の音楽を聴いてもらうというだけで、かなりのことを求めているのだから、聴いてもらうのであれば、何か新しいものを提供したい。リスナーが古いものが好きというなら、それはリスナーの勝手だけど僕は新しいものを聴きたい。それで、ほかのリスナーが楽めなくても、少なくとも僕は楽めているから、それでいい。

ー精神的な成熟は、音楽の創造にどのような変化をもたらすと思いますか。

精神的な成熟は過大評価されていると思う。僕は、最近、音楽について考えれば考えるほど、一段と悪い方向に考えてしまっている。今回のアルバムではっきりしていることは、アイデアに気を取られているのではなく、自分の直感や、言葉では説明できないような、身の毛が逆立つような感覚に夢中になっているということだ。それが音楽の面白いところだ。

あらゆる種類の音楽に関して言えることだけれど、音楽を聴いたときに肌がしびれるような感覚があるときがある。僕は今、その感覚を大事にしている。どうやったら、その感覚をなるべく頻繁に感じられることができるか。

ー前作はイチから鍵盤と向かい合って作ったとのことですが、今作はどのような制作スタイルだったのでしょうか。

今作も似ていた。たくさん書いて、歌を作曲した。

ーキーボードから始めることが多いんでしょうか?

そうだね。キーボードでリフや進行やメロディを書いて、それをMIDIに録音してから、複雑なものにしていく。そうすると調和的なものができる。音楽家として、ピアノの前に座って作曲するのは気に入っているけれど、結構単純な作業だと思っている。だが、音をMIDIに取り込めば、音が可視化され、ほかの音を重ねたりして、変わったことができるようになる。

ヴィジュアル・アーティスト、ジョン・ラフマンによる新曲「STICKY DRAMA」のミュージックビデオ




ー日常では音楽とどのように接しているのでしょうか。

普段は『VEVO』を見ることが多い。仕事の合間とか、ゆっくりしている時とか。最近、ポップミュージックが好きなんだ。ポップミュージックは、音楽だけでなく、社会のことを教えてくれる。重たい表現になってしまったけど、本当にそうなんだ。ポップミュージックを聴くと、人々が人生に何を求めているのか、ということが僕には分かる。ポップミュージックを聴いていると、悲劇的だな、と感じることもあるよ(笑)。

ーポップミュージックの本質はそこにあると。

例えば、僕が宇宙人に会ったとする。宇宙人に「人間の望みはなんだ?欲求はなんだ?」と聞かれたら、僕は音楽を聴いてもらう。ポップミュージックを聴いてもらう。

ー最近の音楽と古い音楽、どちらを多く聴きますか。

いい質問だね。最終的には古い音楽だと思う。でも最近はそうでもない。最近は新しい音楽しか聴きたくないと思っているけれど、今までの平均を取ったら、おそらく古い音楽の方に傾倒しているだろう。

ークラシックの作曲家では、誰がフェイバリットですか。

リゲティ・ジェルジュ。

ー曲を作るのは、自分が本当に聴きたい曲を作れるのは自分だけであると考えるからでしょうか。

もちろんそういう理由で作曲している。自分が好きじゃない音楽や、自分が聴きたいと思っていない音楽を、ほかの人と共有していたら、自分が詐欺師か頭がおかしい人のように感じる。僕がアルバムを作るときは、自分の頭の中にある音楽や、そう聴こえたらいいと思う音楽を可能な限り表現しているのだと信じてほしい。それが上手く行ったと思うこともあれば、あまり上手く伝えることができなかったけれど、別の発見をすることもある。どちらにせよ、自分と正直に向かい合っているから平気だ。僕は、ほかの人のために音楽を作るなんてやったことがない。

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大好きなのは東急ハンズ!すごいクール!!

ー今後、コラボレーションしてみたいアーティストなどはいますか?

クエンティン・タランティーノ。子供の頃からの憧れだから、彼の映画向けの楽曲を書けたら最高だと思う。

ーそのほかに好きな映画監督はいますか?

タランティーノ以外で尊敬しているのは、アメリカ人の監督、リック・アルヴァーソン。ティム・ハイデッカー主演の『ザ・コメディ』という映画を監督し、最近は『エンターテイメント』という新作も撮った。とても強烈で正直な映画だ。

彼の映画を見ると、彼は演技というものをとても丁寧に扱っているということが分かる。彼は、
1970年代のスコセッシ監督のような、オールドスクールな監督で、俳優からどれだけ興味深い演技を引き出せるか、という点に重点を置き、強烈な俳優を起用する傾向にある。僕はたくさんの映画を見るけれど、映画の中で、演技というものは陳腐でありふれたものが非常に多い。演技がつまらないんだ。だが、リックの映画を見ると、感情いっぱいで強烈なパフォーマンスを見ている気持ちにさせてくれる。だからリック・アルヴァーソンは好き。

ー今回の来日公演が楽しみです。昨年も日本に来ていましたが、日本の印象はどうですか?

