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2016年5月21日(土)、22日(日)に上演される、高谷史郎(ダムタイプ)によるパフォーマンス『CHROMA(クロマ)』。その、いわばコンサートヴァージョンとも言うべきスペシャルライブおよびトークイベントが、5月11日、NTTインターコミュニケーションセンター [ICC]にて開催された。出演者は、同作にてサイモン・フィッシャー・ターナーとともに音楽を担当している原摩利彦と南琢也(softpad)、「メディア・オーサリング」として作品を支えるプログラマー古舘健、そして総合ディレクションを受け持つ高谷だ。司会はICC主任学芸員の畠中実が務めた。
映像を用いたインスタレーション作品の印象が強い高谷だが、なぜパフォーマンス作品を精力的に発表するようになったのか。トークの内容を振り返りつつ整理して、パフォーマンスに備えよう。
左から畠中実、高谷史郎、原摩利彦、南琢也、古舘健
そもそも『CHROMA』は、高谷自身の名義で発表するパフォーマンス作品としては、2008年発表の『明るい部屋』に続く2作目で、2012年に滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールにて初演された。遅れること4年、満を持しての東京公演ということになるが、その間にも先に述べたコンサートヴァージョンとしての上演が、2013年に開催された『SonarSound Tokyo』の1プログラムとして組まれている。今回ICCで行われたのは、『SonarSound Tokyo』がフロア型のクラブイベント形式だったのに対し、正面に映像が投影されたシアター型よりのライブパフォーマンスと言える。
このように、ダンサーなど生身の身体が出演するパフォーマンスヴァージョンや、音と映像のみで空間を練り上げているコンサートヴァージョンなどと、様々なヴァリエーションを持つ本作だが、そのうちのいずれがが本編であるというような区別はないと高谷は言う。インスタレーション作品がコンセプトそのままにパフォーマンスとして再構成される手法が、自身が中心メンバーとして活動するダムタイプにおいても多く使われてきたを考えれば、当然とも言えよう。2016年9月にリニューアルオープンする東京都写真美術館にて、2013年から2014年にかけて開催された高谷の初個展『明るい部屋』もまた、同名のパフォーマンスと同じく、ロラン・バルトの叙情的な写真論から着想を得たらしいテーマで展開されたことを思い出してほしい。
1作目の『明るい部屋』が写真にまつわる試論であるとすれば、本作『CHROMA』はその名の通り色彩をめぐる作品と言えるだろう。ゲーテやニュートンなどといった色彩と知覚の問題を扱った先人たちのテクストが、原語の朗読とともに映像の中で引用される。ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの言葉も引かれていることは、この大哲学者の伝記映画を撮ったデレク・ジャーマンを想起させる。エイズに冒され視力を失い行く晩年に書かれたジャーマンのエッセーのタイトルが『CHROMA』だった。かの映像作家がついの住処に選んだダンジネスの浜の光景が映されるシーンは息を呑む美しさだ。
今でこそ日本を代表するアーティストとして知られる高谷だが、学生時代には建築など環境デザインについて学んでいた。それゆえ、本来インスタレーション作品が好きだったという。司会者の畠中も、初期ダムタイプのインスタレーション作品において、古橋悌二や小山田徹などとともに高谷の才能が最も発揮されていたと指摘する。パフォーマンスを作るうえでも、限りなくインスタレーションに近いかたちになるように模索されている。このことを高谷たちが「空間に音や映像を置く」ようなものだと表現するのが印象的であった。
とはいえ、プロセニアムな舞台が持つ額縁性や様々な制約から自由になることを志向して造られた前作『明るい部屋』に比べると、本作は多分にシアトリカルな作品だ。劇場の持つ「ヘビーなシステム」を、高谷は否定しているわけではないのだ。劇場に備わった環境でしか到達しえない表現もまた多い。同じくダムタイプから頭角を現した池田亮司などとも共通する高谷の最大の魅力は、そのハイテックなテクノロジーの妙技にある。まさにその点において、インスタレーションの発想で異化された劇場空間は、高谷の才能を存分に堪能できる環境となるだろう。
最先端の技術を軽やかに駆使して、どこまでも洗練された美を求める高谷史郎の『CHROMA』。ぜひ劇場で体験してほしい。