父親に、偉大な強さがあると改めて思いました
ーホドロフスキー作品というと、家族が出演や制作に携わっていることが特徴です。家族での作品づくりはいかがでしたか
ホドロフスキーの作品ということで、全員大きなプレッシャーがありました。大変だったのは意見が食い違ったときに、気を使わない分、意見をストレートに言い、ぶつかることです。しかし互いの才能を理解し、信頼しているので、家族で作品を作るということは重要なことでした。
ーでは、今まで知らなかった父親の意外な一面や、本作から知ったことはありますか
父親の知らなかった一面というと、労働者階級の非常に貧しい生まれだったということです。話には聞いていましたが、理解していない部分もありました。役が決まったときにチリのトコピジャに向かい、父親が育った部屋で2ヶ月間過ごしたのですが、そこには詩や芸術はなく、商売だけでした。その環境のなかから芸術家になった父親は、偉大な強さがあると改めて思いました。
ーなるほど。そんな父親の下で、どのような幼少時代を過ごしましたか
8歳のときに両親が離婚をしました。それ以降は父親と兄たち、男に囲まれて暮らしました。兄たちは、壁に絵を描いたり、女性を連れ込んだり、友人15人と一部屋で寝ていたりしました。なので、毎日誰かが訪ねてくるような賑やかな家でした。全員に共通していたのが、クリエイティブで芸術に関係していたということです。毎週水曜日は父親がタロットリーディングをするので、兄たちと周りを囲んで話を聞いていました。あと、父親が大学で授業をしていて、(哲学や、肉体と精神の関係性などに関する)スピリチュアルの講義に参加したり。とても貴重な幼少時代を過ごしました。
ーユニークなエピソードはありますか
家族全員が紫色を着ている時期がありました。車も枕もシーツも紫でした。父親の生徒たちも真似をしだして、紫一色。近所の人から、「あそこはカルトだ」と言われていました。紫色だったのは、神聖な色であったのと、尼僧、教会で過ごす人のようにシンプルな生活を目指し、意識の発展と開発だけに集中するという目的がありました。