日本は大好き!アメリカ人がどれだけ日本を好きかというのは、ありふれた表現だろうけど、日本のどこが一番好きかと言うと、細部へのこだわりがあるところ。食べ物、建築、デザイン、すべてにおいて。僕が暮らしてきた環境と、日本がまったく違うところだという象徴は、そういうところにある。

例えば生花は、自然界や宇宙のものと、芸術や社会といった人間の行いをメタファーで表している。ものすごく繊細で美しい考え方だと思う。日本は、ペースも速い強烈な国で、商業にも野心的だ。それなのに、ほかのどこよりも穏やかで自然界と繋がっている感じがする。それは日本の人たちが穏やかだからだと思う。日本のそういうところが好き。だから日本に行くとワクワクする。

でも、日本に行くと自分がフリークになったような気もする。僕はそんなに背が高いわけじゃないけど、日本の街を歩くと、鬼というか奇妙な野獣が歩いているように見られているのではないかと思う(笑)。

—日本人はアメリカ人より平均身長が低いですから。

でもアメリカ人は背が高いだけじゃないよ。太った鬼みたいなもんだ。日本は、すべてが礼儀正しくて素敵だ。

ー日本でまずなにをしたいですか?

フレッシュネスバーガーに行きたい(笑)。いや冗談だよ。そうだな、秋葉原にまた行ってみたい。このあいだはあまり時間がなかったけれど、秋葉原は楽しかったから。正直言うと、東京にいると、僕の中の物欲が湧いてくるんだ(笑)。だからスニーカーを探しに行くと思う。日本にあるスニーカーや、日本のスニーカーカルチャーが好きで、クールな店がいくつかあった。あとは、東京の街を散策したい。東京に行くといつも渋谷にいる感じだから、郊外の方にも行ってみたい。東京のはずれに行って、落ち着いた面もちょっと見てみたい。

ー地方で好きな街はありますか?

東京と大阪しか行ったことがないから、日本の街に関しては未熟なんだ。でも、今度、韓国に行く前に、京都で1日休みが取れることになった。だからすごく楽しみ!

ー好きなお店はありますか?

好きな店はあるんだけど名前は覚えていない。リストにまとめたか、グーグルマップにまとめておいた。それを見ないと名前は分からない。

ーそれは何のお店ですか?スニーカーショップ?

大好きなスニーカーショップがひとつと、あと大好きなのは東急ハンズ!すごいクール!!ニューヨークにもあんなお店は無い。だから東急ハンズという答えにしておく。

ー日本のアートや建築で、なにか好きなものはありますか?

さっきも話したけど、生花はすごく格好良いと思う。生花のことをまだ時間をかけて学んでいないけれど、生花のクラスに参加して、生花の歴史を学んだり、上手な人が花を生けるのを見ることができたら最高だと思う。

ーなるほど。では、日本の女性をどう思いますか?

残念なことに、僕は日本に初めて行ったときから結婚していたから、分からない(笑)。でも日本の人はみんなすごく礼儀正しいと思う。それも、僕が素敵だな、と思う感じの礼儀正しさ。アメリカの人はみんな、礼儀正し過ぎるから、信用できない。全員がこんなに礼儀正しいとリアルじゃないと思ってしまう。特にアメリカ中西部の人たちは、みんな、素晴らしいほどの愛想笑いをする。日本の人たちは、みんな親切だけれど、そこからさらに踏み込むには、まず彼らの信用を得ないといけない気がする。だから日本の女性については、まだ彼女たちの信用を得ていない状態(笑)。

ー最後に、来日公演を楽しみにしている日本のファンにメッセージをお願いします。

みんなと会えなくて寂しい。でも、もうすぐ会えるのでワクワクしてるよ!ライブ中は静かにしてくれていてありがとう。

ー静かなことは良いことなんでしょうか?

僕は良いと思う。日本のお客さんの集中力の高さには驚いた。ライブ会場にバーがあって、そこでガヤガヤされるとイライラしてしまう。今回のアルバムではそうならないかもしれないけど、『アール・プラス・セブン』の時は曲の途中にも奇妙な一時停止や間隔があって、初期の坂本龍一みたいに、音が一瞬止まるときがあった。

そういう間隔の間に、くだらない冗談で笑っているバカな奴とか、仕事で何があったか話している奴とかの声が聴こえてくると、その瞬間が失われてしまう。映画館で映画の上映中に誰かが話していたら、むかつくだろ?それと全然変わらない話で、強烈なパフォーマンスの時は静かにしているべきだ。でも、今回のアルバムはテンションも高いし、エネルギッシュだから、以前とは違うと思う。前回の日本でのライブでは、完全な沈黙だったから、「僕のこと嫌いなのかな?」と思ったけど、その後に美しい拍手が聴こえてきたから「ああ、気に入ってくれたんだ!」と思った。日本のお客さんは、おとなしく聴いてくれていたことが分かった。

 
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