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長谷部健、梅澤高明、中川悠介が考える渋谷の未来とは

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Jun Harada
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2015年11月6日(木)、タイムアウト東京が主宰するトークイベント『世界目線で考える。』シリーズの最新回『世界目線で考える。渋谷の未来編』が、日本発のポップカルチャーの祭典『MOSHI MOSHI NIPPON FESTIVAL 2015 in TOKYO』を会場に開催された。『MOSHI MOSHI NIPPON FESTIVAL』と同時開催のビジネスフォーラム『The Big Parade』の協力により実現した今回のイベントは、「これからの渋谷」をテーマとしたトークセッション。現渋谷区長の長谷部健、A.T.カーニー日本法人会長の梅澤高明、アソビシステム代表の中川悠介の3名をゲストに、タイムアウト東京代表の伏谷博之と柴田玲がナビゲーターを務め、60分間のトークライブが繰り広げられた。

渋谷と東京の今と未来に向けて様々な角度から活動を行っている3人は、それぞれどのように渋谷の街と関わってきたのだろう。

渋谷区議会議員を経て、2015年4月に渋谷区長に就任した長谷部は、同区神宮前で生まれ育った生粋の渋谷っ子だ。区立原宿中学校(現区立原宿外苑中学校)出身の彼は、中学生になって生まれ育った街を意識し始めた。原宿や渋谷がなぜ注目を集めるのかと考えるなかで、自分の街に誇りを持つようになったという。その後、博報堂勤務を経て、2003年にNPO法人green birdを設立し、同年渋谷区議会議員選挙に当選。2015年に発案した同性カップル条例案が3月末に賛成多数で可決し、国内で初めて同性カップルを認める制度が誕生したことは記憶に新しい。

A.T.カーニー日本法人会長を務める梅澤は、クールジャパン戦略の最重要人物であり、「世界で最も魅力的なグローバル都市TOKYO」を目指すNeXTOKYOのコアメンバーだ。グローバル化、ロボットとの共存、超高齢化社会を見据え、「インフォメーション」「クリエイティブ」「フィットネス」の3つをキーワードに、2020年とその先の未来に向けた都市戦略を描いている。そんな彼が渋谷文化にどっぷり浸かっていたのは、1970年代から80年前半にかけてのこと。バンド、G-Schmittのベーシスト兼コンポーザーとしても知られる彼は、1976年にオープンした老舗ライブハウス、クロコダイルをはじめ、当時の渋谷の街を歩き回り、小さな名店が次々と生まれていった裏路地の面白さに魅せられたそうだ。

中川が率いるアソビシステムは、原宿文化に焦点を当て「ブームより、カルチャーを創る」をコンセプトに2007年に設立。原宿の若者たち独自のファッションや音楽、ライフスタイルをビジネスとして確立させた先駆者だ。渋谷区神宮前3丁目に本社を置き、きゃりーぱみゅぱみゅを世に送り出すなど「カワイイカルチャー」を世界に発信している。

それでは、これからの渋谷と東京について、3人はどんなビジョンを描いているのだろう。子育て支援、教育、高齢者、福祉、エンターテインメント、インフラ、防災、インバウンドなど、街のあり方をめぐる論点は数多いが、今回大きく取り上げられたのは「コミュニティ」と「ダイバーシティ」という2つのキーワードだ。

「区政においても、すべてにコミュニティを意識している」と語ったのは、かつては区議会議員として、現在は区長として政策に携わる長谷部。「行政にできることは限界があり、個人こそが地域を支えていることを、それぞれが意識する必要がある。行政はコミュニティを活性化させるために動くべき」というのが彼の意見だ。現在は、ローカルの顔見知りを増やすツールとしてのラジオに可能性を感じ、コミュニティFMの復活を計画しているほか、歩行者天国やスクランブル交差点の活用など、カルチャーを生む「小さなスキマ作り」や「地面の開放」を進めていきたいという。目標は「シティプライドを持つ人が集まる街」。文化の自然発生と行政による介入のバランスは難しいところだが、「コミュニティの苗床を整え、あとは個人に任せる」というおおらかな行政のあり方は、クリエイティブな街であるために不可欠だろう。

ローカルコミュニティは、原宿を拠点に大胆な仕掛けを次々と繰り出しているアソビシステムにとっても、大きな存在だという。「ハリボテのブームで終わらせないためにも、商店街をはじめとする地域の人々とのコミュニケーションを大切にしている」と話す中川は、長谷部に同伴を頼み、商店街へと頭を下げに行ったことも一度ではないとか。

一方「ダイバーシティ」というキーワードからは、世代や国籍、性別に関わらず、多様なあり方を認めることの重要性が語られた。最近はLGBTが話題に上ることも多いが、自分と異なるあり方の他者とともに生きることは、決してLGBTの話だけではない。「これまで海外のいろいろな都市を訪ねたが、何より強い印象を残したのは、彼らが異質な他者と混ざり合うことに慣れているということ。いつだって面白いものは、多様な人が混ざり合うところから生まれてくる」と話す梅澤に対し、「バリアフリーという言葉はハード面に向けられることが多いが、大切なのは心のバリアフリーではないか。頭で理解するだけでなく、心で分かるためには慣れることが大事。慣れさえすれば、本当はおおらかな人たちが多いはずなんです」と長谷部。

2つのキーワードから見えてきたのは、これまでを築いてきた先達への敬意と、変化を受け入れる懐の深さ、そして多様な人々の出会いから新たなものが生まれるための「スキマ」や「遊び」の存在が、魅力的な街作りには欠かせないということだ。

「これからの渋谷を牽引していくのは、今日のゲストのように、強い情熱を胸に、人に言われなくても活動を続けていく人たちだと思う。たとえ勘違いだろうと、使命感を抱く人たちが未来の渋谷を作っていくのではないか」と伏谷。

日本の若者カルチャーの発信拠点として、これまでダイナミックに変化してきた渋谷は、東京オリンピックが開催される2020年に向け、そしてその先へとさらに変化を続けていくだろう。渋谷のこれからは、この街をローカルとして生きる、ひとりひとりの意識と行動にかかっているのだ。

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