山海塾には「究極の静の美があった」
「子どもの頃は、今よりもう少し暗かったんですよね」と話す石井がダンスに興味を持ったきっかけは、前世紀末の日本にストリートダンスブームを生んだテレビの深夜番組だった。意外にもエンターテインメントのダンサーとしてキャリアをスタートさせた石井だが、活動を続けるなかで少しずつ違和感を募らせていく。そんななか「この疑問を解消できるんじゃないか」と思ったのがコンテンポラリーダンスだった。後の石井の人生を左右する山海塾との出会いもこの時期のこと。西洋の「動く」ダンスから入った石井にとって、「静かなのに濃厚で濃密な」身体表現は、あまりに衝撃的だった。「そこには究極の静の美があった」と、初めて山海塾を観たときの印象を振り返る。
研修期間を経て、山海塾の正式なダンサーとなったのが7年前の2010年9月。主宰の天児牛大(あまがつ うしお)という偉大なる舞踏家の存在は、石井のクリエイションにも大きな影響を及ぼしている。「天児さんは、本を読むとか勉強することも含めて、見たり聞いたり、食べたり飲んだり、日々の生活のなかで本当に色々なものを吸収している」と、惜しみない敬意とともに師について語るが、その熱意ある探究心は石井にも引き継がれているようだ。ダンスはもちろんのこと、写真やデザインにも没頭し、意欲的に取り組んできた。最近は日本の伝統芸能についても勉強中であるという。さらには、アーティストが真っ当な職業として認知されづらく、しばしば相応の対価を得ることも難しい日本において、「アーティストを社会的職業に」するため、会社「DEVIATE.CO」を立ち上げ、マーケティングやビジネスについても学んでいるという。