鼓童 米山水木
Photo : Keisuke Tanigawa|米山水木

太鼓集団・鼓童史上初めて女性の大太鼓打ちになった米山水木の「日常生活を変える音」

2歳から太鼓一筋、昨年の抜擢の裏側ややめられない太鼓の魅力とは

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テキスト:高橋彩子

新潟・佐渡を拠点とする太鼓集団「鼓童」。その公演のクライマックスにたった一人で打つ大太鼓を、鼓童42年の歴史で初めて女性の打ち手である米山水木が担ったのは、2023年の公演「いのちもやして」でのこと。体に負荷がかかる大太鼓によってけがを経験した米山はさらに強くなり、今年の公演「とこしえ」の舞台に立つ。

幼少の頃に出合い、今に至るまで消えることのない太鼓への思いと情熱を教えてもらった。

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2歳から太鼓一筋で鼓童へ

―太鼓は2歳で始めたそうですね。

一般家庭の出身なのですが、母に連れられて地元の盆踊りへ行った時、踊りでもほかの楽器でもなく、太鼓に引き寄せられていったそうです。そこから月2回、地元の保存会で練習するようになりました。小学生からは太鼓のグループの東京都の代表としてコンクールにも出場して。なので、皆で一緒に演奏し一つの作品を作り上げるという体験は、自分の太鼓のルーツとして大きなものになっています。

ただ、コンクールでは評価基準が厳密に決められているところや、順位を競うところが苦しくて。太鼓は本来、人それぞれの魅力があると思うので、中学1年生の頃にそのグループは辞めてしまいました。

―ということは、物心ついた時からずっと太鼓漬けの日々?

そうですね。小学4年生の頃に鼓童の「佐渡へ」という舞台を観ました。5人ほど女性の打ち手がいたのですが、その中でも特に、堀つばささんというプレーヤーの体のさばき方や太鼓がカッコよくて、この人と同じ舞台に立ちたい!と、鼓童を目指すようになりました。

中学時代はソフトボールなどもやったのですが、高校は鼓童に入るために、舞台の勉強ができる都立総合芸術高等学校に通って。演劇や舞踊などについてスタッフワークも含めて勉強できる新設の高校で、私は1期生。同期は「劇団四季」や「宝塚歌劇団」や海外のバレエ団などへ行きました。ここで日本舞踊や能なども勉強したのは、大きかったですね。

そして18歳の頃、鼓童の研修所に入り、2年の研修を経て鼓童に入りました。残念ながら、堀さんはもういらっしゃらなかったのですが。

女性で初めて大太鼓に抜てき

―研修所入所から満10年。2023年6月の浅草での公演「いのちもやして」では、鼓童史上初めて女性で大太鼓を打ち、さらにそのまま下に降りてメンバーたちの真ん中で太鼓を叩く勇姿に、目頭が熱くなりました。

ありがとうございます。一人で打つ大太鼓は孤独だし、体力的にもキツイのですが、その後の「兆(きざし)」という曲で共演者が集まってくるあの瞬間は、みんなが一気に支えてくれる感じがとにかく楽しくて。毎回、鼓童にいて良かったなと思いながら演奏していました。

―演出の池永レオ遼太郎さん(24年1月に退団)が米山さんに大太鼓を任せると決めた時、団内の反応はどうでしたか?

「おーっ!」という感じでしたし、打ち切れるのかという心配の声もありました。でも遼太郎は私の同期で研修生としての2年間の生活をともにしていて、一人で太鼓の稽古に打ち込む姿も見てくれていましたし、ここ数年、私はみんなの真ん中で演奏することが多かったので、できると信頼してくれたのだと思います。

―それまで、大太鼓を打ったことはあったのでしょうか?

