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カイザー雪(Yuki Keiser)
スイス・ジュネーブ大学文学部卒業後、奨学金プログラムで東京大学大学院に2年間留学。現在は日本・アメリカ・スイスの3拠点で生活し、通訳、執筆、語学教師(日本語・フランス語・ラテン語)をしている。
タイムアウト東京 > LGBTQ+ > カイザー雪の「Pride of the world #3」
自身のトランス男性※としての経験を赤裸々に、そしてユーモアたっぷりに描いた、イギリスの漫画家ルイス・ハンコックス(Lewis Hancox)。2022年のデビュー作『Welcome to St.Hell』(以下『Welcome~』)では高校と大学時代などの葛藤を、2024年に発行された続編『Escape from St. Hell』(以下『Escape~』)では性別移行の旅路を、はつらつとした作風で書き下ろしている。
舞台となっているのは、彼が育ったイギリス北部の小さな町セント・ヘレンズ(St Helens)。地元の雰囲気や若者たちのスラングと口調も作中生き生きと再現され、トランスであることの困難や希望をウィットに富んだ描写で表現している。
漫画家だけでなくイラストレーターや映画製作者、コメディアンとしても幅広く活躍するルイスは、もともとSNSでコメディ映像を配信して注目を集めた。自身の2000年代のエモ音楽好きのティーンをテーマに、親や友達とのちょっとした衝突、ティーン特有の悩みなどを全て一人で演じている。
愉快な自虐ネタ満載の彼のInstagramやTikTokでの動画は、セクシュアリティ関係なく多くの共感と笑いを誘い、たちまち人気を博した。
日本・アメリカ・スイスの3拠点で生活し、通訳や執筆などの仕事をしているカイザー雪が、6回にわたって世界のリアルなLGBTQ+事情を伝える「Pride of the world」シリーズ。第3回は、ルイスの漫画や、イギリスでトランスの人が直面する問題、社会でのジェンダーのギャップなどについて語ってもらった。
※「女性の体で生まれた男性」の意味。
思春期の2000年代、ルイスはエモ音楽やロックに没頭する傍(かたわ)ら、性別違和にも苦しんだ。憂うつの原因が理解できず、本人も周りも苦難の日々を過ごしていた。そういった辛い経験が漫画の原動力にもなっている。デビュー作『Welcome~』では、彼が医療従事者などにトランスだと理解してもらえるところまでの紆余曲折が臨場感たっぷりに描写されている。
「10代はトランスに限らず、多くの人が自分の居場所やアイデンティティーを探し求める繊細な時期だと思います。だからこそ、僕のストーリーをオーㇷ゚ンにシェアすることでトランスの人についてもっと知ってもらえたり、若者に希望の兆しを与えられたりできたらと思って描きました。
家族や友達の視点を含めるのも重要でした。彼らも彼らなりの困難を経験していて、全員成長していく過程をコメディタッチで描きたかったんです」。
もともと映画制作者であるルイスは、映画のストーリーボードを描いて漫画を制作したという。
「人生そのものがビデオゲームのようだと感じているので、性別移行の過程を、若い頃に愛用していたSEGAなどのレトロなビデオゲームも構想の一つにしています。『男性ポイント』を獲得する場面や『男性らしさ』のレベルアップのシーン、人生の岐路で選択する道などがそうです」。
また、地元であるイギリス北部の家族と友人たちの口調や発音を忠実に再現することにもこだわった。その結果、登場人物の声が聞こえるかのように、ルイスの作品はリアル感にあふれていて没入型の映画やゲームのような感覚で楽しめる。
第二作の『Escape~』では、性別移行を開始してルイスも幸せをつかんだかと思いきや、そこから新たな試行錯誤の旅路が始まる。
男性ホルモンを摂取しはじめて、姿がどんどん男性化していくなか、女性と男性両方の立場を経験したルイスの視点を通じて、社会のジェンダー観が浮き彫りになる。そんな場面に、男らしさや女らしさなどについても考えさせられる。
「性別移行後、日常的に感じたのが世の中のジェンダーギャップです。例えば、接客対応や店での商品のマーケティングなど、ジェンダーへの先入観が強いことに気づきました。ホームセンターに行ったとき、DIYが苦手だといくら伝えても、僕が男だからということで店員はできる前提で終始説明していたんです。それで恥ずかしくなって、何も買えずに店を出てしまって(笑)。
そういった何気ない場面で社会のジェンダーステレオタイプが随所にあると感じました。僕自身も『男なんだから、男らしくなきゃ』という固定観念にとらわれていた時期がありましたし。でも最終的には自分は自分でいいんだ。『男らしさ』にこだわらなくてもいいんだという気持ちにたどり着けて、肩の重荷がおりました」と、当時を振り返ってルイスは微笑む。
