対談:AKIKO KIYAMA×真鍋大度

和楽器を再構築し、狂言を再解釈する

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Text by 大石始
撮影:谷川慶典

日本列島では古くからありとあらゆる歌と舞が存在し、さまざまな伝統楽器が鮮やかな彩りを加えてきた。ただし、それらは伝統を継承するだけでなく、時代に合わせてさまざまな形で更新され、ときにはいくつかのスタイルが融合されて新たな姿で蘇ることもあった。

ヨーロッパと日本を股にかけて活動し、リカルド・ヴィラロボスやリッチー・ホーティンらからも支持されてきた電子音楽家、AKIKO KIYAMA。彼女はYOSHIROTTEN(グラフィックアーティスト)との極めてユニークなコラボレーション作品である新作『JABARA』において、三味線や尺八といった和楽器の新たな可能性を引き出そうとしている。昨今、世間では「和楽器×○○○」の安易なフュージョンが乱発されているが、それぞれの楽器の響きや特性に着目した『JABARA』の試みには、電子音楽/ダンスミュージックの世界で活躍してきたKIYAMAならではの視点も反映されている。

そんなKIYAMAと10年以上の付き合いを続けるのが、メディアアーティスト/DJ/プログラマーにしてライゾマティクスリサーチ主宰の真鍋大度。ビョークやPerfume、野村萬斎などさまざまなアーティストとのコラボレーションや、リオデジャネイロオリンピック・パラリンピックのフラッグハンドオーバーセレモニーの映像演出も手がけた真鍋は、KIYAMAの新作から何を聞き取るのか。日本の「伝統」を巡る2人の対話をお届けしよう。

−真鍋さんはKIYAMAさんが東京藝術の先端芸術表現科に在学していたときの講師だったそうですね。

真鍋:そんな時代もありました。

KIYAMA:入学したのが2005年なので、10年以上前ですね。少人数のクラスで、ドラムマシーンを作ったりしていました。

真鍋:全員のマシーンをネットワークで繋いで、ひとつのシーケンサーを作ってね。KIYAMAさんは自分のサウンドファイルでループシンケンサーみたいなものを作っていましたね。卒業後に海外のフェスでライブを観たこともありましたよ。渋いことやっているなあと(笑)。格好いいなと思って。

−KIYAMAさんの『JABARA』についてですが、まず、制作にあたってのコンセプトはどのようなものだったのでしょうか。

KIYAMA:そもそもはJABARA RECORDSさんが企画してくれたもので、依頼としては「日本の伝統楽器を用いて、その音色を現代的に再構築してほしい」ということだったんです。

私は日本舞踊や仕舞、謡を習っていたのですが、そういったものに興味が向いたのは、自分自身の好きな音楽を分析すると「間」や「グルーヴ」が大きく影響しているんじゃないかと考えたからです。幼少のころにクラシック音楽を習っていたのもあり、日本的な間がとても独自で面白いものであると大学生のころに思い、音楽や日本の古典芸術を鑑賞するだけでなく、実際に体験したほうが理解が深まるんじゃないかと思い、習っていました。
JABARA

−真鍋さんは和楽器にどのような印象を持っていますか。

真鍋:音楽でいうとDJ KRUSHさんが山本邦山の尺八をサンプリングした曲(『ONLY THE STRONG SURVIVE』)はよく聴いていましたね。和楽器×現代テクノロジーを謳(うた)った音楽作品もいろいろとありますけど、KIYAMAさんはどちらかというとKRUSHさんに近い感じがします。和楽器を使うというコンセプトが重要なのではなく、和楽器の音色が素材としておもしろいから使うという。

KIYAMA:そうですね。その意味で言えば、普段の自分の作品作りと意識自体はそんなに変わらないんですよ。普段からヒップホップやジャズのサンプルを使ってテクノを作っているので、和楽器にしてもあくまでも音として聴いているんです。

真鍋:今回はどういう和楽器を使っているんですか?

