インタビュー:ブライアン・イーノ

オーストラリアで行われた鬼才ブライアン・イーノの特別インタビュー

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テキスト:アンドリュー・P・ストリート、 翻訳:佐藤環

シドニー・オペラハウスで行われた『Vivid Sydney』の音楽プログラム『Luminous』(2009年5月にシドニーで開催されたイベント。音楽公演や美術品の展示、環境問題についてのディスカッションなどが行われた)のキュレーターとして、彼はすべてをやり尽くせたかもしれない。だが彼が最も愛するものは、制限された環境だ。

―『Luminous』のパフォーマーはどのような基準で決めましたか?

条件は2つあった。私の希望と、ブッキングが可能なことだ。

―では、美意識が最優先というわけではないのですね?

いや、美意識はあった。一貫して優先させた美意識は「私が好きなもの、または見たいもの」。私が最先端だと思える音楽か、その他の興味を持った“カタチ”の音楽だと思うもの。私にとってパイオニアだと思えるものなんだ。

―では、80年代のシンセサイザーのリバイバルを売りにしているといわれているレディトロンもパイオニアだと言えますか?

なるほど、面白いね。

私の考えでは、もはや音楽に歴史というものはないと思う。つまり、すべてが現在に属している。これはデジタル化がもたらした結果のひとつで、すべての人がすべてを所有できるようになった。レコードのコレクションを蓄えたり、大事に保管しなくてもよくなった。私の娘たちはそれぞれ 50,000枚のアルバムを持っている。ドゥーワップから始まった全てのポップミュージック期のアルバムだ。それでも、彼女たちは何が現在のもので何が昔のものなのかよく知らないんだ。

例えば、数日前の夜、彼女たちがプログレッシブ・ロックか何かを聞いていて、私が「おや、これが出たときは皆すごくつまらないといっていたことを思い出したよ」と言うと、彼女は「え?じゃあこれって古いの?」と言ったんだ(笑)。彼女やあの世代の多くの人にとっては、すべてが現在に属していて「リバイバル」というのは同じ意味ではないんだ。

―でも、本当に大事なものはいくらかそこで失われたのでは?

何かは失われたし、何か別のものが得られただろうね。特に私の世代で失われたものは顕著だね。なぜなら、私たちにとってレコードは極めて重要なもので、レコードによって文化的なポジションが決められていたし、レコードの嗜好によって人との付き合いも決まった。レコードは文化的な会話の中心を占めていたんだ。

その理由の一つは、レコードは金のかかる趣味だったからね。当時は高くてたくさん買えなかったから、それだけお金をかけるならば、真剣になるし情熱も持つようになる。そして、真剣になって情熱を持った分だけ、恩恵も受ける。

だが、今や音楽は水のような存在になってしまった。事実、水より若干安くなっているし、音楽に対してはまったく異なる態度が生まれている。この新たな態度の健全な部分としては、さっき説明したように、偏見をまぬがれた差別のないフィールドが生まれたことだね。音楽は以前ほどはイデオロギーの重荷を背負わされなくなった。

例えば、ABBAを好きな人は政治的に格好悪いとされたり、ベルベット・アンダーグラウンドを称賛するのが不可欠だとされていた頃のことを思い出すよ。そういった多くのものは過ぎ去ったし、過ぎ去って良かったと思う。

―それだけでしょうか?

いや、他にも引き起こされたことは、音楽が事実上無料になったことで、コピーできない部分に価値が置かれるようになったことだ。

例えばパフォーマンスに関して言えば、ここ数年においておそらく今までにないほどイギリスではライブパフォーマンスが盛んになっていて、バンドはパフォーマンスを真剣に受け止めている。彼らはパフォーマンスのプロモーションをするためにレコードを作るんだ。

私たちの時代は、レコードのプロモーションをするためにパフォーマンスをしたものだった。再びパフォーマンスが活性化して注目すべきものになり、全てのレベルにおいて重要になった。大物のバンドがやってくるときはサーカスが街にやってくるときみたいだし、実際に彼らがやっていることその通りなんだ。様々なフェスティバルも以前より増えている。そうした場所は若者にとっての一時的な新しいコミュニティを生み出していて、私はそれが好きなんだ。素晴らしいことだと思うよ。

―それはオーストラリアにも当てはまります。

その他にも起こったことと言えば、今はCDを売るのが難しいからパッケージに工夫を凝らすことだ。これは極めて新しいアートの形だと思う。

この前、ボックスセットを買ったんだ。古いアメリカの宗教音楽のCD6枚組で、CDの上に古い78s(78回転のレコード)がプリントされ、美しい木箱に入っていて素晴らしい本も付いている。音楽の考古学的な一品だともいえるし、制作も装丁も素晴らしい出来栄えだった。これは、美しい音楽経験と学術的文章、そしてアート作品のコンビネーションだけど、それはもはやCDのセールスではお金にならないという理由から生まれたものなんだ。

―しかし、もしレコードが特定の時代の「レコード(記録)」だという感覚が失われてしまえば、アートや政治学、社会的なムーヴメントといった我々の思考において、この感覚は一般的な短絡主義になりうるのではないでしょうか…?

