快楽的な音楽の一部に自国の伝統音楽を引用
―エレクトリック・フォルクローレと呼ばれる動きはいつごろから、どのように始まったものなのでしょうか?
アルゼンチンのブエノスアイレスのレーベル、ZZKに代表されるデジタル・クンビアというジャンルが始まった2008年前後が最初だと思います。チャンチャ・ビア・シルクイートらシーンの代表的アーティストは当時から(コロンビアの大衆音楽である)クンビアだけでなく、フォルクローレをダブ化していました。
『コンドルは飛んでいく』のようなイメージしかなかったフォルクローレがダブ化されていたのは衝撃でした。
21世紀に入って「ableton live」という安価な音楽制作ソフトが普及した影響もあるのではないかと思います。このソフトを使うと、小節単位でシーケンスを刻み、簡単にループを作ることができるんですね。
民族音楽にキックを足しておいしいところをループさせたりしながら、フロアとの親和性のあるトラックを作ることが簡単にできるようになった。しかも高価な機材を買わなくても、PC一台でそれを実現できるようになったんです。
2015年ぐらいからそういった音楽が、それこそ雨後の筍のように南米やヨーロッパの地下のトラックメーカーからリリースされるようになってきた。それもどんどん洗練されながら、オリジナルな音源が出てきている。
トーマッシュ(Thomash ※)やR・ビンセンゾらはableton liveでループと上ネタを自在に変化させながら即興的にDJしてる。そういうアイデア自体は決して新しいものではないけれど、フォルクローレをネタとして使っているのは面白いですよね。
※トーマッシュ:ブラジルのDIYパーティ/アートコレクティブ『VOODOOHOP』の主宰。来日公演も過去に数回行われている。
あと、ブラジルは関税が100%と聞きました。そのため国外から入ってくるDJ機材がかなり高く、それだったら曲作りやDJもPCでやったほうが良い、ということもあるんだと思います。
トーマッシュとA・MACACAがヨーロッパからブラジルのサンパウロに移住し、『Voodoohop』という名前でパーティーを始めたこともきっかけになったと想像しています。
ヨーロッパのトラックメーカーが、テクノやハウスの4/4拍子ループの快楽をZZK以降の地下シーンに持ち込んだことで化学反応が起こった、という部分は少なからずあるんだろうなと。
―Shhhhhさんがそうした動きに注目するようになったのはいつごろですか?
僕は普段、ラテンのCDを輸入する会社に勤めているんですが、ある時期からその会社でもZZKに影響を受けた音が少しずつ入ってくるようになりました。ただ、南米でCDが盛んに作られていたのは2012〜13年ごろが最後で、それ以降はCDを経由してシーンの情報が入ってこなくなったんですよ。
それから、3年ほど前に日本でトーマッシュと共演させてもらう機会があって、そのときに衝撃を受けました。テクノ/ハウスのピッチを極端に落として、デジタル・クンビアや自分たちでエディットした(エレクトリック・)フォルクローレら南米のトラック、そして変なワールドミュージックにつなげている。
パーティーのフロアで、今まで「伝統音楽」や「辺境」などと呼ばれていた音楽がまったく並列に扱われている。南米的な情感である「センティミエント(Sentimiento:スペイン語で「感情」を意味する)」がフロアで抽出されていて、とても爽快な眺めでした。
―10数年前からリカルド・ヴィラロボス(Ricardo Villalobos)やルチアーノ(Luciano)あたりがフォルクローレをサンプリングしたテクノやテックハウスをリリースし、世界的に知られるようになりましたが、そこからつながる流れもあるのでしょうか。
確実にあると思います。リカルドたちが「伝統音楽を研究/紹介する」という文脈ではなく、ダンスミュージックという快楽的な音楽の一部に自国の伝統音楽を引用した、という行為はZZK周辺も見ていたと思います。
ちょうどそのころ(2008年)は南米も経済的に調子が良かったので、クラブの数も多かったと聞いています。横の繋がりできやすかったんじゃないでしょうか。
ただ、リカルド自身も1973年の軍事クーデターの際にチリから亡命していますし、今年初頭もアメリカに入国できなかったというニュースがありましたね。彼らがただのネタとしてハウス/テクノにフォルクローレを混ぜたとは考えにくいと思います。
―Shhhhhさんが南米出身のアーティスト/DJの日本公演をオーガナイズするようになったのはいつごろから?
トーマッシュも出てきてるし、アルゼンチン音楽のコンピ(2009年にリリースされた『UNICORISMO』)も作らせてもらっておきながら、俺が動かないでどうする!みたいな感覚があったんですよね。
ちょうどミニマル/ベルリン志向のシーンも一辺倒に感じていた時期に、ちょうど「ニコラ・クルースを呼ばないか?」という話がきたんですよ。それが2017年初頭です。
初めて呼んだのはサンパウロのスパニオール(Spaniol)です。『Re:birth』というオーガナイザーチームが運営する野外トランスパーティーに出てもらいました。前情報として「ブラジルのDJ」ということをアピールせず、変なバイアスをかけないで聴いてくれるトランスのオーディエンスにはめようという作戦でした。緊張したけど、その日のフロアは忘れられません。