InstagramやTikTokに投稿しているコメディ映像では、自身の思春期を再現したシーンを演じているものの、トランスであることを意識して言及しているわけではない。そのため、多くのフォロワーから「(男性なのに)なぜ若いころの自分を女性として演じているの?」と問いかけられることもあるそうだ。
最近では、自分の男性としての性別に自信を持てるようになり、フェミニンな要素を恥じることなく女性の役を演じることにも抵抗がなくなったと語っている。
「逆に、『男性の体になれたのに、どうして女性の恰好をしたがるの?』と聞かれることもあります(笑)。でも、服なんてただの布で、何を着ても自分の性別やジェンダーは変わりません。だから、そういう側面でも自由に遊んでいます。どんな趣味や洋服などを選んだりしてもいい。それは誰にでも当てはまることだと思います」。
彼の映像には、そんな自然な形でトランス事情への理解を促す思いも見え隠れする。
幼い頃から漫画をむさぼるように読んでいたというルイスにとって、カナダの『スコット・ピルグリム』との出合いは大きな転機となった。
「欧米のコミックブックは、スーパーヒーローの話が主流なのですが、自分が読んだ初めての『リアルな人物・物語』です。多少誇張しながらも、日常の話を描いてもいいんだって教えてくれた作品です。
日本の漫画のスタイルも素晴らしくて読んでいますね。例えば子どものとき、『ポケットモンスター』がイギリスで大ヒットしていましたし、大人になってからは伊藤潤二も好きになって。今年初めてホラー・フィクションに挑戦しました。彼の『自選傑作集』にもとてもインスパイアされましたよ。
自分の絵が白黒でシンプルなタッチだったり目が大きかったりするので、たまに『日本の漫画のスタイルに似ているね』と言われたりします。日本の漫画は素晴らしいので恐縮ですが、光栄です」
ルイスの初のホラー漫画『Sketchy』は、前作同様にユーモアが散りばめられている。「今回はLGBTQ+がメインストーリーではないのですが、主人公がレズビアンで、ダークユーモアも交っています。僕は人生において、憂うつなときもユーモアのおかげで消化できている部分があるので、重い内容でもいつもどこかユーモラスに表現しています」
イギリスでは同性カップルが結婚できたり、トランスの人が性適合手術なしで書類で性別変更ができたりするなど、LGBTQ+にとって住みやすく感じられる。しかし、ルイスの漫画では学校でいじめにあったり、性別移行にたどり着けるまで険しい道のりがあったりと、相当悩んでいたこともうかがえる。
「僕が学生だった20年ほど前よりLGTBQ+の状況はだいぶ進歩した一方で後退していると感じることもあります。たとえば今年の6月、多くのトランスのティーンが使用していた思春期抑制剤(思春期に出るホルモンを抑制して思春期の進行を抑える注射薬)が18歳以下に禁止され、大きな議論を呼びました。
健康への影響を慎重に考えるのは大切ですが、ただ禁止する前には、もっと研究や会話が必要だと思います。僕自身、10代のときどんどん女性の体に変わっていく姿が耐えられなくて拒食症を患ってしまったように、トランスの若者にとっては深刻な問題なんです」
さらに最近はスポーツ、トイレ、図書館にまでトランスへの攻撃が広がっているとルイスは続ける。
「トランス女性が女性のトイレを利用できないように、出生時に与えられた性別のトイレに行くべきだと主張する人がいるんですね。
でもその議論はトランス男性のことを忘れてしまっているんです。そういった規則ができたら、女性の体で生まれたけど僕みたいな男性が女性のトイレに入ったらそれはそれでまずいでしょう(笑)。
また、図書館員や学校の先生たちが、施設の本棚からトランスにまつわる書籍や教育本を撤去するよう、最近プレッシャーを受けているのです。アメリカでもそういった傾向が起こっていると聞きました。どんなに消そうとしてもトランスの人はこれからも存在し続けるするわけですから、やっぱり対話が必要だと思います。トランスの人も人間だということがたまに忘れがちに感じます」
ルイスの作品は自身のトランスの等身大の姿を描いて、「トランスの人はみんなと同じ人間だ」と伝えてくれる。さまざまな試練を克服した現在は、パートナーと猫二匹とイギリスで幸せな生活を送っているという。そんなルイスの思いが込もった漫画は、人生の困難を乗り越えるヒントが含まれていて、多くの人の心に響きエネルギーと勇気を届けてくれるだろう。
カイザー雪(Yuki Keiser)
スイス・ジュネーブ大学文学部卒業後、奨学金プログラムで東京大学大学院に2年間留学。現在は日本・アメリカ・スイスの3拠点で生活し、通訳、執筆、語学教師(日本語・フランス語・ラテン語)をしている。
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