インタビュー:南條史生

森美術館館長 南條史生に聞く、ネオ・メタボリズム建築と都市の未来

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写真:Kisa Toyoshima

六本木の森美術館では、2019年11月19日(火)から『未来と芸術展:AI、ロボット、都市、生命――人は明日どう生きるのか』が開催される。本展会期中に同館の館長を退任する南條史生に、展覧会が描く「未来」について話を聞いた。

ー2019年12月末をもって、森美術館館長をご退任されます。南條さんご自身が企画を担当されている展覧会『未来と芸術展』は、館長として関わる展示としては最後になりますが、森美術館でのご活動のいわば集大成といったものになるのでしょうか?

そうみたいですね(笑)。最初はあまりそこを考えていませんでした。これまでに『医学と芸術展』をやって、『宇宙と芸術展』をやって、その流れで今回の展覧会があります。言ってしまえば「科学シリーズ」なんだよね。しかも展示するものも、アートだけではないものが並んでいる。でもクリエイティビティっていうものは一緒でいいんじゃないの、っていうね。

ー科学と芸術をあえて分ける必要はないということですね。

そうそう。そういう視点の展覧会シリーズとは別に『Innovative City Forum』というフォーラムも今年で7年続けているんだけど、最初からテクノロジーのことを扱っているんです。そこで挑戦するべきこととして、未来、ひいてはテクノロジーがどうなっていくのかというテーマが浮上してくる。そのフォーラムと、科学に焦点を当てた一連の展覧会との2つが一緒になった、成果をそろそろ見せてもいいんじゃないかと思っていたんです。

2年ぐらい前から準備していたんですけど、それがちょうど(館長を)辞める話と重なって。これはとても綺麗だなと(笑)。つまり、未来について語りながら(退任するのも)悪くないと。

ー森美術館でのご活動も終わるのではなく、まだ続きがあるという感じがしますね。開館準備から深く関わっていらっしゃった森美術館のミッションに「国際性」と「現代性」があります。実際、森美術館は言わずもがな、ディレクターを務めていたICA名古屋でのご活動などを振り返ってみても、当時としては例を見ないほど同時代の海外作家をいち早くご紹介されてきたように思います。

名古屋には会社を持っているオーナー社長や実業家が多かったんですよ。オーナー社長タイプの方がアートのことをやりやすいんだよね。そういう名古屋の土壌があって、廃工場になっていた建物を使って現代美術をやろうという人が出てきたんです。

それが1980年代半ばだったんですが、それ以前の日本人は、現代美術の事は聞いてはいても実物を見たことがなかった。アンディ・ウォーホルくらいはなんとか展覧会が日本で行われたけれども、「アルテ・ポーヴェラ」やコンセプチュアル系のアートとか、ヨーロッパの現代アートについてはみんな知らなかった。だからまずは見せる必要があるんじゃないかっていうのが僕の考えだったんだよね。一方で日本の現代美術っていうのは、アジアの中ではものすごく進んでいたんですよ。でも、それと世界の現代美術が接続する必要があると思っていました。

ーなるほど。確かに、今のお話にあったイタリアのアルテ・ポーヴェラと日本の「もの派」の持つ共通性などについても、直接の影響関係は当時あまりなかったという意見もありますね。

でも、磯崎新さんとか、メタボリズム建築をやっていた人はすごく意識的に情報を海外に出していたんだよね。『世界デザイン会議』っていうのがあって、日本のデザインを強く打ち出すマニフェストを出したわけ。情報発信をいかにするかということは、日本人としてはすごく重要で。それをやったグループだけが国際的に歴史に残るんだよね。「具体美術協会」も機関誌を発行したりしていました。一説によると、ジャクソン・ポロックの机の上にも置いてあったという。これは神話みたいなもので、誰かが確認したのかはよく分からないんだけどね(笑)。

歴史に残るのはエキストリームなもの

ー機関紙『具体』をポロックが見ていたというのは逸話としてもとても面白いですね。南條さんご自身は、どういったきっかけで海外の現代アートに関心を持たれたのでしょうか。

