ー2019年12月末をもって、森美術館館長をご退任されます。南條さんご自身が企画を担当されている展覧会『未来と芸術展』は、館長として関わる展示としては最後になりますが、森美術館でのご活動のいわば集大成といったものになるのでしょうか?
そうみたいですね(笑)。最初はあまりそこを考えていませんでした。これまでに『医学と芸術展』をやって、『宇宙と芸術展』をやって、その流れで今回の展覧会があります。言ってしまえば「科学シリーズ」なんだよね。しかも展示するものも、アートだけではないものが並んでいる。でもクリエイティビティっていうものは一緒でいいんじゃないの、っていうね。
ー科学と芸術をあえて分ける必要はないということですね。
そうそう。そういう視点の展覧会シリーズとは別に『Innovative City Forum』というフォーラムも今年で7年続けているんだけど、最初からテクノロジーのことを扱っているんです。そこで挑戦するべきこととして、未来、ひいてはテクノロジーがどうなっていくのかというテーマが浮上してくる。そのフォーラムと、科学に焦点を当てた一連の展覧会との2つが一緒になった、成果をそろそろ見せてもいいんじゃないかと思っていたんです。
2年ぐらい前から準備していたんですけど、それがちょうど(館長を)辞める話と重なって。これはとても綺麗だなと(笑)。つまり、未来について語りながら(退任するのも)悪くないと。
ー森美術館でのご活動も終わるのではなく、まだ続きがあるという感じがしますね。開館準備から深く関わっていらっしゃった森美術館のミッションに「国際性」と「現代性」があります。実際、森美術館は言わずもがな、ディレクターを務めていたICA名古屋でのご活動などを振り返ってみても、当時としては例を見ないほど同時代の海外作家をいち早くご紹介されてきたように思います。
名古屋には会社を持っているオーナー社長や実業家が多かったんですよ。オーナー社長タイプの方がアートのことをやりやすいんだよね。そういう名古屋の土壌があって、廃工場になっていた建物を使って現代美術をやろうという人が出てきたんです。
それが1980年代半ばだったんですが、それ以前の日本人は、現代美術の事は聞いてはいても実物を見たことがなかった。アンディ・ウォーホルくらいはなんとか展覧会が日本で行われたけれども、「アルテ・ポーヴェラ」やコンセプチュアル系のアートとか、ヨーロッパの現代アートについてはみんな知らなかった。だからまずは見せる必要があるんじゃないかっていうのが僕の考えだったんだよね。一方で日本の現代美術っていうのは、アジアの中ではものすごく進んでいたんですよ。でも、それと世界の現代美術が接続する必要があると思っていました。
ーなるほど。確かに、今のお話にあったイタリアのアルテ・ポーヴェラと日本の「もの派」の持つ共通性などについても、直接の影響関係は当時あまりなかったという意見もありますね。
でも、磯崎新さんとか、メタボリズム建築をやっていた人はすごく意識的に情報を海外に出していたんだよね。『世界デザイン会議』っていうのがあって、日本のデザインを強く打ち出すマニフェストを出したわけ。情報発信をいかにするかということは、日本人としてはすごく重要で。それをやったグループだけが国際的に歴史に残るんだよね。「具体美術協会」も機関誌を発行したりしていました。一説によると、ジャクソン・ポロックの机の上にも置いてあったという。これは神話みたいなもので、誰かが確認したのかはよく分からないんだけどね(笑)。