KIYAMA:篠笛、三味線、琴、尺八ですね。95パーセントぐらいは新たに録音したもので、それらを後から編集しました。テクノを作るにしても通常はドラムから始めると思うんですけど、私の場合、全体を作ってからドラムを入れるんですよ。今回もそんな感じで、録音したオーディオサンプルを散りばめながら、絵画で言えば抽象画を書いていくような感覚で作っていきました。

真鍋:おもしろいですね。こういう音楽ってビート先行のものが多いですけど、この曲は複雑なレイヤーがあって、ジャズっぽく聞こえるところもある。

−和楽器を演奏されているのはそれぞれ専門の演奏家の方ですよね。レコーディングはどのようなやりとりで進めていったのでしょうか。

KIYAMA:まず、「調弦でもかまわないので、自由に演奏してください」とお願いしました。特定の曲を弾いてもらったわけではなくて、いろんな奏法をやってもらって、その音をそのまま録っていこうと。それぞれの楽器の特徴はいかしていこうと考えていましたね。

−そこで言う「それぞれの楽器の特徴」とはどのようなものだったのでしょうか。

KIYAMA:私は三味線や尺八などを演奏することができないので、なんとなくそれらしい音や音階は理解していても、それを後付けで表現してしまうと上辺の理解のもとに成り立った「日本的なもの」になってしまいそうだなと。なので、実際の奏者さんたちの普段の手癖は大いに利用したいと思っていました。

また、日本の伝統音楽では、間や音階が絶対値で決められているというよりは、隣り合う音との間隔や比で成り立っていることも多く、そういった「比」という意味でもソフトウェア上の絶対値で決められたテンポ感ではなく、耳で聞いて感覚的に、マニュアル的に時間や間の比を作ることを心がけました。

萬斎さんのように何十年もやっている方でも解釈が固定されていない

真鍋:2017年の1月と2018年の1月に上演した『三番叟 FORM』(狂言師の野村萬斎が総合演出を手掛け、真鍋の映像演出で上演された公演)でもお囃子(はやし)と鈴がずっと鳴っているシーンがあるのですが、聴きかたによってはお囃子と鈴のリズムはズレてると感じると思うんですよ。間やテンポに対する考え方が西洋音楽とは根本的に違うんだと思いますね。

−「伝統と現代の融合」をテーマにした『三番叟 FORM』『三番叟 FORM II』は大きな話題を集めましたが、こちらの公演で真鍋さんが目指していたのはどのようなものだったのでしょうか。

©︎(Photo by)Hiroyuki Takahashi/NEP

真鍋:そもそも『三番叟』で何かをやろうと思っても自分じゃないできないわけで、依頼がなければやってなかったと思うんですよ。伝統芸能の知識もなかったので、プロジェクトを始める前には色んなバージョンの『三番叟』を見比べたり、萬齋さんや研究者の方にインタビューをしたりということを行いましたね。僕の場合、特殊なお題を与えられてブレイクスルーを起こせないかという依頼が多くて、KIYAMAさんが自由演技だとしたら、僕は規定演技(笑)。そのなかでどれだけ新しいことをできるかというチャレンジを続けているわけで、『三番叟 FORM』『三番叟 FORM II』もまさにそういう作品でした。

−萬斎さんとのやりとりは通常どのように進めていくんでしょうか。

真鍋:コラボレーターの方とのやり取りがおもしろくてやっているところがあるんですよ。『三番叟』を見ながら萬斎さんにずっと説明してもらうんですけど、次の週には「このシーンは恥じらいなのかな?」と説明が変わってくるんです(笑)。ひとつのシーンでも解釈がいくらでもあるわけで、萬斎さんのように何十年もやっている方でも解釈が固定されていない。そこがすごくおもしろいんです。

−「これはこういう表現である」という答えが継承されているのではなくて、解釈の仕方が継承されている、と。

真鍋:そうですね。その解釈の仕方も時代によって変わっていくという。

©︎(Photo by)Hiroyuki Takahashi/NEP

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過去のものを継承していくのが本来の形

−「伝統」のなかには常に変わり続けたり、時代の変化のなかで解釈され直されていく部分も多分に含まれていますよね。でも、次の瞬間にはそれが新たな「伝統」になっている。お2人がやっているのも、まさにそうした「伝統の再構築」なんじゃないかと思いますね。

KIYAMA:能ってすごく型が決まっていて、枠から離れることをそう簡単には許さない世界だと思うんですね。だからこそ真鍋さんがやってらっしゃることは画期的なことだと思うんです。伝統って、今の時代にできることを用いて過去のものを継承していくのが本来の形だと思っているので、21世紀ならば21世紀にできるものを表現するのが自然なことだと思うんですよ。

真鍋:そうですね。僕もこういうことをやったら批判されるだろうなと思いながらやっているところもあるんですけど、なんらかの新しいチャレンジがないと自分がやる意味がない。そういうことはいつも考えていますね。

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