勤めていた国際交流基金の10周年記念として現代美術の企画が入ったんですよ。その時に現代美術のパフォーマー系の人を5人呼んでくれと。それで、ヨーゼフ・ボイス、ダニエル・ビュラン、ダン・グラハムらのパフォーマンスを連続して企画したんだよね。ラフォーレ原宿でやったんだけど、思い返すとあれも森ビルですね。

それを企画していたのが1981〜2年。僕が仕切ってやったことで、結果的に現代美術の業界とつながった。日本の公立の美術館なんかに声をかけて、いろんなキュレーターをプロジェクトに呼び込んだんです。ここでネットワークができ、現代美術の世界に入っていきました。 

ーなるほど、キャリアの初めから現代美術シーンの中心にいらっしゃったんですね。 

そう、ズバッとハマっちゃったんだよね(笑)。 

ー森美術館でもずっと中心的に関わってきていらっしゃって、ご退任後も特別顧問という役職でお関わりになると伺いました。今後はどのような関わり方になるのでしょうか 

マネジメントには関わらないから、細かいことには口出ししない。だから何か大きなアイデアを提案したり、大きなネットワークとつないだりとか、そういう役割なのかなと。森美術館だけでなくて森ビルとしても文化事業を増やしていて、そちらにも関わることになると思います。

ー先ほど磯崎さんの名前も上がりましたが、今回の『未来と芸術展』の端緒にも「メタボリズム建築」へのリサーチがあったとお聞きしました。いわゆるメタボリズムの建築家は、個人にとっての機能性よりも、より広い視点で都市空間への提案をしていました。都市や国家の未来、社会のビジョンを描いてみせるという点では、確かにアーティストの活動にも通じるものがあるように思います。美術館で建築、あるいはメタボリズム建築を取り上げる意義についてお聞かせください。

美術館で何をやるかということ自体は、その美術館のポリシーを出せばいいわけ。森美術館の場合は、「純粋にアートだけをやるわけじゃありませんよ」と最初から言っている。ファッションや建築、デザインも、と幅を広げてやりますよ、と。しかもカンパニーが森ビルっていうこともあり、建築を扱う道理があるだろうということも思うんだよね。そのなかで、美術館だからこそ単に建築を紹介してるだけじゃダメでしょって。アーティスティックと言ってもいいし単にクリエイティブと言ってもいいと思うんだけど、クリエイティブな建築を紹介していこうというわけです。

森美術館で開催した『アーキラボ』という展覧会は、四角い建築はほとんど並んでいなかった。全てが彫刻みたいな形をしている。そういうエキストリームなケースというのを出していかないと、美術館としてはやっぱり違うんじゃなかなと。建築美術館はね、この建築家も見て、あの建築家も見てって紹介していくけど、美術館だからエキストリームなものしか受け入れない。

ーエキストリームなもの、ですか。

歴史に残るのはエキストリームなものなんだよね。その時代の普通は結局残らない。ミケランジェロなんかも、あの時代のエキストリームなんだよ。だからこそ、マニエリスムなどの異様なまでの身体の変形が、ミケランジェロから起こってくる。そしてラファエロがクラシックの頂点に到達したといわれるよね。だから何かの方向性に最も突出してそのムーブメントを極めて、その象徴になった人が歴史に残る。で、今もそれは同じ事だと。

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ー面白いお話です。そういう意味で、今回の展覧会でもビャルケ・インゲルス・グループはすごく分かりやすくエキストリームだと思いますし、発想の新奇さや未来への明確なビジョンなどの点でメタボリズムと共通するものを感じます。展覧会では、最新のテクノロジーにより可能になった昨今の建築群を現代版のメタボリズム、「ネオ・メタボリズムの建築」として捉えて見る提案をされています。ネオ・メタボリズムには、決まった定義などがあるのでしょうか?