そうは思わない。同じことは政治学やあらゆる分野でも起こりうる。単一で統一性のあるイデオロギーの影響は少なくなってきていると思う。だから、皆は混ぜ合わせたりかけ合わせたり、あれこれ少しずつ選びだしてきたりする。極端な右翼や左翼思想に意義ある政治思想を見つけ出すのは難しくなっているんだ。それらは単純すぎるし、実際、過去のもので、現況からはずれてしまったものなんだ。

私にとってすべての興味深い思想は、そういう勢力図に当てはめることができない場所にいる人々からやって来る。彼らの思想はその勢力図のすべてにおいて存在している。そして、それは音楽においても同じだと思うんだ。過去の糸の組み合わせ、また彼らが選んでそれらを編み上げたるからこそ面白いというバンドが今は多くいて、「うーん、面白い。どうしてこれらを一緒にうまく合わせて、私が好きなものを作ることができたんだ?」と思わせられる。これは今、絵画や政治、経済にも起こっていることだと思う。

―たしかに経済理論にとっては興味深い時代でしたよね……。

ああ、そうだね。世界経済システムの暴落によって、長い間浸透していた支配的なイデオロギーや自由市場から人々は解放された。

いいかい、フランシス・フキヤマが自信たっぷりに、市場資本主義と経済的自由主義こそが解決策だとうたう『歴史の終わり』を出版したのは、たった19年前だよ。そして今世紀がアメリカの世紀、アメリカのアプローチこそが20世紀以降に唯一存続するだろうという国防文書をアメリカが公表したのは、たった9年前のことだ。このわずか数年の間に、様相は激変している。必ずまたイデオロギーや単純化された理論へと硬化するだろうけれど、今のところ興味深いものではあるね。

―ええ、イラク侵攻では、自由市場は必ず民主化をもたらすという嘘を塗りかさね、中国の台頭では、民主化は強固な経済に不可欠だとするのは誤りだということが明らかになりました。

そう、まさに。ここ数年間で起こったことは莫大な金のかかる実験で、イラクもその一つだし、中国もそう。ロシアもまた別の独裁資本主義の一例だった。この『独裁資本主義』は言葉として矛盾すると考えられていた。なぜなら、フキヤマらの考えによれば、新自由資本主義は、社会的利益を自動的に生み出す素晴らしいシステムと考えられていたから。そしてその後、我々とも互いにも完全に異なる中国とロシアは、方程式に対するそれぞれの解答を見つけたんだ。解答は常に一つではないんだ。

―あなた自身の音楽はしばしば実験的ですが、あなたはU2やコールドプレイのような人気があるメインストリームのバンドともよく一緒に活動しています。彼らがあなたの信用性を利用している、と考えるのは単純化しすぎでしょうか?

違うね。

―見事なまでに率直な答えですね。

まったく間違っているとはいわない。だが、誰もが自分が好きで評価する人々と仕事をしたいと思うのと同じで、彼らも私の作品や私が関わってきたものが好きだから、「この要素も少し欲しい」というのもあると思うよ。

でも、なぜそれが駄目なんだい? もし自分だったら、そうしたと思うよ(笑)。だから、それが不当な判断だとは思わないし、彼らにとって悪いことだと思わない。誰かが彼らにそう言ったとしても怒らないだろうね。もし君が「それで、あなたはブライアン・イーノの名前の信用性を借りようとしていますね?」と聞いたとしても、彼らは「うん、まあ、たぶんね」と答えるだろう。だけど、実際彼らがそうする本当の理由は、他の賢い人間たちと同じように、一度成功すると簡単に行き詰まってしまうからなんだ。

―行き詰まる?

そう、この世界は誰もが同じことをするように仕向けているから。そして、私は基本的にそうじゃない。私は信条としてそれはしない。それに、同じことを繰り返すことに興味がないんだ。今まで聞いたことがない小さな芽や蕾のようなものを聞くと関心が湧いてきて「うーん面白い、どこへ行きつくのか見てみよう」となる。本当に新しいことは、人気のバンドでは滅多に起こりえない、ということに人々はなかなか気付かないけどね。

―では、あなたのスタジオでの仕事は、バンドがしていることを制限することですか?