全くなかったんです。42年間、鼓童ではずっと男性がふんどし姿で大太鼓を打ってきていて、(大太鼓がある)屋台は女性が上がるところではないというイメージが自分の中にはあったのですが、演出家や先輩方がさまざまなアドバイスをくださって。

ほかの太鼓と違って大太鼓はお客さんに背中を向けて打つため、稽古ではとにかく背中が小さいと言われましたね。背中でどのように表現するか、そして公演が始まってからは、背中でどうお客さんの反応を受け止めるかが課題でした。

鼓童の全体稽古は18時までで、それから各自で稽古しているのでいろいろな音が響くのですが、大太鼓は無音の中、一人で打たないと練習にならない。なので、みんなが帰った後や、みんなが来る前の朝7時などに練習していて、あの時期はほとんど家に帰っていませんでした(笑)。

―公演で大太鼓を打った時、どんなことを感じましたか? 

一人で10分くらい打ち続けるのですが、初めは緊張が強く、お客さんに届けることでいっぱいいっぱいだったのが、浅草公演の後半やその後の全国ツアーでは慣れてきて音に酔えるようになって。というのも大太鼓は、バチのタッチや握り、打つ場所によって、本当に音が全然違うんです。

屋台の上に乗ると、やはり歴史の重みを感じてしまうのですが、新しいものをお客さんに感じていただけたらと思いながら臨んでいました。

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けがを乗り越え、太鼓と体の可能性に開眼

―「いのちもやして」のツアー中には、けがをされたとか。どんな状況だったのか教えてください。

本番で大太鼓を打っていた時に痛みを感じ、これは打つ際に取る足の「かまえ」が戻せそうにないな、と。通常は大太鼓を打ち終えたらそのまま明かりの中で階段から下へ降りるのですが、たまたまその劇場では階段が使えず打ち終えたら照明が消える状態だったので、すぐにそこから飛び降りて下に移動しました。

最後の「兆」をみんなで演奏している時には、血の気が引いていくのが分かりました。それでも多分アドレナリンが出ていたので、痛めたところを叩いてカーテンコールに出ることができ、緞帳(どんちょう)が閉まった瞬間に倒れて舞台監督に運ばれて。

その後のツアーは外していただき、2カ月間、病院とスポーツトレーナーさんのところでリハビリをしました。体の使い方に無理があったことが分かったので、そこから鍛え方や打ち方を変えて、今に至ります。

―どこに無理があったのでしょう?

太鼓は基本的に下半身が大事で、私は昔から太鼓や日本舞踊をやっていて下半身は強かったのですが、大太鼓では上半身もすごく使います。トレーナーさんからは、下半身と上半身のつながっている部分をうまく使えていなかったと言われましたね。今はそこを考えて体を鍛えています。

―次回公演では違う太鼓を演奏されるそうですが、また米山さんの大太鼓を聴きたいものです。

けがをしたので周りも気遣うところがあるとは思いますが、また打ちたいですね。今は公演前のアップの時間に、必ず打っています。伏せ太鼓など、普通の太鼓は基本的に上から下に振り下ろす動きが多いですが、大太鼓は肘を肩より上にした状態で打つので、全身の筋肉を使うことができ、ウォーミングアップとして打ってから公演に臨むと調子がいいんです。

―そんなアップする人、ほかにないですよね ?

いないです。「大丈夫?」「おかしいんじゃない?」みたいな感じだと思うのですが(笑)。今は自分の体が変化していくことがすごく面白くて。それによって、他の太鼓の音も変わってきています。

例えば、音量を出すには筋肉やパワーが必要ですが、お客さんに届くいい音というのは、胴が鳴る音。太鼓は木と革でできていますが、その 「胴」の木の部分をちゃんと鳴らすには、力を抜いて、自分の体重をうまく使うことが大切なんです。だから、人それぞれのいい音がある。

けがをする前は、「弱い」と言われないよう、たんぱく質を取って体を大きくしたいと考えてプロテインなどを飲んでいたのですが、今はストレッチや終わった後のアイシングをメインにし、筋肉は太鼓でつけばいいと考えています。実際、男性の打ち手には筋トレをする人もいますが、ストレッチや太極拳で体を作っている人も多いんです。

間、呼吸を届ける

―鼓童というと海外ツアーも盛んに行われていますよね。海外での反応はどうですか?