建築業界では前のメタボリズムっていうのは、失敗したともいわれているんですよ。ビジョンを描くんだけれども、全然そのようにならなかったじゃないかって。例えば「建築が増殖していくんです」と言いながらまったく増殖しないじゃないかと。そういうことを考えると、鉄とコンクリートで造る近代建築の技術ではメタボリズムは無理だったんじゃないか。ところが今はソフトテクノロジーがある。情報技術とバイオテクノロジー、こういう技術は本当のメタボリズムを可能にするかもしれない、そんなアサンプションというか仮説を持って、この展覧会はスタートしたんです。

ーそれこそ「メタボリズム=新陳代謝」という着想自体、バイオのアナロジーが使われていますね。そういったソフトな技術が、建築だったり都市を実際に変えていく可能性がある、と。 

つまりあの時代は硬いものでしか建築を造っていなかった。今の時代だったらその、生命体のようなものを使って造る建築だったり。新陳代謝する、増殖する、それから光合成をして酸素を作る都市だとか。環境にも優しいとか持続可能性にも貢献できるとか、そういう意味での新しいメタボリズム建築は可能なんじゃないかという思いがあります。

ー都市と美術館建築の関係という点で言えば、建築コンペの選考にも携わっていた十和田市現代美術館でも、地域との関わりに強く意識を向けていたように感じました。森美術館の六本木という街に対するアプローチもそうですし、美術館が都市に対して持つ役割など、どのようにお考えでしょうか?

十和田ってね、すごいエキストリームなケースなんだよね。あれはたくさんの小さい箱(=展示室)から成り立っている美術館が街にフューズ(=溶解)している状態を作ろうとしているんだよ。だけどやっぱりエリアが限定されてしまう。だから市長には、街の中にもう少しあのような白い箱を作ったらと言っているんだけど。それをやってくれれば、本当に街の中に転々と美術館が存在するような状態になって融合していく。ただマネジメントしやすいのは1カ所にドンっと四角い箱を立てることなんだよね。でも、それだけでは今までと違うことはなかなかできない。

例えば大分県立美術館なんかも、1階部分は全方の壁を開放できるようにしましたといってますね。ガラスを全部外せば、下は街の広場になります、つながりますと。でも実際には、あれをすべて開けたことはできて早々の頃に一度きりしかない。街とのつながりに関して、十和田の場合は使い方にそれほど左右されないわけ。だから十和田の例というのは建築業界的にももう少し話題になってもおかしくない。単に西沢(立衛)さんの作品だっていうことだけじゃなくて、美術館建築に対する新しい提案になっていると思うんだよね。 

ー近隣の幼稚園の子たちだとか、わーっと見に来ていて。みんなが庭のように遊んでいる姿を見ると、本当に街と一緒になっているんだと実感しました。

まず塀がないでしょ、展示室の壁もガラスになってる。しかも外の土と床のレベルが同じになってるんだよ。だからつながって見えるんだよね。雪国なのに大丈夫なのか、外に雪が20センチ積もったら水が入ってきちゃうんじゃないかとか議論はあったんだけど、そういったことはいまだにない。ちなみに、今あそこに新しい作品を追加しようという動きがあって、どこに箱を立てるかって大論争になっています(笑)。

ーあの通りが少しずつ、延びていけば面白いですよね。

それに青森県を全体で見ると、安藤(忠雄)さんの国際芸術センターもあって、青森県立美術館が青木(淳)さんでしょ。弘前に田根(剛)さんの新しい美術館もできる。もともと弘前市には前川(國男)さんの建築物もたくさんある。だから建築ツアーが青森県全体で成立するだろうといわれていて。それで僕は来週、青森県立美術館の館長とお話することになっているんだけど。

作品選定の基本はストーリー

ー展覧会の作品の内容に戻りますが、都市に対するイマジネーションから、展覧会ではライフスタイルや社会の変化、身体の拡張といったところまで射程に入ってきます。出展作品のリサーチをどのようにして行ったか、どのような基準で作品選定を行ったかなどお聞かせください。先ほどおっしゃっていたように、普通は美術と考えられないものまでが選ばれていると思いますが。

まあ、見たことのない展覧会だね(笑)。作品選定は全体を貫いているストーリーに合わせて選んでる感じだよね。だからいわゆるメディアアートの展覧会じゃない。集客を考えると、もうちょっと無理にでも入れればよかったかなとも思うんだけど(笑)。でももう入らないんだよ、あまりにも多くて。