そう、まさに。なぜなら、制限することで可能性が飛躍的に伸びるからね。スタジオでの時間を無駄にする新しい方法は毎年、いや実際は毎週ごとに大量に生み出されている。つまり、大量の選択肢があると、時間さえあればその中から答えを見つけることができるんじゃないかと考えてしまう。

でも、私の経験上それはあり得ない。答えはそれが何であれ自分の中にある。例えば、自分がすでにアイデアを持っているか、良いことが起こるか否か、限定されたツールである鉛筆でドローイングをすると気づかされる。なぜなら、このツールは多々の選択肢を提供することはないからね。これで出来うることは、すぐに試すことができる。エレキギターやドラムなどのもっとシンプルな楽器も同じだ。一度「Pro Tools」へ行ってしまうと、それが致命的に影響して、すべてを可能にしてしまう。

有名なジョークで、プロデューサーがスタジオのトークバックボタンを押しながらバンドのメンバーに向かってこう言うんだ。「今のは最悪だったな。よしOKだ」なぜなら、「Pro Tools」を使えばどんな音でも加工することができてしまうから。だけど私はそういうやり方で仕事をするのは好きじゃない。

―しかし、あなた自身の人生はワイルドで気が散る選択肢の実例のようなものですよね。あなたは音楽を作り、執筆し、絵を描き、企業と一緒に仕事をして、未来派シンクタンクの「The Long Now」に関わっています。ご自身の選択肢を制限しているようには見えませんが。

まあ、完全に道に迷う時期はあるよ。それから、私は何か一つのことをしているときは他のことを完全に忘れられるという便利な才能を持っている。集中しなければいけないときはものすごい集中力を発揮出来るし、自分のやっていることに情熱を持てる。

人々がスタジオで私を好む理由は、私が基本的に強い意見を持っていて、物事に対して怒ったり喜んだり、はっきりと示すからだと思う。中途半端に感じることがほとんどないんだ。(退屈した声で)「ああ、とてもいいね」と言ったって誰の役にも立たないし、何の助けにもならない。そういった姿勢は非常に大切で、私は常に強い態度をとる。

もちろん私も、電子音楽をやっている以上、他のミュージシャンと同様、新しいものや音の登場に煩わさせられる。だけど、私は多くを発見しないことにした。どのあたりのことが自分を引きつけて新しいところへひっぱるのか、ある程度わかる。他のものにわずらわされもしないし、知りたいとも思わない。人生は短いからね。

―最近ではどんなことを無視しましたか?

そうだな、あるシンセサイザーの会社が最近、とても親切なことに、素晴らしい最新のシンセサイザーを提供してくれたんだ。私は2、3日それをスタジオに置いていたけれど、こう思った。「実際これを使いこなすには6カ月かかるだろう。さもなくば、私はこの中にあるプリセットだけを使うことになるだろうし、そんなことをするなんてごう慢すぎる」。だから送り返した。「私にはもったいない。これは本当に使いこなせる若い人たちにあげてくれ」と思ったんだ。

―それでも、あなたはBloom(iPhoneの自動音楽制作プログラム)の開発に関わっていますし、新しい技術の開発を無視してはいません。

そうだね、無視はしてはないけれど、これは私が長い間やり遂げてきたこととつながるからなんだ。つまり、音楽を生み出すことと、私が興味を持ったことに対して新たなチャンスがあればいつでもやる、ということ。

iPhoneはその可能性を提供していた。なぜなら、3、4年前、自分自身で使える生成的な音楽システムを人々に提供するには、コンピューターが不可欠だと気付いたんだ。それがある種の障がいになっていた。自分はコンピューターが嫌いだし、音楽を作るためにマウスと共にそこに座っていなければならないという考えが嫌いだ。だから、iPhoneが出てきたときには「うん、いいね。これは誰もがポケットに入れて運べるコンピューターで、指で使える」と思った。だから面白いと思ったんだ。

―あなたがコンピューターの音楽を嫌うのに、Windowsのスタートアップ音を作ったというのは皮肉ではありませんか? つまり、それはコンピューターのためにデザインされ、聞いたところによると世界中で最も聞かれている音楽作品だとされています。

まあ、少しの間だったけどね(笑)。Windows 95のためにずいぶん昔に作ったから、リスナーは数十億人くらいなものだよ……。

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