まず、鼓童はふんどし・半纏に鉢巻きという「ザ・日本」なので喜んでくれます。演奏中も歓声だったりスタンディングオベーションだったりがすごいですね。日本では静かなところでこんなに反応があるんだ!とか、逆に日本ではここがドッカンドッカン盛り上がるのに海外ではシーンとなるとか、そういった違いも。

鼓童の舞台自体、ピカピカした装飾はなく、ほぼ人間と太鼓と明かりだけのシンプルなものです。間(ま)、呼吸みたいなものを届けたいという雰囲気で、それも日本的なのかもしれません。間を開けるのって、結構怖いんですよね。演奏していると頑張って叩いてしまうのですが、先輩やベテランの方たちはみんな、間や呼吸を生かして音を出すので、とても勉強になります。

ライブでは毎日同じ曲をやっていても同じ自分ではないし、観に来てくださるお客さんも毎日違う。国内でも地方によっても全然違うので、その街や空気を感じながら毎回の舞台に立つのが本当に面白くて、やめられないな、と感じます。

―経験を積まれて余裕も出てきたから、余計にそういうことを感じられるのではないでしょうか?

そうですね。20代前半の頃はとにかく出し切って、間違えても先輩がフォローしてくれていたり、でも余裕がなくてそのフォローにも気づかなかったりということがあったのですが、今は立場が逆転し、一緒に立っていて「この子、緊張しているな」と分かったら、どうしてあげたらいいかを考えます。

だから、鼓童の演奏者と自分というのもまた、毎回面白くて。それは多分、自分がずっと真ん中をやらせていただき、みんなを見て(音を揃える)きっかけなどを出すようなことが多いから分かるのだと思います。センターにもいろいろな人がいて、自分のことは自分、というスタイルにみんなが付いていく場合もある。そういう、演奏者一人一人との関係性も楽しみながら舞台に立っています。

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だから太鼓はやめられない

―改めて、ご自身にとって太鼓の一番の魅力とは。 

やはり今言ったような、人とのつながりですね。中でも舞台に立っていてお客さんからもらうエネルギーがすごく好きで、やめられない部分があります。

私にとって太鼓は呼吸のような、体の一部みたいな存在。子どもの頃からの夢がかなって仕事として太鼓と向き合えているので、毎日が本当に楽しいし、年々、自分の可能性が広がっているようにも感じています。

その太鼓が自分とお客さんの間に必ずあり、お客さんのためにみんなで演奏する。「仕事に行きたくなかったけれど、鼓童の公演を観たら明日行く元気が出た」とか、「学校に行っていない子が鼓童を聴いて行くようになった」とか、そういうふうに、少しでも観に来てくれる人の日常生活がいい意味で変わるような音を、これからも届けていきたいです。 

Contributor

高橋彩子
舞踊・演劇ライター。現代劇、伝統芸能、バレエ・ダンス、 ミュージカル、オペラなどを中心に取材。「エル・ジャポン」「AERA」「ぴあ」「The Japan Times」や、各種公演パンフレットなどに執筆している。年間観劇数250本以上。第10回日本ダンス評論賞第一席。現在、ウェブマガジン「ONTOMO」で聴覚面から舞台を紹介する「耳から“観る”舞台」、エンタメ特化型情報メディア「SPICE」で「もっと文楽!〜文楽技芸員インタビュー〜を連載中。

 http://blog.goo.ne.jp/pluiedete

公演情報

鼓童 浅草特別公演2024「とこしえ」

米山が大太鼓に抜てきされてからちょうど1年。「浅草公会堂」のみで上演する特別プログラムだ。演出は気鋭の演出家・前田順康が担う。浅草の地に合わせ「伝統と革新」をテーマに変容を肯定し、脱構築をし続ける今の鼓童、そして次の10年、50年に思いを馳せることができる100分の熱演を見逃さずに。

2024年6月26日(水)〜6月30日(日)
浅草公会堂

※26〜28日 14時〜/29日 11時〜、15時〜/30日 14時〜/開場は開演の30分前/前売り7,500円、25歳以下3,500円

また、1984年からスタートした「ワン・アース・ツアー」も全国で開催中。東京での公演は、9月26日(木)に、立川市の「たましんRISURUホール 大ホール」での公演を予定している。

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