でも、これから起こることに対する脅威や警告に、直接繋がっていくものしか入れていない。水上都市とかも、メタボリズムの人たちも提案していたんだけど、ビャルケ・インゲルスの作品は実現性が高いといわれている。ほかにも、建築は素材と技術で改革が起こるから、例えばキノコの菌糸を使ったレンガを組み立てていくとか、それをドローンで積むとか、そういう事例も扱っています。

ーSFみたいな話に思えますが、そうではなくて、もう実現している技術だと。 

そう。既存の技術なんだよね。未来じゃないんだよ、ほら実際にあるでしょ、ていう。見せるものがないと展覧会にはならないわけだから。見せることがあるっていうことは実現しているってことなんだよね。『未来と芸術展』というタイトルとしてはジレンマでもあるんだけど(笑)。 

ーまだ実現していない、展覧会では見せられない未来についてのお話が、2019年11月19日(火)、20日(水)に開催される『Innovative City Forum』では話題になるのかなと期待しています。このフォーラムの目標や、注目しているセッションがありましたら教えてください。

それぞれ面白いんだけどね。やっぱり身体の問題が、どうなっていくかっていうことは大きい。つまり、ほかのことは結局「モノ」に帰結していくと思うんだけど、身体論だけは自分の体に戻ってくるじゃない。人間は今のままの体でいるのだろうか、と。はっきり言えば、見かけは同じでも怪物みたいな人間は作れるわけなんだよね。そうなっていったときに、モラルの基準を誰がどう作るのかと。技術的にはもうできちゃうんだからね。実際に中国でもあったでしょ。あれは病気に対しての耐性だけを遺伝子に入れたって言っているけど、容貌や身体能力も含めて設計していったらどうなるか。

ー実際、中国の「遺伝子操作ベビー」の記者会見は、そういったビジネスのためのプレゼンテーションだったという見方もありますね。

例えば遠い宇宙の探査のために、酸素の薄い場所でも生きられるチベットの人の遺伝子を組み込んで、酸素の代謝がものすごく少なくて済むような人を作るという話が実際にあったりする。そこまでして遠い天体にたどり着いたとして、その人は僕らと同じ人間と呼べるのか。これは奥が深いと思う。つまりバイオテクノロジーは、倫理とか哲学の問題の方に直結している。

情報技術でも、AIにモラルをどう教えるかが重要であって。教え方を間違ったらAIが人間を抹殺しようとするかもしれない。環境を第一に考えるとなった途端に、一番環境を汚しているのは人類だから人間を殺せばいいわけなんだよね(笑)。だから情報技術においても、倫理問題が一番大きいとされている。人間はそういう課題に直面しつつあると。フォーラムや展覧会で課題の全部を扱うことはできませんが、そういうことを考えています。

ー最後に、南條さん自身が今後こういうことをやっていきたいなどありましたら教えてください。

大きな課題としてこの展覧会に含まれている問いというか、言ってしまうと、人間がどこからきてどこに行くのか、ということに関して興味はずっと持ち続けているんだと思う。つまりアートの根底にはそれがあると考えていて。もうちょっとスケールダウンして小さく考えたときは、日本の地方とかでアートで面白いことができないかと、極めて普通のことを考えたりもしているんだよね。プロジェクトベースで何かできないかなって。それで海外との交流を今までずっと作ってきたから、そういう交流を生かして楽しく暮らせたらいいな(笑)。

プロフィール

南條史生(なんじょう・ふみお)

1949年東京生まれ。慶應義塾大学経済学部、文学部哲学科美学美術史学専攻卒業。国際交流基金(1978-1986)等を経て2002年より森美術館副館長、2006年11月より現職。過去にヴェニス・ビエンナーレ日本館(1997)及び台北ビエンナーレ(1998)コミッショナー、ターナープライズ審査委員(ロンドン・1998)、横浜トリエンナーレ(2001)、シンガポール・ビエンナーレ(2006、2008)アーティスティックディレクター、茨城県北芸術祭総合ディレクター(2016)、ホノルル・ビエンナーレ キュラトリアルディレクター(2017)等を歴任。慶應義塾大学非常勤講師。近著に『疾走するアジア~現代美術の今を見る~』 (美術年鑑社、2010)、『アートを生きる』(角川書店、2012)がある。

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